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2002年1月-6月
6月


●6月30日、港区音楽連盟ジョイントコンサートに出演
(2002年7月1日掲載)
 ことしで第17回を迎えた港区音楽連盟(中野高治会長、藤井早苗理事長)主催のジョイントコンサートが6月30日、芝のabc会館で開催されました。今年新たに加盟した混声合唱団江原会(県立熊本高校の在京OB)も含めて合計23団体が参加、大勢の聴衆が鑑賞に来場しました。白門グリークラブは25名の団員が参加、@半个亮爬上来 A永遠 B大海阿、故郷を演奏しました。
 団員で連盟前会長の清水軍治さんはこの日の平均年齢の高さを当団と争うのではないかと思われた「童謡唱歌の会」のステージに、アコーディオン伴奏者としても登場、お得意のとちりも織り交ぜ拍手を浴びました。

 ちょうどこの日はサッカーワールドカップ決勝戦(ブラジルVSドイツ)。閉会後は例によって大半の団員が清水邸へ。TV観戦をしながら吟醸酒三本はじめ大量の酒を消費したそうです。依田、丸亀、宮本の3氏は会場近くのレストランで主催者、参加団体代表ら約60名の懇親会へと。
 昨年11月に北京で演奏した中国の3曲を25名で演奏、高い評価を得ました。
 「港区童謡唱歌の会」でもアコーディオンで出演
 した清水軍治さん
 大勢の聴衆がつめかけた芝・abc会館ホール


●元国立音大教授、浅見吉子さんが逝去(2002年6月29日掲載)
第9回演奏会「涅槃の時」で独唱する浅見吉子さん
指揮は作曲者の小山章三先生
(1994年10月22日・石橋メモリアルホール)

 白門床屋談義では6月27日に既報ですが、6月29日付朝日新聞朝刊に逝去の記事が掲載されました(右上写真)


●6月30日は港区音楽連盟ジョイントコンサート
(2002年6月25日掲載)
 今年は久々に新しい団体も参加するようで、例年と同じ港区のabc会館ホールで開かれます。集合通知は「床屋談義」をご覧下さい。

●6月8日、社会人ジャズバンドとジョイントコンサート(2002年6月22日掲載)
 昨年の6月9日に学員会藤沢支部(藤沢白門会)が後援して、学生バンドと社会人バンドとのジョイントコンサートが開かれ、社会人主宰者の小幡さんとは企業グループが同じ関係で(あるいは私の喋り好きが伝わったか)管理人が司会者に起用されました。学生バンドは母校の名門バンド、中央大学スイングクリスタル。それに同部監督の重松さんもフランク・シゲトラというアヤシゲな源氏名でI've got you under my skinを熱唱し、両バンドの熱演もあって大成功でした。

 そんな訳で小幡さんから2002年には白門グリークラブと競演したい、との申し出があり今回の実現となりました。会場は東戸塚駅前にある第一生命教育センターホール(定員400名)。今年は昨年の男性ボーカルに加えて、初めてジャズクラブで活躍する吉澤紀子さんの女性ボーカル、それに白門と往年のジャズコーラスグループGolden Gate QuartetをもじってWhite Gate Quartet(ゲートボールカルテットという陰口もあり)の男声四重唱も、となかなかの盛り沢山となりました。司会は昨年に引き続いて小生。普段の勉強不足も手伝って、ぎりぎりまで準備をしない癖は変わらず。それでも前夜は小幡さんに書いてもらった原稿と、インターネット上のジャズ辞典と首っ引きでにわか勉強となり、当日はいかにも大橋巨泉なみの薀蓄をステージで傾ける図々しさを披露した次第であります。

 ボーカリストの吉澤さんはアマチュアシンガー。しかし小幡氏が太鼓判を押すだけあって、リズム感とジャズに程よくマッチした声質の持ち主でした。彼女のクラブステージを聴きに行くチャンスがあればな、と思います。QTでステージに乗った辰ちゃんはしっかりと彼女に名刺を渡して再会を約したようです。

 吉澤さん、ここへの書き込み待ってマース!!
 終演後の懇親会は両団体のほか、藤沢白門会の加藤会長はじめ大学OB、「動員令」のかかった小田急グループの役員・社員らとともにうまいビールと豪華な料理を楽しみましたが、私はその後もスイングクリスタルの重松述史監督、同部OB(1992年卒)の福澤君、当日の音響を担当した日大ジャズバンド。ドラムスOBの鳥光さん(どうも本当の出身大学はある医薬系大学とのこと)のらと、駅の反対側にある韓国居酒屋で2時間余り痛飲。

