2001年
11月

●塩田勝彦さんご長男結婚披露宴にも31名が出演
(2001年11月25日掲載)
 3連休の最終日、11月25日に築地の老舗料亭「治作」で塩田さんのご長男和弘さんと弘美さん(旧姓横堀)の結婚披露宴が開かれ、石井相談役、依田団長ら31名の団員、指揮者が参加しました。「治作」と言えば水炊きで知られる名店。さすがに宴席には水炊きでなく別なお料理が乗っていましたが。
 お嫁さんのお色直しに殊のほか時間がかかり、我々が2階の宴会場(2室ぶちぬき)に入ったのは午後3時40分ころ。畳の部屋に真紅の絨毯が敷かれていましたが、気になったのは建物の強度です。建物そのものは明治末期のもので、昭和6年から料亭として使用されている(岡部裕章君情報)そうで「歴史遺産」級の建物。およそ12畳のスペースに31人(あの小川さんを含みます)が乗りましたので、管理人は気が気ではありませんでした。畳が床ごと抜けたらどうしようか、と。幸いなことに杞憂で、団員は「いざ起ていくさびと」、塩田さんのソロの入った「大島節」、「遥かな友に」と「斉太郎節」を演奏できました。
 モーニング姿の塩田さんからは演奏直前に「いいか、大島節はいきなりオレを指名してソロをやらせる、、という設定で頼む」と虫のいい依頼が。もちろん演奏時には「では、突然ですが新郎の父にソロを・・・」と紹介して塩田さんもあのテナーを存分に聴かせました。その直後にご出席者にはばらしてしまいましたけど。なお建物の中庭は大きな池となり、滝の音の中に無数の錦鯉が遊弋するという大変粋な雰囲気でした。ちなみに水炊き料理のコースはお一人15,000円からという高級料理店で、われわれのポケットマネーでは敷居が高すぎるようです。
 塩田さんご夫妻、今日は本当におめでとうございました。散会後、藤沢、西山、柴田、萩原さんら8名は料亭の電話帳で探した八丁堀の雀荘へ。犠牲
者は誰だ? 清水軍治さんは風邪でお休み。
 なおご長男夫婦の新居は、塩田さんが節税対策で5年程前に買った中野区のマンションです(あ、余計な情報でしたかね)

●熊木宏儔さんご子息結婚披露宴に31名が出演
(2001年11月24日掲載)
 よく晴れた11月24日(土)、町田市のホテル・エルシイにてバリトン熊木宏儔さんのご子息宏さんと権正ユキさんの結婚披露宴が開かれ、団員31名がお祝い演奏に参加しました。管理人は住まいの国立から南武線、小田急線と乗り継ぐつもりが乗り換えの小田急・登戸駅でうっかり新宿行きの急行に乗ってしまいそのまま成城学園前まで・・・。登戸駅は工事中で現在はホームが一本のみ。それに気がつかないでいつもの下り急行と思ったのが間違いの元でした。幸いに集合時間を早めに間違えていたので遅刻はせずに済みましたが。
 さてご披露宴は120名様という最近珍しい大型宴会でした。新郎と控え室に挨拶に来た熊木宏儔さんはモーニング姿が中々に似合っており、堂々とした「皇帝ペンギン」。団員の中に交じり、「いざ起ていくさびと」、「箱根八里」、「オーラ・リー」、「斎太郎節」をお祝いにお贈りしました。
 明日はセカンドテナー塩田勝彦さんのご長男の結婚披露宴で、会場はなんと築地の料亭「治作」です。このため、セカンドテナーの西山和夫さんはじめ数名は町田近くのホテルに泊まり明日に備えるとか。多分、今ごろ(23:35)はどこかで酔っ払いながら発声練習をしていることでしょう。


●今年度の総会・懇親会は12月16日、御茶ノ水にて開催
(2001年11月23日掲載)
 
