創団40周年記念 第12回演奏会

●「正統派の名演奏」(客演指揮者、多田武彦氏)と評される
 客演指揮者に作曲家・多田武彦氏を迎えた創団40周年記念第12回演奏会は、ティアラこうとうで2000年11月19日(日)に開催されました。開演は午後2時00分。記念演奏会にふさわしく約1000名ものお客様にご来場いただきました。 段々と暗譜できなくなった団員も改訂版初演の「藁科(わらしな)」は多田先生自らの指揮だけに暗譜を敢行。来場の方々から「正統派の名演奏」、「一番の出来」とのご講評をいただきました。(2000年11月20日掲載)

客演指揮に作曲家、多田武彦氏を迎え改訂版「藁科」を初演。朗読は女優の三好美智子さん。


演奏会後記

団創立40周年記念第12回演奏会の実行委員を引き受けたとき、昭和35年卒団の私、高木繁雄、西山和夫、萩原利治、柴田鉄義の同期5人で「よし、自分たちで始めた白門グリーだから40周年を盛大にやろう」、とすぐ話はまとまりました。

客演指揮者に男声合唱をやっている者なら誰でも憧れる多田武彦先生への依頼も常任指揮者・森田さんの依頼ですんなり決まり、演奏曲目が「藁科」と発表があったとき、何か「運命的」というか「天命」が下ったというか、そんな気持ちが私の中に起こりました。何故かって? 皆さん、「藁科」の藁という文字を見て下さい。「草かんむりに高木」と書くじゃありませんか。多田先生は多分実行委員の5人の中に高木姓の者が2人もいるとは思ってもいなかったでしょう。

朗読に女優の三好美智子さんを連れてきた依田安弘さんにも感謝。ぴったりのはまり役で「藁科」を最高に仕上げてくれました。きっと「三好さんファンクラブ白門支部」が出来るくらい多田先生と部員の皆に迎えられ、いい演奏が出来ました。

ほかにも「水のいのち」、「愛唱歌集」、「清瀬保二作品」、「黒人霊歌からスウィングへ」と白門グリークラブの実力がよく出た演奏会であったなあ、と今しみじみ思っています。

ピアニストのK尾友美子さん、大庭直子さん、KKCジャズバンドの皆さん、司会の長嶌由香さん、そして御来場のサポーターの皆様、ありがとうございました。

 最後に部員の皆様、ご苦労様でした。感謝、感謝。これからも健康だけは気をつけてね。
 10年後の50周年記念演奏会でまたお会いしましょう。
2000年11月21日

  演奏会実行委員長 木辰夫
  (昭和35年卒 セカンドテナー)
さささ



                Programme


   白門グリークラブ団歌「VIVA!白門」 
    小山章三作曲 指揮・高木辰夫 伴奏・大庭直子

  1. 男声合唱組曲「水のいのち」 
    田三郎作曲 指揮・森田敏昭 伴奏・K尾友美子
     雨
     水たまり
     川
     海
     海よ

  2. 「愛唱歌より」 
    指揮・森田敏昭 伴奏・K尾友美子
     巡礼の合唱(ワグナー作曲・歌劇タンホイザーより)
     ふるさと(磯部俶作曲)
     朝(清水脩作曲:仏教聖歌)
     Die Nacht(F.シューベルト作曲)
     鶴(フレンケリ作曲)

  3. 清瀬保二合唱作品集より 
    清瀬保二作曲 指揮・森田敏昭 伴奏・K尾友美子
     球根
     烏百態

  4. 男声合唱組曲「藁科」(改訂版初演) 
    多田武彦作曲・指揮 中勘助:作詩 朗読・三好美智子
     はつ鮎
     筍(たけのこ)
     西ふきあれて
     めし  
     雨も悲し
      アンコール  柳河風俗詩より 「柳河」

  5. 「黒人霊歌からスイングへ」 
    指揮・藤澤賢二 伴奏・KKCジャズバンド、ピアノ:大庭直子
     Nobody knows the trouble I see (誰も知らぬ我が悩み)
     Michael (こげよマイケル)
     Down by the riverside (河に沿って下れ)
     Bei mir bist du shoen (素敵なあなた)
     Side by side (サイド・バイ・サイド)
     鈴かけの径
     Lover, Come back to me (恋人よ我に帰れ)