6月2日の無言忌に参加、新しい団体とともに演奏(2002年6月22日掲載)
 
4団体が初めての合同演奏 指揮は白門グリークラブ森田敏昭氏  (写真提供:上田グローリア合唱団・山岸明人さん)
(小山章三先生が合唱団員=バリトンとして加わった珍しい写真です。前列右から二人目)

 管理人が05:40に起床して食事をしていたら、予定より15分早くカメ、中村さんが到着。居間でコーヒーを飲んでもらい、拙宅に前泊していた辰巳君とともに06:35に4人で出発。快晴。依田団長、井上さん夫妻、高木繁さんの車と合流し2回の休憩を挟んで09:25上田駅前に到着。ここで章ちゃんと会いました。萩原さんが急に目の前の東急インに駆け込みました。腹でもこわしたのか、と思ったのですが依田団長によれば、ズボンの履き替えとか。最初から穿いて来ればいいのにね。

 新幹線で到着した高山さん、アンサンブル・レオーネのメンバー9人を4台の車に満載して無言館に到着したのは09:50。出演団体は当団13名(森田、織山、中嶋、高山、依田、堤、萩原、石井、高木、カメ、中村、辰巳、小生)のほか、レオーネ10名、地元名門上田グローリア合唱団男声部、そして初参加の信州国際音楽村合唱団VPG男声部の延べ40名余りとなりました。

 強い日差しの中、無言館を背にし、森田さんの指揮で作曲者の章ちゃんもバリトンに加わり、「惜別の歌」と「あなたを知らない」を演奏、次いで信州国際音楽村合唱団VPG混声がグルジア民謡「永遠の命」。独特の発声で驚きましたが、いわゆる合唱団ではなく演劇など多方面のパフォーマンス活動をしているとか(カメ談)。すごい美人が一人混じっていました。美人や外国人をみるとすぐに始まる萩原外交を心配しましたが、催し物の性格を慮ったのか、杞憂に終わりました。

 終了後章ちゃんとともに依田団長、カメら、管理人らは丸子町に近い蕎麦屋「きこりん」でグロリアのメンバーと11月17日の賛助出演の打ち合わせ。ここでのお食事は章ちゃんにご厄介になってしまいました。おいしいお蕎麦とビールでした。章ちゃん、ご馳走様でした。上田駅前まで戻りショッピングプラザ109でみすず飴など地元産品を買って途中渋滞もなく、自宅到着16:45。
依田、堤両氏は藤岡SAで野菜など地元産品を買い込んで帰宅したとのこと。

5月

●5月26日、岩井さんの一周忌を前に有志で墓参に(2002年6月22日掲載)
 写真左上
  駅前に集合した団員たち
 写真右上
  岩井さんの眠るお墓
 写真左
  墓参に参加した団員達

  突然降り出した雨に傘が
  足らなくなり、ビニールシー
  トを持ち出したのでまるで
  盆踊り大会のよう。

 (写真提供3枚:堤浄司君
 岩井利彰さんが亡くなられたのは昨年2001年6月5日でした。先々週の練習日にT1の海外さんから、5月26日に有志で墓参をしたいとの発表がありました。

 当日の15時に京王線の多磨霊園駅前に集合したのは、萩原さん、熊木さん、海外さん、中嶋さん夫妻、城所さん、佐久間さん(団員の佐久間さんでありません)、堤君、それに管理人。バスで広大な霊園裏門(北側)に着いたものの、折悪しく雨が降り出し、うっそうとした木陰沿いに雨をよけながらお墓探し。雨脚は強くなる一方。傘を持っていたのは慎重派の熊木さんのみ。20分近くかけて探し出した時には皆ずぶぬれになっていました。

 遺影を持って待っていた岩井夫人、息子さんと共に焼香して合掌、全員で「はるかな友に」を歌い岩井さんの霊を慰めました。
 帰りのバスに乗るときには雨も上がり、西日が射して東の空には大きな二重の虹が掛かり、誰ともなく「ああ、岩井さんが礼を言っているのかもしれないね」と呟きました。
 堤君と管理人を除くメンバーは新宿で岩井家の方々と偲ぶ会のために武蔵小金井駅でお別れ、私は自宅に堤君を招いて夕食となりました。