いよいよ今年もあと1ヶ月余りとなりました。今年度の総会懇親会は以下のとおりに開催します。
 期日 2001年12月16日(土)
     総会   午前11時00分〜午後1時00分
     懇親会  午後1時30分〜午後4時30分
 会場 御茶ノ水「ナポリの下町食堂」
 交通 JR御茶ノ水駅・御茶ノ水橋口から明大通りを1分
 会費 団員・OB 7000円、家族・友人3000円(家族は何人でも3000円どまり)
 議案の提出 12月11日(火)まで書面にて代表幹事(丸亀、宮本)まで。

●第3回中国演奏旅行を実施、ウェブで特別企画を
予定(2001年11月23日掲載)
 1988年11月以来13年ぶりに石井秀之相談役を旅行団長として団員26名、指揮者、ピアニスト、家族ら41名が11月2日に成田を出発、11月3日には北京市にある中国國際広播電台(China Radio International)大スタジオで特別番組に出演し9曲を演奏しました。
 編集部では今回の演奏旅行の特別企画として「中国演奏旅行 感動の大地」制作を発表。参加団員からの寄稿と写真を募集中です。筆の遅さか、文才のなさか、はたまた多忙からか現在6名の団員の原稿が到着したのみ。全面公開は12月下旬になる予定です。

11月2日夕刻に天安門広場に到着。後方はイルミネーションの点いた天安門(午後6時10分)


9月

●中国演奏旅行日程(2001年11月2日〜6日)決定
(2001年9月28日掲載)

 9月18日の練習時に、中国演奏旅行実行委員会から旅行日程が正式に発表されました。
 現在のところ団員26名、指揮者、ピアニスト各1名、家族14名の合計42名が参加する予定です。
月  日 都 市 時  刻 交通機関 日        程
 1   2001年
 11月2日(金)


 成 田 発 
 北 京 着
 

10:45
13:25



NH905
専用バス

 集合は08:45(予定)

 全日空905便で中国の首都・北京へ3時間40分

 入国手続後、北京内観光(天安門広場、故宮など) 
 夕刻に北京市内のホテルに到着

 夕食:市内レストラン         
                    京瑞大酒店泊
 2  11月3日(土)  北京滞在  
専用バス

専用バス
 朝食:ホテル
 午前中は北京郊外の万里の長城観光
 昼食:途中のレストラン

 午後は中國國際放送(北京放送)へ
 局内見学、ラジオ公開番組に出演し演奏
 夕食:北京放送主催の歓迎夕食宴
                    京瑞大酒店泊
 3  11月4日(日)  
 
 北 京 発
 上 海 着 


09:55
12:00


専用バス
MU5154



専用バス
 朝食:ホテル
 北京国際空港へ
 中国東方航空で上海へ、約2時間

 到着後、昼食:市内レストラン

 午後は市内観光(豫園、上海博物館、外灘南京路など)

 夕食:市内レストラン
                    王宝和大酒店泊
 4  11月5日(月)  上海滞在  写真は
蘇州
市内の
運河
 朝食:ホテル
 終日フリータイム
 OP:ご希望の方は「蘇州一日観光(昼食付き)」へ
 お一人9,000円(往復は列車、又はバス)

 昼食:フリータイムの方は、なし
 夕食:市内レストランで打上げ宴会
                    王宝和大酒店泊
 5  11月6日(火)  
 

 上 海 発
 成 田 着



15:00
18:45


専用バス

NH920
 朝食:ホテル
 正午ころまで自由行動
 上海甫東国際空港へ

 全日空920便で空路、帰国の途に
 強い西風を受けて2時間45分で到着。解散

 ● 旅行費用
   お一人 149,000円

 ● 費用に含まれるもの
   往復の国際線運賃(成田/北京、上海/成田)、中国国内線運賃(北京/上海)エコノミークラス
   中国内の空港税(140元:約2,340円)
   北京2泊、上海2泊のホテル宿泊費用(2人一部屋)
   日程表に記された食事費用(朝食4回、昼食3回、夕食4回)、うち一夕食は北京放送が主催
   日程表に記された貸切バスによる空港/ホテル間、ホテル/レストラン間の送迎
   貸切バスによる市内観光(北京、上海)2回
   送迎・市内観光中の日本語ガイド
   団体行動中のチップ、ホテルポーター料

