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最近のできごと(2001年1月〜3月) 2000年3月 ●OB総会は6月に開催(2001年3月31日掲載) 2年に1回、春に開催される中央大学グリークラブOB総会・新入生歓迎会は、小川OB会幹事長によれば、諸般の事情により今年6月に開催するとの発表が3月13日にありました。期日は未定ですが、会場は文京区の後楽園校舎の予定です。 ●第1回男声合唱フェスティバルには2曲を出品(2001年3月28日掲載) 東京都合唱連盟が主催する初めての「男声合唱フェスティバル」(東京文化会館、10月14日開催)には、過去の東京都合唱コンクールでも2位になったことのある「ふるさと」(室生犀星作詩、磯部俶作曲)と「Die Nacht」(F. シューベルト作曲)を演奏することとしました。 ●CD第4集(第12回演奏会)を団員に配布(2001年3月28日掲載) 3月27日の練習日に昨年11月に開催された第12回演奏会を収録した待望のCDが、演奏会実行委員長の高木辰夫さんから団員に配布されました。団員には演奏会会計から補助金もあり、2枚1組で2000円。それ以外の希望者には税込みで3000円で配布されます。 すでに他団体の方々から10件も申し込みがあり、代表幹事から全国に発送されます。植地さん、宮本さん、菊地さん、島田君、大山さん、山下さん、仲俣さん、井上さん、川津さん、長らくお待たせしました!! ●団旗が再び完成、管理の野口五郎さんへ(2001年3月28日掲載) 昨年11月の第12回演奏会直後に行方不明となった団旗は2月27日に再び制作をすべく決定し、前回の担当者だった大丸武徳さん(トップテナー)に依頼していましたが、3月27日にめでたく納品されました。練習場で代表幹事が大丸さんから受け取り、団員の前でこの程管理者に委嘱された野口五郎さん(セカンドテナー)に引き渡されました。厳重な管理を委嘱された野口さん、普段のきまじめな表情がより真剣味を帯びたのは気のせいでしょうか? 再度のご面倒をかけてしまった大丸さん、本当にありがとうございました。 ●団の備品管理者が決まりました(2001年3月28日掲載) 3月11日の日曜練習時に、以下の通りに決まりました。
●塩田勝彦さん、いよいよ単身赴任で茨城へ(2001年3月26日掲載) セカンドテナーには欠かせない最重要メンバーの一人、塩田勝彦さんがいよいよ初めて単身で茨城県の新しい職場に赴任することとなりました。引っ越しは3月29日(木)。すでに荷造りも終わり、奥方と自宅で感慨に浸っているとか。新しい住まいは茨城県土浦市荒川沖という、何やら絶海の離れ小島みたいな名前の所です。 インターネットで「荒川沖」を検索すると、どうやら駅東口に長崎屋が一軒あるだけです。その他では1997年度の地価下落率では地方圏でワースト第6位(前年比▲15.5%)に堂々ランクイン(当時の国土庁土地局地価調査課調べ)。バブル期にはここも地価上昇に踊ったようです。ちなみに僅差の下落率ワースト5位は、山梨県山中湖村(同▲15.7%)でした。利殖目的で数年前に買った都内のマンションを手放してここにセカンドハウスを構えてみようかと考えているかも知れません。ただし東京まで60kmあることが決心を鈍らせているかも。日曜練習と合宿への参加、お待ちしています。お元気で!! ●第一回男声合唱フェステイバルに参加を決定(2001年3月14日掲載) 今年の10月14日に、第一回男声合唱フェスティバルが東京都合唱連盟主催で開かれます。3月11日の日曜練習と同13日の定時練習で参加を団員に諮ったところ、同意を得ました。当日は合宿の2日目に当たりますが、午前中に練習を切り上げて会場の東京文化会館に出かけることとなります。 開催要項は http://jcanet.or.jp/tokyo/male.html をご覧下さい。 ●3月11日に臨時総会。満場一致で依田安弘さんを団長に選出(2001年3月11日掲載) 9時30分の開始時間が近くなってもバリトンは自分一人しかいないことに気がついた江畑忠夫さんは昨年の合宿時にも同じ事があったことを思い出し、そわそわ。「もうこうなったらハギちゃん(萩原利治さん)でもいいや」とヤケクソ。