岩井夫人ともこさんからのメール転載
 先日は、悪天候の中、主人利彰の墓参りをしていただき、又、思い出の’はるかなる友に’を合唱していただいて有難うございました。
 六月一日(土)、墓前において。一周忌を滞りなくすませることができ、ホッとしております。私にとりまして、長-い一年でございました。いつも、前向きだった主人を見習って、今後も強く生きていきたいと思っております。主人もどこかで、皆様の御厚意を感謝いたし、喜び、そして見守ってくれている事と思っております。

3月

●章ちゃんから花の便りが (2002年3月23日掲載)
 これは3月23日にEメールで届いたもので、無断転載しました。章ちゃん、お許しを!

(以下原文のまま引用。ただしハイパーリンクは管理人が設定)
 我が家の近所にある、真間山弘法寺境内の「枝垂れ桜」をみてきました。お慰みに写メールを添付します。
 *桜の説明札の文章読めますか?<樹齢約400年!>  公園=須和田公園のボケです。私達の大好きな!!
(引用終了)
 添付された写真3点は以下のもので、原寸です。一枚のデータ量は5KBですから、これ以上大きくは出来ません。
 シャープネスをかけてあります。
その枝垂桜です フセヒメザクラ 
樹齢400年とあります
須和田公園の木瓜
※写メールとは携帯電話会社J-PHONEが昨年発売したデジカメ写真を撮影してそのままメールに添付できる携帯電話です。
 管理人も触発されて昨年9月に買いました。章ちゃんはあたらし物好き、好奇心の塊ですね。



 HP作成のためのソフトのうち、ファイルを送信するFTPという機能がうまく働かないことをいいことに、すっかり更新を怠っておりました。重ねて管理不行き届きをお詫びします。(2002年3月21日)

●岡部裕章さん、4月から学生に (2002年3月21日掲載)
 昨年にさる大手書店を早期退職したベースの岡部裕章さん(1972年卒)。しばらく充電期間を過ごしていましたが、かねてからの夢を実現しようと大決心をし、同期生達に大きな感動を与えています。

 「パン職人になるんだ。そのために今年の4月から都内の製菓学校に入学して、1年間の修業をすることにしたよ」
 まだ引退には若すぎるし、きっと何かを始めるに違いないと同期生達は思っていましたが、これには誰もが驚きました。「学割まで使えるんだよ! 定期券もそうだけど、映画だって学割なんだ」と本人は30年ぶりの学生生活が待ち遠しいようです。ちょっぴりシンミリするかな、と思っていた同期生はじめ団員は彼の決意と意欲に大いに励まされました。彼の奮闘と成功を祈りましょう。


●依田団長、元気に復帰! (2002年3月21日掲載)
 軽い脳梗塞で都内の病院に入院していた依田安弘団長は約3週間の入院を終えて2月下旬に無事退院しました。病院での健康管理、食事管理もあって少しだけ細くなって登場。3月2-3日の合宿2日目にも姿を見せ、団員達を安心させました。

 さらに3月9日、永田町のキャピトル東急で開かれた長老団員加藤政章さんの長女、由紀子さんのご結婚披露宴お祝い演奏にも出演しました。出演後は依田さん、高木辰夫さん、坂田さん、堤さん、丸亀さん、それに管理人が飲み屋さんを求めて、地理不案内な赤坂溜池付近をうろうろ。ちょうど目に入った居酒屋風の店の2階へ。店名は「きときと」という摩訶不思議な名前。

 ところがこれがアタリでして、本店は金沢市。ご当地出身の坂田さんの嬉しがること。酒は彼がオススメの「手取り川」。彼によれば、木曽義仲が京に攻め上る時に名もない急流にさしかかったが、兵たちは手に手を取ってこれを渡り進軍したところからその名が付いた川である、との話。やはりご当地ネタは強いですな・・・。

 この店で驚いたのは超厚切りの刺身。かぶら寿司も名品でした。依田団長はまだ医者から酒とタバコを止められているので、他の団員達で勝手に盛り上がりました。2時間弱の滞在で一人平均4000円程のお勘定。


1月
 どうもすっかりご無沙汰していました。この「最近の出来事」の更新をすっかり2ヶ月あまりさぼった管理人であります。理由ですか? それは白門床屋談義をご覧下さい。これから心を入れ替えてせっせと更新しますのでお許しを・・・。