      アンコール  アニー・ローリー、今日のひととき(小山章三作曲)

 曲目解説(プログラムより転載)
   書いてくれた人 「水のいのち」、「愛唱曲から」、清瀬保二作品:音楽監督 森田敏昭
              「藁科」:作曲家・客演指揮者 多田武彦
              黒人霊歌からスイングヘ:藤澤賢二

●団歌「VIVA!白門

 1998年6月に上田市の美術館「無言館」で開催された「無言忌」で、上田グローリア合唱団と共演する機会がありました。当団顧問の小山章三先生(作曲家、国立音大名誉教授)がグローリアの音楽監督をお務めのご縁でした。その夜の懇親会でグローリアの団歌が演奏されました。華やかで美しいメロディに感動した団員らが「私達にも団歌を」とお願いしたのです。現役学生には校歌「草のみどり」があるのに、という思いもありました。小山先生が詩もお書きになり、数ヶ月後に楽譜が渡されたのがこの団歌、「VIVA!白門」です。歌いやすく、軽やかなメロディですぐに団員の愛唱歌となりました。
 1999年9月26日の「小山章三男声合唱作品集〜章ちゃんと白門と皆様」で初めて演奏会形式で公開されました。その後、各地の演奏会などでは「自己紹介」として冒頭に歌われています。(この項のみ代表幹事・宮本康幸)


●男声合唱組曲「水のいのち」
 この曲は昭和39(1964)年度芸術祭参加作品として、山田和男指揮・日本合唱協会により、1964年11月10日TBSラジオより放送初演され奨励賞を受賞しました。以下放送当日の新聞の番組案内記事より抜粋紹介します。
《曲は「雨」「水たまり」「川」「海」「海よ」の5部に分かれ、さまざまの水の状態を描くことによって水の魂をさがし求め、その水と密接につながる私達の存在の意義をうたう。「雨」では降りしきる雨がすべてのものにわけへだてなく降ることを、「水たまり」はやがて消えうせる水たまりのこころを、「川」では、なぜ川はさかのぼれないのかと存在の根源に問いかける。「海」では大きな水のあつまり、集団としての存在意義をうたう。最後の「海よ」では海の不可思議、それは人間の生のいとなみ」にも似て、水のいのちはそのまま人間のいのちだ、と力強い根源の生命をうたう。》
 作曲者高田三郎は1913年生まれ、東京音楽学校(現東京芸術大学)作曲科卒、信時潔、プリングスハイム等に師事。国立音楽大学教授、現在同名誉教授、日本現代音楽家協会委員長。1978年紫綬褒章受賞。作品には「山形民謡によるバラード」(1941)をはじめ器楽曲もあるが、1957年の「北国の歌」(男声)以後合唱曲に傑作が多く、ほかにも「私の願い」(1961)、「心の四季」(1967〉、「橋上の人」(1969)などがよく演奏されており、またカトリックの典礼聖歌を数多く作曲しています。
「水のいのち」ははじめ混声合唱曲として作曲されましたが、その後作曲者により男声及び女声にも編曲され、それぞれ多くの合唱団に愛唱されています。