その直後に熊木さん、井上さんらが現れ命拾い。 あと1ヶ月に迫ったさいたまスーパーアリーナでの演奏会のための練習(日本歌曲、オペラ合唱曲など)が主となりました。 午後に開かれた臨時総会では満場一致で新団長に依田安弘さん(セカンドテナー、1962年卒)を選出し3ヶ月近い団長空位に幕。さらに依田新団長の指名で、新設の副団長には代表幹事兼務の丸亀英雄君(ベース、1972年卒)の就任を了承しました。 <依田新団長の話> 思いも掛けないことで団長をお引き受けすることになった。前団長の石井さんに比べれば経験も短くどこまで貢献できるか分からないが、長年楽しんだ合唱と白門グリークラブに恩返しするつもりで取り組みたい。団員の皆さんのより一層のご協力をお願いしたい。 ●北京演奏旅行は11月初旬に出発を決定(2001年3月11日掲載) 臨時総会では、懸案の北京演奏旅行の出発日がおおよそ固まりました。2回に及ぶ団員アンケートの結果、30名と一番参加希望の多かった本年11月3、4日を含む5日間で北京、上海を巡ることとしましたた。藤澤賢治さん(トップテナー)からは「ぜひ上海でも演奏会を」との希望も出たが、実行委員会で検討することとしました。 ●臨時総会迫る。依田安弘さんを候補として発表(2001年3月10日掲載) 団長を選出する臨時総会が明11日に開催されます。それに先立ち、3月6日の定時練習で団長選考委員長の高木辰夫さん(セカンドテナー)から、「委員会の一致した意見で、団長に依田安弘さん(セカンドテナー)を推薦する」と発表されました。すでに依田さんからは受諾の意向が伝えられており、総会では満場一致で承認されると見られます。副団長は依田さんから指名をうける団員が就任する予定です。 当日出席できない塩田勝彦さんら団員からは、代表幹事に一任するとのメールを4通受け取っています。 ●北京演奏旅行の出発日を総会で決定に(2001年3月10日掲載) 2回のアンケートで団員に希望を確認した結果がほぼ固まりました。演奏旅行実行委員会の話によれば本年11月3、4日を含む5日間に最も多い希望が寄せられたとのことです。臨時総会で最終的に決定される予定です。
<小田急・前橋さんの話> 上司が白門さんの団員で合唱をしていることはよく社内でも知られています。ホームページも拝見させていただきました。少しでもお力になれればと思っております。北京公演旅行の成功をお祈りいたします。 ●団長候補が受諾、3月11日に臨時総会で承認へ(2001年3月3日掲載) 既報の通り団長選考委員会(7名。委員長:高木辰夫さん)は次期団長候補を一人に絞り込みました。3月2日、その結果を候補ご本人に伝え応諾を打診したところ、受諾の意向を確認しました。また高木委員長は、「副団長候補は新団長が指名し、これを総会が承認することとしたい」と語っています。 現在他に立候補者もなく、3月11日の日曜練習のミーティングを臨時総会として選考委員長から候補者を発表し、団員の承認を得られる運びとなりました。 2000年2月 ●塩田勝彦さん、単身赴任で茨城へ(2001年2月27日掲載) セカンドテナーの塩田勝彦さんが4月1日付けの勤務先人事異動で茨城県敷島郡にある茨城工場長として単身着任することが明るみに出ました(2月27日日経新聞朝刊)。ご本人は「今年は異動になりそうだ」と何か予想はしていましたが、まさか工場長とは、と意外な表情。 「これから毎週の定時練習の出席は無理だろうが、日曜練習と合宿には参加する。団員として今後も活動したい」と練習中に挨拶があり、全員が激励の拍手を送りました。気になるのは自宅のある狭山市内で公文塾を経営する奥方の反応でしたが「それが、オレの単身赴任を特段気にしてないようなんだ」と塩田さんは苦笑い。隣町の土浦で某電線メーカーに勤務する昭和44年卒同期の高山宏さん(セカンドテナー)のすぐ近くですね?、との質問には「あそこよりは東京に近いんだ」と妙なところでムキになっていました。 ●団旗の再制作を決定(2001年2月27日掲載) 昨年の第12回演奏会の直後に開かれたレセプション時を境に行方の知れなくなった団旗。実行委員ら関係者やティアラこうとうにも照会し調査をしましたが、今に至るまで行方不明です。 