  ● 費用に含まれないもの
   中国団体査証取得費用(実費1,575円と代行手数料2,100円の合計3,675円)
   成田空港施設使用料(おひとり2,040円)
   個人的費用(食事中の飲物、電話代、土産物代など)
   フリータイム中のオプショナルツアー参加費用(蘇州1日観光9,000円)
   北京放送関係者への土産品代(団の一般会計から支出)


●依田団長と宮本幹事が小川さんを見舞う(2001年9月24日掲載)
小川さん 依田団長 宮本幹事
 
 前日に続く快晴の秋の日。依田団長と宮本代表幹事が腰の手術が無事すんだ小川勝彦さん(昭和37年卒、ベース)を入院先の茅ヶ崎市立病院に9月24日(祝)昼前に見舞いました。面会時間外だったのですが、家族と思われたらしく「今入浴中ですから」と看護婦さんにOKを貰い5階廊下の片隅で待つことしばし。本人に伝わったらしく、看護婦さんから「7階のレストランでお待ち下さい」と言われて移動しました。

 最上階のレストランは南と西に大きな窓があり、南に湘南海岸と江ノ島、西には頂上に冠雪した富士山がくっきりと望めるところでした。あまり美味くないコーヒーを飲んでいるうちに入浴を終えた小川さんが「見舞客が来ているとは聞いていたけど」と笑いながら現れました。腰には合成樹脂製の大きなコルセットを巻いたままでしたが、極めて元気そうで歩行補助具もなし。ひとしきり手術前後の話(4本足のテーブルをひっくり返したような奇妙な形の手術台、術後2日間は切開部が痛くて寝られなかったこと、5kgも痩せて術前に作ったコルセットが緩くなってしまったこと)や、最近の白門の活動や合宿など情報を交換しました。
 
 話には聞いていましたが、大変な難手術で現在は脊椎の間に腰骨を削ってチタンの袋に入れたものを2本差し込み、さらに上下の骨と骨を一枚の板で裏打ちしてボルトで固定したそうですが、今後は強く腰を捻るような運動は厳禁。「好きなゴルフももうやれないなあ」と残念そうな小川さんでした。  「明日(9月25日)に退院します。大勢の団員にご心配いただき恐縮です。また見舞いに来て下さった方々に礼を言いたいのだけれど、まだ当分練習には行けませんので、皆さんによろしく」との伝言でした。

 病院を後にした依田、宮本両氏は茅ヶ崎駅ルミネのレストランで昼食。依田氏はその後、好子夫人と出かける道南の旅に羽田空港へ。この日は夕刻に函館空港着、函館山からの夜景を楽しんだ後に大沼プリンスホテル泊、2日目は噴火湾沿いに団体バスで長万部を経由して北上しニセコ泊。3日目は小樽、札幌の自由行動とか。宮本氏は東京・東麻布にある菩提寺(浄土宗心光院)にご先祖の墓参りへ。


●秋の合宿を9月22,23日に開催(2001年9月23掲載)
 9月22日の練習風景(中音楽室43号室)  
 








 23日1時にお出でに
なり団員との懇談に臨
んでくださった中島先生
 今年3回目の合宿が代々木オリンピックセンターのカルチャー棟43、42号室(中音楽室)で開催されました第一日目はどんよりした日、しかし2日目は朝の最低気温が16度まで下がり、日中は快晴となって音楽室からはくっきりと富士山が望めました。

 練習曲目は間近に迫った中国演奏旅行、男声合唱フェスティバル向けの曲が中心となりましたが、来年の第13回演奏会にかけるシューマン、ショパンの男声合唱曲、章ちゃん作曲の「しなの川」、そして「酒を讃える萬葉の歌」、「旅 山頭火」など広範囲に渡る充実した内容となりました。

 藤澤副指揮者の発案で1日目の夜は抽選で組み合わされた4組のダブルカルテットでシューベルトのDie Nacht聞き比べが行われ、練習不足を露呈するK氏、のっけから音程の悪さを注意される某団員など様々でしたが興味深い試みでした。

