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最近のできごと 2000年8月分
超常現象か?塩田さんら、新宿で不思議な写真を撮影!!(2000年8月31日掲載
 
塩田勝彦さん(セカンドテナー)、宮本康幸さん(ベース)、中央大学グリーOBで今年の演奏会に参加する予定の堤浄司さん(バリトン)がどうした風の吹き回しか、8月下旬のある日、新宿で待ち合わせて暑気払いとしゃれ込みました。食事が終わり、じゃオレの馴染みの店で、と塩田さんご愛用の新宿東口のとあるバーへ繰り込みました。外はじっとりとした残暑の夜、よく冷房の効いたバーで水割りをちびちびと飲りながら厚生年金、退職金、持病、精力減退など50代の切実な話題を肴に約1時間30分(それにしてもサビシー話題ですな!)。
 さて帰る前に記念写真を、と宮本さんが常時携帯しているデジカメでまず堤さんが1枚撮影しました。では、と今度は宮本さんが2枚目を撮影。ところが出来をカメラ付属のモニターで確認した宮本さんが「ねえ、おかしなものが写っているよ」と言いだし、どれどれ、とのぞき込んだ塩田さんと堤さんも「なんだ、こりゃ?」と驚きの声をあげました。下の写真をご覧下さい。左側が1枚目、中央が2枚目の写真で、撮影の間隔は1分しかありませんでした。
午後10時25分頃、堤さんが撮影
左から宮本、塩田、ママさん背後の鏡
には
○で囲んだカラオケのモニターが写
っています。OFFになっているので黒くな
っています。

その1分後に宮本さんが撮影したもの
左端は堤さんOFFのはずのモニター
から強く青い光が出て、座っている3人の
上を煙のような青い光が環状に漂ってい
ます。
左の写真の部分拡大

 不思議に思い、さらに2枚同じ位置から撮影しましたが、それらにはもう何も奇妙なものは写っていませんでした。デジカメはフィルムを使わないので、二重撮影や機器の隙間からの光に感光することはありません。ひょっとしたらこのバーは霊の住処(すみか)か、そうするとこのママは・・・、と一同はすっかり酔いも醒め、早々に悄然として帰路に就いたのであります。翌朝には3人が電子メールや電話で相互に生存を確認し合ったのは言うまでもありません。夏の夜の怪奇現象でした。


石井団長ら、岩井さんを見舞う (2000年8月24日掲載
岩井利彰さん
 残暑厳しい8月24日午後、石井団長夫妻、依田、堀江、丸亀、宮本の各氏が東京医大病院に入院中の岩井利彰さんを見舞いました。病室と同じフロアにある食堂で1時間余りに渡って岩井夫人を交えて懇談しました。。岩井さんは外に出ていないせいで多少顔が白くなっていましたが、体つきは入院前と変わりなく、明るい表情で「最近は通常の食事になったのでかえって体重が1キロ増えてしまったよ」、「あと20年は生きる自信が涌いてきたんだ」と力を込めて語ってくれました。経過が良好であれば、今月中には退院して9月の合宿から参加したい、新潟演奏旅行や11月の定期演奏会にも出るとのこと。
 また代表幹事の丸亀、宮本氏から団員よりお預かりしたお見舞い金を夫妻にお贈りしました。
 岩井さんからは、団員の皆さんにくれぐれもよろしく、とのことでした。思いの外復帰は早くなりそうです。安心して一同は帰路に就きました。


定時練習に多田先生を迎える (2000年8月22日掲載
 
今まで合宿練習にお出で下さっていた多田武彦先生が初めて8月22日の定時練習にお見えになり、「西ふれきあれて」、「はつ鮎」、「雨も悲し」。「めし」の4曲をご指導下さいました。特にフレージング(最初の音は強く、続く音は”たなびくように”)、強く出す子音と放り出す子音、畳みかける唱法、レシタティーボとメロディーの歌い分け、声区の移動とスピーカーの使い分けについて繰り返し指導があり、すっかりこれまでの指導を忘れかけていた団員を改めて独特の多田音楽に引き込みました。定刻を5分超過するほどの入れ込みよう。最後の「めし」では南泉和尚を訪ねる雲水を歌う小川勝久氏(ベース)の歌唱指導にまで及びました。団員28人、現役学生1名が参加しました。