今年は北京演奏旅行もあり、今後とも団のシンボルとして必要なため27日の練習時に代表幹事から団員の意見を聞いたところ、「残念だが、そのままにしておくわけには行かない」との声が多く、改めて制作をすることとしました。 それにしても折り畳めば薄い布きれに過ぎない団旗はともかく、かさばるアルミ製のポール一式まで一緒にレセプション会場から見あたらなくなるとはどうしたわけでしょう。第2次大戦中に忽然と消えた「北京原人の頭骨」なみのミステリーです。 ●今年も無言忌に参加を決定(2001年2月27日掲載) 今年も6月5日に「無言忌」が開かれます。無言館館長の窪島誠一郎氏の話では今後は曜日に拘わらず毎年6月5日に開くとのこと。昨年は依田安弘さんはじめ有志が参加しましたが、今年は織山幸雄さん(トップテナー)が団長を務める我孫子市の男声合唱団レオーネ13名の参加も見込まれるので、今年も当団は公式行事として参加しようとの代表幹事からの提案が了承されました。今年の6月5日は火曜日、今のところ10名余りが参加を表明しており、レオーネや地元の上田グローリア合唱団男声部と共に歌うことになります。 ●現役学生の演奏会CD発売開始。初日は17枚販売(2001年2月27日掲載) 2月27日の練習会場に中大グリークラブ演奏会マネジャーの辻智則君(2年・ベース)が早々と現れました。何事か、と訝る団員達を前に「昨年の12月15日の創団50周年記念演奏会のCDが出来上がりました。一枚3000円です、買って下さい!!」、情感切々とキャンペーンを開始。そのうちに卒業を目前にした肥田君や部長の堀川君も加わり、無言の圧力。「なくならないうちに10枚買おうかな」など、サクラとおぼしき西山和夫さん(セカンドテナー)や坂田信一さん(ベース)のクサい演技も功を奏し、瞬く間に17枚が売れました。2ヶ月そこそこでよく発売に漕ぎ着けたものです。販売終了後に辻君に「作りすぎたんじゃないのかい」というキツーイ一言も飛び出しました。 ところで現役の1ヶ月も前に演奏会を行った我々のCDは、一体いつ出来上がるんでしょうかね? ●団長選考委員会が開かれ、最終候補者を絞り込み(2001年2月27日掲載) 2月27日午後6時、定時練習に先立ち団長選考委員会が、高木辰夫(選考委員長)、井上博之、江畑忠夫、城所英嘉、塩田勝彦、岡部裕章、桜井正夫の全委員と代表幹事(宮本康幸)の各氏が出席して渋谷で開かれました。かねてより名前の挙がっている候補や委員から推薦する団員約10名について「品定め」が慎重に行われ、1時間の検討を行った結果、最終候補1名に絞り込まれて、選考委員全員の賛成が得られました。副団長候補については団長候補が受諾してくれたときに指名して貰う、という提案をすることとしました。 明日の2月28日石井相談役、代表幹事らに選考結果を連絡し、ご本人に内示するという手続きを経て臨時総会にて議決することになるでしょう。 ●石井さん、日曜練習と勘違いしオリンピックセンターへ(2001年2月25日掲載)
冷え込んだ2月25日、日曜の朝。管理人が遅い朝食を済ませて新聞を読んでいた10時32分、石井秀之相談役から電話がありました。何だろ、と思いながら家人から受け取った電話に出ると、 「今日は日曜練習じゃなかったっけ?」とお尋ね。今、代々木オリンピックセンターにいるのだが、とのこと。あれ、そうだったかなと自分でも不安になり電話の子機を持ったまま2階の自室に上がり、朝から開いていた白門のHPで確認したところ、該当の練習はなし。 「オレの手帳には今日が日曜練習になってるんだ・・・。さっき来て利用掲示板を確認したら、どこにも白門の名がないんだよ」 「で、誰かいるんですか?」 「いや、誰もいないなあ」 念のため私も手帳で確認しましたが、もちろん書き込みはなし。この先の日曜練習でも25日にあたる利用は見あたりません 「そうか、勘違いか・・・。でもボケて忘れてしまうよりはいいか」と妙な言い訳をしながら電話はおしまい。帰宅したら喜美子夫人に「あなた、何やってんのよ」と冷やかされることは間違いないでしょう。寒い朝からご苦労さまでした! ●白門ホームページ移転で、団員に”廃止したのか?”