 練習終了後は各部屋で酒を持ち込んだ恒例の懇親会。209号室では石井、宮本、小松、高山、中村、辰巳、坂田、丸亀ら各氏が集まり現役時代の石井さんに関する思い出、自分と音楽との初めての関わり、中大グリーになぜ入団したかなど、わいわいと23時まで懇談。

 今回は白門グリークラブ合宿には珍しく、女性のゲストお二人を2日目に迎えたことも特筆されます。そのうちのお一人は作曲家、中島はる先生。もうお一人は北京放送元職員で現在は日本で米国系IT企業の立ち上げ中である女性キャリアウーマンの王倍(ワン・ベイ、倍にはクサカンムリ付き)女史でした。

 中島先生は東京芸大楽理科卒、当団が練習中の曲は男声合唱としては初めての曲であり、初演は楽友三田会合唱団(慶応大学の混声合唱団)男声部が初演したものですが、後半に加筆されているので我々が来秋に改訂版初演となるようです。目黒区にお住まいの中島先生には森田音楽監督が電話で来駕をお願いしたのでお年もお姿も想像するだけしかなかったのですが、小柄でほっそりしたお姿は「楽理」を専攻されただけあって静かな学者の印象を感じさせました。

 練習室では自己紹介の後、シューベルトのDie Nachtの演奏で歓迎。「酒を讃える萬葉の歌」、「旅 山頭火」の作曲の意図などについて団員からの質問に答えて下さいました。「実は私、これまでは白門グリークラブを知りませんで、出版社に尋ねたところ”大変な名門合唱団である”と聞きました」ともったいないお言葉。S団員からの「万葉の歌は酒に因んでいますが、先生は召し上がるんですか」という質問には、「はい」ときっぱりお答えで、いたく団員達を喜ばせました。せっかくの機会なので先生の作品を(まだまだ譜読みの段階でしたが)一通りお聴きいただきました。

 出来の悪い団員相手に(王女史)
 
 その後の午後3時に登場した2番目のゲストは、白門グリークラブとは第一回の北京演奏旅行(1985年)以来16年ものお付き合いの王小姐。中大大学院で学んだこともあり、愛称はべーちゃん。ご主人はイギリス人で玉川学園大学の専任講師という国際結婚。今回は、日本で彼女の親代わりになっている石井秀之相談役が中国演奏旅行用の中国語練習のために彼女にお願いして発音指導に来てもらったものです。

 これまでのオペラ合唱曲では英語、仏語、ドイツ語にはある程度親しんではいるものの中国語はほとんどの団員が本格的に取り組むのが初めて。日本語にはない難しい発音が多く、とてもカタカナでは表記できないものに団員は悪戦苦闘。しかしべーちゃんはニコニコと丹念に1時間40分にも渡って予定された3曲すべてを指導してくれました。最後に「今日の出来は?」と問われて、「95点ですねえ!」とかなり甘い点を付けてくれました。叱って育てるより誉めて育てよ、ですね。さて今日の成果はいつまで持つことか?

 2日目午前のミーティングでは主に中国演奏旅行のことが宮本代表幹事(実行委員)から報告されました。今日現在団員23名、指揮者、ピアニスト各1名、家族14名の合計39名に達しています。ただし当初参加を予定していたトップテナーに不参加が相次ぎ、依田委員長ら3人の実行委員はまだしばらく苦悩する日が続きそうです。




●北原白秋の詩集「海豹と雲」の初版本発見(2001年9月23日掲載)

 本年10月14日に当団も参加して東京文化会館(小ホール)開催される東京都合唱連盟主催・第一回男声合唱フェスティバルで歌われる合同合唱曲「海豹と雲」(多田武彦作曲)の詩集初版本が、当団文芸誌「来ぶらり庵」編集長の高木辰夫さん(トップテナー)の蔵書の中に発見され、合宿のミーティングで団員に現物が披露されました。