●40年の愛唱曲から
 このステージでは白門グリークラブ創立以来の愛唱曲の中から5曲を選んで歌います。
 最初はワーグナーの歌劇タンホイザーから「巡礼の合唱」です。ローマ帰りの巡礼の行列が近づいて来ますが、神聖な歌合戦を情欲賛美で汚したした贖罪のためローマに赴いたはずのタンホイザーの姿はその中に見当たらず、巡礼の列は通り過ぎて行きます。白門グリークラブでは、オペラの合唱曲もいろいろ歌ってきました。
 2曲目の室生犀星作詩・磯部俶作曲「ふるさと」は、白門グリークラブ結成の翌年1961年に、この曲を歌って都民合唱コンクールに初出場し,第2位となった思い出の曲です。その後も2回ほどこの曲で入賞を果たしています。
 3曲目は長田恒雄作詩・清水脩作曲、仏教聖歌より「朝」です。「月光とピエロ」で有名なこの作曲家は、真宗大谷派の寺院に生まれ、仏教聖歌を約50曲も書いています。白門グリークラブでは第1回と第3回の 演奏会で数曲演奏し、この曲でコンクールに入賞したこともあります。
 4曲目はシューベルトの「夜」、歌曲の王ともいわれるシューベルトですが、音楽好きの友人たちのグループで歌うための男声合唱曲を数多く作曲していて、中でもこの曲はメロディー・ハーモニーともに最も美しく、無伴奏男声合唱の極致ともいえる曲です。
 最後はロシア民謡(歌曲)の「鶴」(フレンケリ作曲〉、空を飛ぶ鶴の群れに死んだ戦友の面影を忍び、我が運命を予感して歌うものです。
 
●清瀬保二の作品から 「球根」 「烏百態」
 作曲家清瀬保二〈190〜1981)は今年が生誕百年にあたります。大分で生まれ、山田耕筰、プリングスハイムに師事しましたが殆ど独学で作曲を学び、日本作曲家連盟委員長、あるいは日本の作曲家を代表して国際会議に出席するなど、わが国作曲界の重鎮として活躍しました。作品は歌曲・管弦楽・室内楽・ピアノ曲等多岐にわたり、合唱曲も昭和36年度芸術祭賞「冬のもてこし春だから」(混声)など数多く作曲しました。
 男声合唱は6曲あって、中でも宮沢賢治の詩による「蛇祭り行進」が有名ですが、ここでは最初の合唱作品である重厚な「球根」と、対照的に軽妙な「烏百態」の2曲を取り上げました。
 「球根」は昭和26(1951〉年に東京男声含唱団の委嘱により作曲され、同年12月4日清水脩指揮により初演されました。同じく1951年に書かれた詩は戦後の目本の暗い荒廃と、再び立ち上がる強い意力を「球根」に託したものです。当時の男声合唱はアカペラが多い中、清瀬保二の作品にはピアノ伴奏が効果的に配されて、表現の幅を広げているのが特徴的です。
 「鳥百態」は宮沢賢治の詩によるコミカルな曲で、ここでもピアノが効果を上げています。1959年に東京男声合唱団の委嘱により作曲され、同年11月20日石井歓指揮により初演されました。雪のたんぼに群れ集うカラスの、白と黒の色彩の対比を強調しながら、カラスのユーモラスな動作を描写した作品です。

●男声合唱組曲「藁科」
 「歴史は永くても、実力の伴わない組織」は世間に一杯ある。しかし白門グリークラブの場合は、すでに創立40周年以上の実力を保持していた。毎年送られてくる白門グリーの定演の音源は、都度この事実を証明しつづけている。その演奏は、奇をてらうことのない正統的な技術によって支えられていた。これは「グリークラブ諸兄の不断の努力と音楽に対する真摯な取組み、これに指揮者の森田敏昭氏の高い音楽性と巧みな指導力が加わった成果によるもの」と私は信じている。
 この演奏会で私は自作自演を仰せつかった。組曲「藁科」を選んだのには、訳がある。
 1959年初演の翌年、東京リーダーターフェルフェラインの演奏会で、団員であった森田氏の作った名解説と団員諸兄の名演は、聴衆に深い感銘を与えた。
 詩人中勘助先生の人生哲学や人間愛のにじみ出るこの作品を、40年を経た今、もう一度噛み締めてみようと、二人で話し合った。またこの機会に、森田氏も解説を書き改め、私も楽譜に部分改訂を加えた。
 静岡県安倍川の支流藁科川の畔に、一軒の庵がある。1943年から四年半の間、詩人中勘助先生が転地療養された家屋が、静岡市によって「中勘助文学記念館」として丁重に保存管理されている。中に入ると
今にも襖が開いて、矍鑠(かくしゃく)とした中先生のあの柔和な笑顔が現われそうな、そんな記念館である。
 詩集「藁科」に収録されている詩群は、必ずしもこの庵で書かれたものどは限らない。しかし詩人は自らの人生哲学や人間愛を吐露した詩群を、「穏やかな自然と人情に満ちたこの地」の中に、そっと包んでしまいたかったのかもしれない。生涯たった一度お会いした中勘助先生の面影を偲んで、白門グリークラブの諸兄と共に、私は「藁科」を奏でる。(多田武彦)