と混乱の声(2001年2月24日掲載) 1999年4月に開設した「音楽の季節風」では白門グリークラブのHP(ホームページ)のほかに、石井前団長が主宰する「東京ホームコンサート倶楽部」と小山章三先生の随筆「国立音楽情報」という3つのコンテンツが同居していました。しかし白門グリークラブのHPはデータ更新の度に演奏会の写真はじめ大容量のデータが蓄積され、プロバイダ(ソニー系のSonet)から提供されている5MB(メガバイト)ではすでに上限一杯に近づいており、過去に2回ほど古いデータ(音研OBジョイントなど)を削除するハメになりました。 しかしHPといえども団の記録です。管理者の命ある限りすべてのデータを閲覧できるようにしなければなりません。そこで50MBという大容量を無償で提供する新たなプロバイダを見つけ、1月中旬から移転の準備を進め2月12日に移転を完了、リニューアル・オープンしたわけです。音楽の季節風のトップページはそのままにし、白門グリークラブのバナーも同じにしてあるのでそれをクリックすれば以前と同様に、新装なった白門グリークラブHPにジャンプ出来るようにしたので、何の問題も起きないと勝手に思い込んでいたのです。 事実、何人かの団員からは「移転したんだね」、「きれいで見やすいよ」との声も寄せられていました。
この文字は普通にPCを使っているときはほとんどと言っていいくらいに使用することはありません。私も初心者だった過去に困ったことがありました。現在でもURLを入力するときにしか使わないものです。勝手な思いこみを大いに反省、お二人にはお詫びと共に新しいURLと、「波形」の入力の仕方をご連絡しました。 ●北京演奏旅行は再アンケート配布で(2001年2月21日掲載) 既報(2月14日)のように出発日や日程はアンケート最終結果(2月19日付集計)多数を占める希望が出ませんでした。そこで演奏旅行実行委員会では「絶対に参加が出来ない出発日はどれか」という単純なアンケートを改めて2月20日の練習時に配布しました。さてこれで結果が出るでしょうか。出ないと困るのです。 ●団長選考委員会を2月27日に開催決定(2001年2月14日掲載) 昨年暮れに退任した石井秀之団長(現相談役)の後任と、新たに設けられた副団長の候補を絞り込む初めての選考委員会が2月27日(火)午後6時から渋谷で開催されることになりました。今のところ立候補者はなく、「若返りを」(石井前団長)との希望に添って選考が行われると見られます。選考委員は高木辰夫、桜井正夫、塩田勝彦、井上博之、江畑忠夫、城所英嘉、岡部裕章各氏の計7名。いずれも当団の英知と良識の持ち主であり、公平な審議で最終候補が絞り込まれることは間違いないようです。 ●団員10名が岩井利彰さんに写真集のプレゼント(2001年2月14日掲載) ●第3回北京演奏旅行のアンケート実施、混迷の様相を(2001年2月14日掲載) 昨年暮れの総会で了承された北京演奏旅行の参加を確認するためのアンケートを実施中です。日程案3コース、出発候補日3つを練習会場で直接配布したほか、電子メール、郵送などで団員に渡す一方、回収が進んでいます。普段は練習に参加できないわかいOBも3人参加の意欲を示していると、森田音楽監督からの嬉しい情報ももたらされています。 今のところ、「北京・蘇州・上海5日間」と「北京・上海5日間」がそれぞれ20名以上の参加が見込まれます(複数回答のため、回答延べ数が団員数を上回る)。しかし、問題なのが肝心の出発日です。11月の2回の連休、そして北京国際放送が望んでいる12月3日を含む出発日のいずれもがほぼ同数の結果であり、あと8名の未回収団員の結果待ちです。このままでは多数を占める出発日が決まらない可能性もあり、場合によっては「絶対に参加が出来ない出発日はどれか」に的を絞っての再アンケートをすることになります。 久々の海外演奏旅行に、今まで以上の団員の意欲が感じられます。 ●今年度の練習計画(2001年2月4日掲載) 2月1日に9月以降の練習会場予約を完了しました。森田音楽監督、技術スタッフ(高木辰夫さん)とも調整済みです。9月から11月、そして北京演奏旅行までは大変忙しくなりそうです。
