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2002年

12月

●大吟醸「今錦」が翌日に会場到着(2002年12月23日掲載)
 納会の司会をした宮本代表幹事は、新潟の演奏旅行でいただいた「雪中梅」と米澤博文さん(セカンドテナー)提供の大吟醸「今錦」が振舞われた、と発表しましたが、管理人が知る限りどうも「今錦」が出た形跡がありません。さては酒に目がない千葉県在住組が密かに隠れて飲んでしまったか、との憶測も出る始末。

 ところが管理人の自宅に会場の「ナポリの下町食堂」の芹店長から今朝になって電話がありました。今日になって届いた、というのです。どうも運送業者が期日指定を誤って取り扱ったようです。いまさらどうしようもないので、来年1月4日に団員有志12名が青木八郎先生を訪ねる際に手土産とすることにします。団員はご了解をお願いします。


●今年度の総会・納会を開催(2002年12月22日掲載)

 ▼10:30から35名の出席で総会開催
 今年度の通常練習を12月17日に終わり、当団は12月22日に総会と納会をお茶の水のレストラン「ナポリの下町食堂」で開催しました。
 総会では坂田信一議長が指名された後、一般会計、演奏会特別会計報告をそれぞれ了承。来年度の活動予定案について審議し、これも了解されました。なお2003年の活動予定はここをご覧下さい。

 第14回演奏会の主な演奏曲と実行委員を決定
 2004年に予定されている第14回演奏会の選曲では、ケルビーニ作曲の「レクイエム」と黒人霊歌集を了承、残りの2ステージはさらに検討することで了承、さらに同演奏会実行委員は昭和38-39年卒団員(江畑、千葉、熊木、立山氏ら)としました。団長は互選の結果が年明けに発表されます。来年6月の中川村演奏旅行委員長には西山和夫さん(セカンドテナー)を選出しました。

 役員人事と組織見直しを来年3月に
 また改選期の役員人事については年明けに代表幹事が指名する役員選考会を開催し、3月の臨時総会までに組織を見直したうえ人事案を提出することになりました。さらに練習の効率化を図るための提案と意見が出された結果、技術スタッフと演奏会実行委員会との間で来年1年間の基本的練習計画を立案することとしました。

 2004年に「青廊会」参加
 さらに2004年5-6月に青木八郎先生の指揮で「青廊会」に1ステージの賛助出演をする事を決定、軽量で団名の型押しのある新バインダー導入の検討をすることにしました。13:15終了。

 ▼第13回演奏会のCDをリリース、「来ぶらり庵」も
 
当団CDとしては第5集目となる「白門グリークラブアルバム−X」がこの日にリリースされました。2002年10月27日に開催された第13回演奏会がすべて収録されています。詳細はここ。またアナログ世代待望の文芸誌「来ぶらり庵」第6号(高木辰夫編集長)も配布されました。

 ▼13:30から納会、ゲストとOB、家族らを迎えて歓談
 続いて恒例の納会が賑やかに開かれました。ゲストである小山章三先生、中島はる先生、宗像和先生、女優の三好美智子さん、ピアニストの五十嵐玲子さん、中央大学グリークラブ学生4名の他、団員夫人の石井喜美子さん、清水末子さん、森田しずかさん、中嶋茂子さん、ピアニストの大庭直子さん、1960年(昭和35年)卒の矢沢さん、1964年(昭和39年)卒の飯田さん、2002年卒の松村貴之君らOB3人も加わりました。

 依田安弘団長の挨拶に続いて、石井相談役の音頭で乾杯。イタリア料理、ワイン、千先日の新潟演奏旅行でいただいた「雪中梅」や米澤酒造提供の大吟醸「今錦」、宮本代表幹事が持ち込んだ賞味期限不明の日本酒「水芭蕉」(群馬県産)などで一年の思い出を語り合いました。また途中で今月初めに亡くなった作曲家・平井康三郎先生を追悼し「平城山」を団員が合唱したほか、ゲストの紹介とスピーチがありました。

 最後に章ちゃんの指揮で「今日のひととき」を合唱、来年の再会を約して16:05に散会となりました。




 納会で歓談する団員とゲストの方々(ナポリの下町食堂)
小山章三先生 宗像 和先生 中島はる先生
三好美智子さん 五十嵐玲子さん


 2002年卒業の松村貴之君(右端)、現役学生らと小川勝久
 さん(前列右から2人目)と塩田勝彦さん(その左)