 高木氏によると、学生時代の昭和33年(1958年)、多田作品である組曲「月夜孟宗の図」を歌ったことがあり、たまたま当時東京・神田の古本屋でこの詩集を見つけ、「月夜孟宗の図」は詩集「海豹と雲」の一節であったことを知りました。氏は2000円という大枚を叩いてこれを買い求めました。当時の大学卒の初任給が1万円だった時代に思い切ったことをしたものです。以来43年振りにこの詩集が話題となり感無量とのこと。本書は昭和4(1929)年8月28日発行 定価4円80銭、アルス社刊。1929年と言えばニューヨークで株式大暴落が起き、世界恐慌の始まった年です。

 「今ならいくらで売る?」という冷やかし半分の質問には「5万円かな・・・」と遠慮がちに答えていましたが、それにしても43年も前に買った本を愛蔵し続けたことにも団員一同大きな感銘を受けました。編集子は引越の度に蔵書を泣く泣く整理したり、図書館に寄贈したりで読書家を自称してはいますが、蔵書家でないのが残念です。

(写真は詩集初版本を持つ高木さん。右下は表紙見開き)






●秋の日曜練習は真新しいカルチャー棟で開催(2001年9月9日掲載)
 秋初めての日曜練習が新装なった代々木オリンピックセンターのカルチャー棟43号室(中音楽室)で9月9日に開かれ、団員30名が参加しました。
 今までの音楽室の倍以上の広さがある音楽演劇室はさすがに設備が整い、セミグランドピアノ(カワイ)、MD、CD、カセットテープの再生装置と2台のスピーカー(BOSE)があります。それに団員にとって嬉しいのは譜面台のあること。折り畳み式ですが、団で購入して演奏会で使うものとは出来が違い、さすがに国の施設である、と感嘆しました。廊下と室内は2枚の防音扉で仕切られており、以前のように隣の練習が聞こえることはありません。ただし、フロアにないのが自動販売機(タバコ、飲物)と喫煙所。
 午前中の練習はシューマン、メンデルスゾーン、中島はるさんの「万葉古歌・大友旅人短歌抄」、午後は森田指揮者の持ち込んだCD(ドイツ歌曲5曲)の試聴、「しなの川」、中国演奏旅行用の曲、男声合唱フェスタの合同演奏曲「海豹と雲」より3曲の譜読みなどかなりのボリュームをこなしました。
 ところで今日の隣の練習室は日本エアロビック協会の方々。数人の男性以外は、レオタード姿のご婦人が数十名。練習合間の休憩が偶然に重なりましたが、普段目にしない健康的な女性の躍動的な肢体が並ぶ廊下では目が眩みそうになり、トイレの用がないのに廊下を何往復もする団員が目立ちました。
 持病の腰を悪化させている江畑さん、ちょっと辛そうでしたね。くれぐれもお大事に。
 16:15終了後に来年の第13回演奏会実行委員会が開かれました。
 9月の22、23日は合宿です。
 本日の頒布物:男声合唱フェスタの合同演奏曲楽譜、同参加要領と参加42団体リスト


●白門グリークラブ初の文芸誌創刊
 デジタル情報が氾濫する世相に密かに危機感を抱いていたアナログ団員達が、かねてより企画していた文芸誌「来ぶらり庵」がついに発刊されました。編集長は高木辰夫さん、ほかに里見圭介、矢澤由行、佐久間英信、西山一夫、萩原利治、加藤政章、柴田鉄義、高木繁雄、志田雄司の各氏が発起人に名を連ねています。偶然でしょうが、この中でPCを扱える人は一人もいません。

 編集長によれば、このウェブサイトに対抗するものではなく、「高齢化の波にさらされた昨今、創立メンバーの記憶と当時の古い記録などを寄せ集め、次世代に引き継ぎたい」とのことであります。創刊号のページは6ページ。随筆、川柳、回顧談などなかなかの充実ぶりです。今後のさらなる発展に期待が寄せられています。その一方、くちさがない白門雀の間では「編集長も発起人も高齢者だけに、この先大丈夫かね」と、早くも危ぶむ声が早くも出ております。

 発起人の意気軒昂。編集部では団員の寄稿を歓迎しているそうです。ただし原稿料は期待しないことです。
次号は今年の年末を予定。


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