●黒人霊歌からスイングヘ
 ジャズとは“アメリカにおいて黒人とヨーロッパ音楽との出会いから生まれた音楽”というのが一つの定説となっています。アフリカから奴隷としてやって来た彼らが、その経由地であった中南米の国々(スペイン・フランスどの統治下にあった)で、ヨーロッパ音楽に遭遇し、彼ら特有の音楽技法としてシンコペーション、ブルースノート、コール&レスポンスなどと融合させ、洗練されていったのがジャズでした。そしてグレン・ミラー、ベニー・グッドマン、カウント・ベーシー等の出現によってスイングジャズの全盛期に突入して行きます。
 このステージではスイングジャズの大きな源流である黒人霊歌三曲のメドレーと、スイングジャズの懐しいスダンダードナンバーを四曲。中央大学スイング部OBを中心とする5人のメンバーの伴奏でお送りします。ぜひリラックスして、スイングしながらお聴き下さい。

1.黒人霊歌メドレー
 誰も知らない私の悩み、漕げよマイケル、河辺に降りよ、の三曲。一度は耳にした事のある良く知られた曲ばかりです。無伴奏の素朴なスタイルから始まって次第にリズミカルな曲へと進み、“黒人霊歌からスイングジャズヘ”の胎動を感じさせます。
2.素敵な貴方
 英語の歌詞の間にドイツ語が入っている珍らしい曲。マクガイア・シスターズ、アンドリュー・シスターズなど、女声グループで歌われる事が多いのですが、多人数の男声合唱ではたして?
3.サイド・バイ・サイド
 H.Wood作曲のややスローな曲。イージー・ゴーメとS.ローレンスとのデュユットで大ヒットしました。古き良き時代のアメリカらしい雰囲気を感じさせます。
4.鈴懸けの径
 灰田勝彦がワルツのテンポで歌ったのが原曲。錆木章治とリズムエースがスイングにアレンジして演奏し、60年代の大ヒットとなりました。
5.恋人よ我に帰れ
 S.RombergとHaomerstein Jr.による古典的名曲。当初はスローバラードとして歌われましたが、さまざまなアレンジを経て我が国ではパティ・ページ版が親しまれています。


あのとき、このとき(リハーサルから本番、レセプションまで)
リハーサルで打ちあわせる多田先生と森田氏 本番を前にして、「水のいのち」の最後の仕上げ
小山章三先生作詞作曲の団歌「VIVA! 白門」で開演。
指揮は副指揮者の高木辰夫さん(トップテナー)、伴奏は大庭直子さん。
 詩情豊かな朗読で演奏に華を添えた女優、三好美智子さん  演奏を終えた多田武彦先生
多田先生を囲む昭和46〜48年卒の団員達。もっとも多田音楽の影響を受けた世代です。

左から:
坂田信一、辰巳則夫、丸亀英雄、堀江隆夫、大蔵純、多田先生、岡部裕章、松田実、宮本康幸、小川勝久、石井秀之団長


←左写真
関東合唱界の巨頭、青木八郎先生と対談する多田先生。鋭い突っ込みをさらりとかわす多田先生の軽妙なやり取りが会場を湧かせました。

        
        右写真→
多田先生と懇談する藤澤賢治さん(左)と野中忍さん(右)。 話題は果たして何だったのでしょうか。

リハビリに励みながらも演奏会には必ず来場する加藤政章さん(前列中央)を囲む昭和35-38年卒の団員とOBたち。
 2時間のレセプションもあっという間に過ぎ去り、多田先生や全国から集まったOB、団員・家族と記念写真でお開き

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