●北京演奏旅行の団員アンケート配布を開始(2001年2月4日掲載) 昨年12月の総会で了承された「北京演奏旅行」は、依田安弘さんを委員長として実行委員会も発足しました。出発日、日数、訪問地など団員の要望をなるべく取り入れるためにアンケートを作成し、1月30日(火)から団員に配布を開始しました。 1月 ●岩井利彰さんの次男、哲くんと圭子さんの結婚披露宴出演(2001年1月20日掲載) 今年最初の行事として団員32名が1月20日、東京・東中野の日本閣ファンタジアでの披露宴に駆け付けました。集合時間の午後5時前から雪・・・。会場1階の「サロン・ド・ル・ォーベルジュには新郎新婦のご両親、ご家族や来賓が多数出席しました。 5時40分から新郎の父、岩井利彰さん(バリトン)もモーニング姿で加わって「いざ起て戦人」、「オーラ・リー」。そして岩井さんにとっても初めての指揮で「はるかな友に」。長い闘病生活が続いていますが、この日に備えて副指揮者の藤澤賢二さんに密かに教授されたという指揮ぶりは緊張の中にも「幸せ一杯」の父親の姿そのものでした。「斉太郎節」では手拍子を交え、さらに岩井さんから、もう一曲頼むよ、と言われアンコールの韓国民謡「サランヘ」を歌いつつお二人のこれからのお幸せ、そして岩井さんの回復を心から祈ったのでした。 ●中国演奏旅行の実行委員に依田安弘さんら4名を選出(2001年1月20日掲載) 昨年暮れの総会で正式に実施が決まった2001年秋の中国・北京演奏旅行は、当初11月中の実施を目指していました。しかしこのほど喜美子夫人と訪中した石井秀之相談役(前団長)の話によると、12月3日が北京放送創立50周年に当たるため、中国側はこの日に合わせて訪問してくれるとありがたい、とのこと。 そのため演奏旅行実行委員会を立ち上げることとし、1月16日、委員長に中国側と太いパイプのある依田安弘さん(セカンドテナー)、委員に長老の一人、井上博之さん(バリトン)、代表幹事の丸亀英雄さん(ベース)、同じく宮本康幸さん(ベース)の4人を選出し、今後の具体的企画を進めてもらうことにしました。 ●2001年度行事・合宿・日曜練習計画(2001年1月20日掲載) 今年の練習も始まりました。今年度の活動計画(案)は以下の通りです。 さて代々木のオリンピックセンターのセンター棟にあった音楽室は8月ですべて廃止され、新設の「カルチャー棟」に移されます。9月以降の合宿・日曜練習の予定会場である予約は2月1日に開始されます。そのため以下の計画のうち合宿、日曜練習日は7月までは確定ですが、それ以降は予約開始後に技術スタッフ(高木チーフ)から発表されます。
●岩井さんのご次男、哲くん結婚披露宴への出演要領(2001年1月14日掲載) 本年最初の公式行事は1月20日、めでたい結婚披露宴です。会場、集合時刻、曲目などは次の通りです。 会 場 東中野・日本閣 東京都中野区東中野5-1 電話03−3367−2222 交 通 JR東中野駅新宿寄り出口徒歩1分 都営12号線東中野駅では、A1出口徒歩3分 集合時刻 2001年1月20日(土) 同所ロビーにて、午後5時00分 曲 目 「いざ起て戦人」、「オーラ・リー」、 「はるかな友に」(岩井さんが自ら指揮する予定) 「斉太郎節」、もしアンコールなら「サランヘ」 服 装 ユニフォーム上下、赤紺のネクタイ ●男声合唱団"漢(仮称)" 第2回不定期演奏会の開催(2001年1月5日掲載) さて今年初めてのニュースは我が白門グリークラブではなく、第12回演奏会で現役学生として参加してくれた島田龍之クンが所属する男声合唱団"漢(仮称)"の「第2回不定期演奏会」(団名と言い、演奏会名と言い、トンデモネー連中だ)開催のお知らせであります。 トンデモネー連中なので、詳しくはここに書きません。彼らのホームページを見てやって下さい。いつまでたっても正式団名が決まりそうにないこの奇妙な名前の合唱団は島田クンの母校、八王子東高校のOBで結成された極めてまともな団体であり、演奏曲も多田武彦作品や田三郎作品などです。 なお島田クンは2ヶ月後には卒業して、さる民営鉄道(東○急行電鉄)に入社するそうで、この演奏会が学生として最後の演奏会となります。当日暇な大半の白門グリークラブ団員はこぞって来場されたし!!! 管理人は自宅からチャリで行きます。
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