秋期の行事を再確認 (2000年8月20日掲載、9月10日追加詳細掲載
 
日曜練習で秋期の行事が以下の通りに確認されました。大蔵純君の依頼のみ新規です。
 ●9月17日(日) 学員会杉並支部会創立5周年記念式典(担当:バリトン伊東氏)
  会場:セシオン 大ホール 東京都杉並区区梅里1-22-32 電話03-3317-6611
  交通:地下鉄丸の内線「東高円寺」下車、徒歩6分
  集合:午後3時30分 ロビー
  出演時刻:午後4時00分(予定) 
  服装:ユニフォーム上下、青紺のタイ、黒のバインダ
  演奏曲と曲順:校歌、応援歌、
            いざ起て戦人、ふるさと、
オーラ・リー、サランヘ、帰ろかえろ、斉太郎節
  そのほか:中央大学付属杉並高校吹奏楽部が第一部に出演します。
 ●9月24日(日) 
学員会埼玉支部年次総会(担当:セカンドテナー志田氏)
  会場:春日部高砂殿 春日部市谷原1-2-1 電話048-769-2183
  交通:東武伊勢崎線、または東武野田線「春日部」下車、西口より徒歩15分
  集合:午後2時30分 ロビー
  出演時刻:午後2時45分(予定) 
  服装:ユニフォーム上下、青紺のタイ、黒のバインダ
  演奏曲と曲順:校歌、応援歌、
            いざ起て戦人、ふるさと、
オーラ・リー、サランヘ、帰ろかえろ、斉太郎節

 ●10月28(土)-29日(日) 
新潟演奏旅行(実行委員長・バリトン千葉氏)
  受け入れ窓口の一人、中央大学グリーOBの本間譲二氏が急病でしばらく入院になりますが、予定通りに実施します。
 ●11月3日(祝) 
セカンドテナー・大蔵純氏令嬢(真希子さん)結婚披露宴出演
  会場:東京・明治記念館
  集合:午後5時00分 ロビーにて
  曲目:未定
  服装:ユニフォーム上下、赤紺のタイ

日曜練習、残暑の中8月20日に開催 (2000年8月20日掲載
 第12回演奏会を3ヶ月後に控えた8月20日に、今年第4回目の日曜練習が代々木・オリンピック記念青少年センター110号室で開催されました。28名の団員、佐久間英信さんら4名のOBが参加、「黒人霊歌からスイングへ」、「藁科」、「水のいのち」を中心に約7時間(前半は藤澤さん、後半は森田音楽監督)に渡って練習をしました。
森田音楽監督からは、演奏会冒頭の団歌「VIVA!白門」の指揮は演奏会実行委員長の高木辰夫さん(セカンドテナー)に、と提案があり異論もなく決まりました。また秋期の参加行事4件が上記のように確認(他に1件が継続検討)されました。
 
なお病気で入院中のバリトン、岩井利彰さんへお見舞い金の提案に全員の快諾が得られ、有志から集まったお見舞い金は8月24日(木)に代表幹事らがお届けすることとなりました。岩井さんの復帰を全団員が待っています。


大応援団の札幌南高、PL学園に7-0で完敗! (2000年8月12日掲載
ぎっしり埋まったアルプススタンドで応援する宮本氏(中央メガホン)
 8月9日(火)第4試合、甲子園球場一塁側のアルプススタンドはラベンダー色のTシャツを着た3800人の応援団で埋まりました。一回戦でアルプススタンドが満員になることは長年中継に当たるNHKアナウンサーも経験がないとか。札幌からは在校生460人を含んだ約1500名が3機のチャーター機で大阪に前日到着。東京からはベースの宮本氏が企画した応援ツアーバス2台を含む5台200人が昼過ぎに甲子園入り。そのほか航空機、新幹線、ハイウェイバスなど東京はじめ全国各地から個々に到着したOB、家族が800人、関西北海道人会400人など。球場もこの日は好カードの連続とあって、35,000人の大観衆がこの試合を見つめました。
 試合結果は7-0の完敗。やはりPLは強い、と感じましたが、後半はエース皆方君のスライダーも小気味よく決まり、美技も随所に見られ大いに観衆を涌かせました。

<ベース・宮本康幸さんの話>
 
 旅行会社が仕事なので、すぐに応援観戦ツアーを作りましたが組み合わせ抽選会から新宿出発まで70時間しかなく死ぬほど忙しい思いをしました。でも81名の同期生や家族、先輩後輩が参加してくれて助かりました。入場を球場の外で待っていたら、新幹線で駆け付けた今井康人君(昭和57年卒団)がいましたよ。スタンドでは全員が青春まっただ中に戻りました。来年の春の選抜でもやりますよ。往路のバス車中に声援の電話をくれた団員に感謝します。



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