 平井康三郎先生を追悼して、「平城山」を演奏する団員。
 指揮は森田敏昭さん。


11月

5回目の新潟演奏旅行を実施(2002年12月7日掲載)

 11月30日から2日間にわたって2年ぶりに新潟演奏旅行を実施しました。昨年の秋に亀田園の高野崇先生から提案があり、志田雄司さんが実行委員長となって企画を進めてきました。今回の参加は団員28名と指揮者の森田さん、ピアニストの大庭直子さん、それに石井夫人の喜美子さん、中嶋夫人の茂子さん、大庭さんの友人である小久保順代さんでした。
白門の「和久楽」訪問を伝える地元紙・上越タイムス12月2日付朝刊(提供:新潟市・阿部桂子さん)
注意:オリジナル記事は縦長ですが、掲載の都合上、横長のレイアウトに変更しました。

実行委員長・志田雄司さんに寄せられた手紙2通
<阿部桂子さん> 

前略 この度はお忙しい中、ご来新下さいましてありがとうございました。すばらしい歌声で病める人もそうでない人も、皆様から元気をもらった事と思います。事前の打ち合わせでどんなにご苦労されたか・・・、本当にありがとうございました。向寒の折ご自愛くださいませ。

<和久楽施設長・高橋美智子さん>
前略ごめん下さい。先日は大変すばらしい歌声を聞かせていただきありがとうございました。利用者、家族、地域の方々共々大変感激されました。この感動はいつまでも心に残ることでしょう。皆様にもくれぐれもよろしくお伝え下さいませ。