●北京放送の張国清氏、王小燕嬢ら1月末に来日
(2002年1月25日掲載)
張国清さん 王小燕さん
 1月25日に北京放送から依田安弘団長に入ったEメールによると、日本外務省の招きで北京放送日本語部長の張国清(チャン・グオジン)氏と、ラジオ番組「音楽にのせて」の人気パーソナリティで同局のアナウンサーである王小燕(ワン・シャオユアン)嬢が1月31日に来日、東京はじめ国内各地を1週間の予定で視察するということがわかりました。

 同視察団は全員で4名、都内のホテルに1月31日から2泊し、その後山梨などを視察して再び東京に戻ってきた後,離日する予定です。張国清氏は同局の日本支局長を務めたこともある日本通ですが、あの王小燕、通称ツバメちゃんは日本訪問は初めて。なんとか時間を作ってもらい会えそうです。

 昨年の演奏旅行の記憶も新しいうちに再会の日がこのように早く訪れるとは誰も予想していませんでした。今から来日が楽しみです。



●団員に風邪が流行(2002年1月24日掲載)
 頑健をもってなる代表幹事(渉外)の2名、丸亀英雄クンと宮本康幸クンがそろってダウン。1月22日の練習を休みました。気息奄奄の電話を会社で受けたのは管理人。くれぐれもお大事に。ちなみにこの夜の練習は欠席者が多く、くまもとやでは石井相談役、依田団長、千葉さん、辰巳くんの4人がひっそりと飲んでいたとか(依田団長のメールより)

●加藤由紀子さん結婚披露宴(3月9日)に出演決定(2002年1月24日掲載)
 依田安弘団長からのメールによれば、加藤政章さん・明代夫人のお嬢さんである由紀子さんのご結婚披露宴が3月9日(土)にあり、白門の演奏を依頼されました。これは昨年の最後の練習日に行事として出演することが確認されています。出演予定時刻は午後3時半ころ。詳しくはまた後日に掲載します。信州湖山館でいたいけな地元女子高生であった明代ちゃん(当時)「東京へ行けば古川緑波とエノケンに会える」と騙して連れて来てすでに40年余り。ご苦労の多かったご夫妻には感慨ひとしおでしょうなあ・・・。場所は、えーとどこだったけかな? これも後日に。

 明代夫人の初々しい女子高生姿はここをご覧下さい。そして中大グリーの市川雷蔵と呼ばれた加藤さんの学生時代の写真はここです。

●練習日変更検討委員会の初会合(2002年1月24日掲載)
 昨年暮れの総会で設置のきまった同委員会。実質的な初練習の1月15日にくまもとやの片隅で人目をしのんで行われました。詳しくは「白門床屋談義」をご覧下さい。(ずいぶん書き込みを省略してすみません。この2ヶ月間は最近の出来事をここに書いていたものですから)

 この夜の結論は「また今度の会議までによく考えてこよう」ということでした。脇で聞いていた依田団長、あきれかえるばかり。「人選を誤ったか・・・」とぼやいていました。大丸委員長、「かならず3月の合宿の臨時総会までには原案を出しますッ」とは言っていましたが。 なお委員は次の6氏です。
大丸 志田 坂田 丸亀 宮本

●新年。練習再開と思いきや・・・(2002年1月24日掲載)
 練習再開は1月8日。外出先から会社に戻る途中の18:55ころ懐の携帯電話が「藁科」1番の曲で鳴りました。自宅とカメからの電話の着信メロディはこれにしてあるのです。(私らしいでしょ?) カメからでしたがえらい雑音。どうも今日は練習会場が予約されていないので練習は中止、その代わりに早めに「くまもとや」で飲む事にした、とのことです。どうも予約担当の千葉さんのミスらしいとも。あれあれ、と思いながらもオフィスで書類を整理して渋谷・道玄坂へ。くまもとやへ着いたのは19:45。いつもよりぐっと多目の20名近くの団員がとぐろを巻いていました。話を聞くと、やはり千葉さんが勘違いをしてこの日の練習場予約をしていなかったために、それと知らない団員が来てしまったとのこと。行き場のない団員達がここに来ていたのです。きまり悪そうな千葉さんでした。しかし憎まれないのは氏の人徳ですね。これが私だったらなんと言われていたことか・・・。
(写真は11月の中国演奏旅行中の千葉さん)



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