<主な行程と演奏会> 顔写真を除く写真をクリックすると、桜井君が管理するネット上の写真アルバムに飛びます。

11月30日(土) 東京・晴れ、新潟・曇り時々雨
07:20  代表幹事のカメと宮本氏が新宿駅で集合、西口の北澤酒店経営のコンビニで缶ビール48本を購入。フウフウいいながら集合場所へ。志田さんがすでに到着して団員を誘導中でありました。
07:48
 集合時間は07:50。三鷹で特快に乗ったという中村真一さん(写真左)から管理人の携帯に電話、「忘れ物をして自宅に戻ったので少し遅れる」。次いで佐倉から来る坂田信一(同右)さんからはカメの携帯に「今千駄ヶ谷を通過中」との電話も。ヤレヤレ。シンイチさんっていう名前の人はこういう共通点があるのでしょうか?
 ちなみに中村さんの忘れ物とは携帯電話でした。
08:05  2人が到着し定刻より5分遅れで出発。管理人手配の小田急バスは宮崎運転士、ガイドは王子運送を退職してフリーになった、お馴染みの中川さん。環八、関越、上信越道を経由して上越市へ向かう。今日の演奏会が終わるまでビールはお預けとする。
(写真:車内でも囲碁B級戦を楽しむ西山さんら長老たち)
12:10  途中のSAレストランは季節外れのせいか休業が多く、まったく食事が出来ないまま上越インターを降りる。レストラン探しに15分、駐車場のある佐渡汽船乗り場に来るが、立ち食いそばだけ。結局上越駅近くのイトーヨーカドーで下車、1時間の自由解散をする。我々は団長とともに2階の蕎麦屋で昼食。地元紙らしいタブロイド版の上越タイムスで多田武彦先生作曲・堀口大學の詩{妙高の・・・」を発見。持ち帰りたかったが、これは蕎麦屋の備え付けのため諦める。再集合時には数名の団員が赤ら顔。禁を犯したこと、アリアリ。
13:20  昼食を終わり、バスで5分(の筈)の介護老人施設「和久楽(わくら)」に。ところが右折すべき交差点を見逃してしまい到着に15分を要する。玄関では昨年大手術をしたOBの本間さんが出迎え。とても元気そう。2年ぶりの高野先生と阿部圭子さんとも中で会う。
14:30
 今年の8月に竣工したばかりの建物はとても快適な雰囲気。5階のホールで50分間の演奏会。歩ける入居者と車椅子の入居者がほぼ半々の70名の方々が聴いてくださる。スリッパ履きの演奏会は久しぶり。一曲目の「箱根八里」を歌ったところで早くも「アンコール!」の声がかかる(早すぎますッて・・・)。施設長の秋山祐成氏さんから銘酒「千代光」3本の贈呈あり。外は小雨になる。
16:30  前日に急に決まった、北朝鮮拉致被害者である蓮池薫さん夫妻の実家(柏崎市土合)を訪問。蓮池さんは当時中央大学3年生。依田団長ら5人が代表でご自宅へ。懇談の後、100mほど離れた駐車場で夫妻を囲み中央大学校歌を合唱する。40名近いマスコミが取材。ご夫妻とご両親が喜んでくださる。16:58出発。18:10、カメの携帯に小山章三先生から電話、「今NHKニュースで見た」とのこと。TVの伝播はさすがに早い。
18:20  
新潟会館には寄らずに直接レセ会場のラシントン・カフェに到着。新潟白門会会長や亀田病院グループの総帥・大矢先生、訪問施設医師、職員、コール・トータス団員の方々ら40名と懇親会(左写真)。懐かしいお顔が多い。
2001年2月からご主人の転勤のために新潟に住んでいる中村団員(ベース)の次女、ときわさんが2人のお嬢さん(4歳、1歳)を連れて懇親会に来る。中村氏、孫たちに目じりが下がりっぱなし(右写真)。
 久々に本間さんのソロで大島節などを演奏。万代橋のライトアップが美しい。ちなみにこのアーチ橋はロンドンのウォータールー橋(ビビアン・リー、ロバート・テーラー主演の1940年アメリカ映画「哀愁」で有名)にそっくり。ただし映画で出てくる鉄製の橋は1942年コンクリート橋に改築され、現在は似ても似つかない橋となっている。万代橋全景
21:03  レストランで解散。関係者に挨拶をしているうちに団員ほとんど見当たらなくなり、ゲストの女性たちに教えてもらった通りに徒歩で新潟会館(公立学校教職員共済組合宿泊所)へ。どう間違ったのか、万代橋を越えて反対側に行ってしまい、途中で気がつきタクシーで新潟会館着21:35。カメらは21:50ころ到着。
 H団員、興奮冷めやらず館内の公衆電話であちこちに電話中。カメの話に寄れば「部屋に入るときに電話をしていた。部屋で飲むためのビールを買いに出かけるときも電話中。買い物が終わり戻ってきた時もまだ電話中だった」とのこと。20名ほどの団員が新装なったスナック鹿へ出かける。
22:30  坂田氏、カメ、桜井君らと部屋(422号)でコンビニで買った酒やつまみで飲む。話題は今日の蓮池さん訪問と今後の団活動など。小生、疲れて畳んであった布団に頭を乗せていたら、眠り込む。
 23:35 やおら依田さんの足で起こされる。TVニュースで今日の訪問が報道されている。
12月1日(日)
新潟・晴れ、東京・曇り
06:45  早起きのカメにつられて起床。髭剃りを桜井から借りて入浴。カメは新聞を買いに近くのコンビニに出かける。地元紙の新潟日報のほか朝日、毎日、読売、日経など各紙がそろって昨夜の蓮池邸訪問を掲載している。
07:40  バイキングの朝食。従業員一人でテンテコマイ。
08:30  外は暖かい朝。中村さん次女ときわさんが昨夜と同じ(違っちゃ困るか)2人のお嬢さんを抱きかかえて見送りに来る。自宅は田中金脈で有名になった感のある鳥屋潟(とやのがた)だそうだ。高野先生が施設長を勤める亀田園(中蒲原郡亀田町)へ出発、約30分。
10:00
 発声練習後、約1時間の演奏会。大矢理事長夫人である朋子先生主宰の女声合唱団「コール・トータス」(写真左)と共演。森田指揮者には花束(写真右)、私たち全員には幻の銘酒「越乃寒梅」720ml瓶34本が贈呈される。私たちの酒好きは、どうも過去4回の演奏旅行でかなり知られているらしい。
11:25  亀田園を出発、再び市内の古町通りにある知的障害者のための施設「ワークセンター日和山」へ30分。
12:10  今年の夏に出来たばかりの館内で昼食をいただく。施設長は閻魔大王のような髭を蓄えた方。実はお世話をしていただいている阿部圭子さんの息子さんで、ジャズ演奏者としても活躍中とか。経営する財団理事長の石井氏も来所、昭和35年の中央大学法学部卒で県教育長も経験。
13:30
 阿部施設長は聴衆の集まりをさかんに気にしていたが、ここで訓練をしている知的障害者やご家族、ご近所の方々など予想をはるかに上回る100名もの方々が続々と3階ホールに集まり、大盛会となった。「高原列車は行く」はオールドファンへのサービスのつもりだったが、比較的若い聴衆が多く、聴くのは初めての方も大勢いる様子。50分にわたり演奏。ここでも石井理事長からお酒を頂く。これで8本となった。
14:40
 ワークセンター日和山を出発、高野先生夫妻、本間夫妻らと別れを惜しんで帰途に就く。途中、越後川口のSAで買い物を。銀鮭の粕漬け、粒うになどを買う。同SAではH団員、やたらトイレが近く2回にわたりトイレを往復(じっと管理人が監視)。車内は新宿到着まで大宴会状態。新潟に行きながら演奏の機会のなかった「しなの川」を酔声で演奏の一幕も(写真)。あれから1ヶ月しか経たないのに酷い出来である、との声あり。
19:55  新宿西口に到着、解散。大庭直子さん、降りたところで荷物の整理、そして土産品を植え込みに忘れて帰る。石井夫妻はそのままバスに残り、世田谷まで送ってもらう。


新潟日報12月1日付朝刊一面 読売新聞12月1日朝刊(新潟版)

●11月17日、上田グローリア合唱団演奏会に賛助出演(2002年12月1日掲載)
 友好団体である上田グローリア合唱団の第47回定期演奏会に31名の団員が参加し、単独ステージ(しなの川)と合同ステージ(あなたを知らない他)に出演しました。伝統の演奏会だけにチケットは発売から数日で売り切れ、当日のホールは当然のことながら満員御礼。今更ながら上田グローリアの人気がしのばれました。

 第一ステージに先立ってエールの交換。上田の指揮者は柳澤順子さん。(写真提供:山岸明人氏 下も)
 第4ステージは上田、白門に加えて南小学校合唱部児童たちが参加し、章ちゃんの指揮で「あなたを知らない」
 「信濃の国」、「故郷」を演奏。子供たちが実に初々しい。
 演奏会の最後は、章ちゃんの珠玉の名曲「今日のひととき」を歌い聴衆にお別れ。またお会いしましょう。
 (写真提供:依田安弘氏)


●上田グローリアの山岸さんから写真が到着(2002年11月6日掲載)
 今日、山岸明人さん(レセプションにもご参加でした)がステージとレセプションの写真をお送りくださいました。管理人はステージにいたので、妻に任せっきりの写真でしたが、さすがは美大出身の芸術家の作品はカメラのせいもあり(笑)秀作です。ここに山岸さんの了解を得て(ご本人には”HPに載せます”とメールしただけですが)、3点を掲載します。
 山岸さん、ありがとう!!
 団歌Viva! Hakumon! 作詞・作曲は小山章三先生 指揮は桜井正夫
 第2ステージ 男声合唱組曲「しなの川」 小山章三先生の客演指揮ピアノ伴奏は黒尾友美子さん
 中央大学グリークラブ育ての親、青木八郎先生の指揮で「月光とピエロ」を現役学生、OBとともに 
 (ティアラこうとう地下 レセプション会場で)


10月

●第13回演奏会を10月27日に開催(2002年11月3日掲載)

 画像など詳しくはここへ
 


9月

●話題の映画「歌え!フィッシャーマン」(2002年9月23日掲載)
 昨年暮れにノルウェーで公開されて以来全世界で大評判の映画です。男声合唱をする人間、聞くことの好きな人間、そして人間のすばらしさを知りたい人はこの映画は見逃せません。渋谷パルコ・パート3の8階「シネクイント」で公開中です。
詳細情報は掲示板
http://freebbs.around.ne.jp/article/h/hkmnglee/25/atnyem/yqhnof.html#yqhnof
 をどうぞ。


●9月21-22日に合宿開催(2002年9月23日掲載)
▼ぴりぴり、パリパリ
 第13回演奏会を1ヶ月あまり後に控えた9月月21日-22日に今年4回目の合宿が代々木で開催されました。今回は練習不足の目立つ団員もいることから、1日目は午前9時30分から開始ということに。普段の合宿なら団員が揃うのも夕刻近いのですが、さすがに今回ばかりは集合も早く、午前10時には30名近い団員が練習室に顔を見せました。

 依田団長指導の恒例 ”白門体操” では久々に体の硬さを訴える悲鳴も聞こえ、続く発声練習では森田指揮者の叱声も飛び、緊張のうちに開始。ぴりぴりした雰囲気の中で聞こえてきたのは、パリパリ、パリパリの音。後ろを振り返って「Hちゃん、うるさい! いい加減にしなよ」とT団員からの鋭い注意。お騒がせマン某団員がさっきからコンビニのレジ袋を手にして中身を出したり、袋を折りたたんだり、また拡げたりしていたのです。またかいな・・・、との苦笑とため息が周囲から漏れました。

 一日目から緊張の練習が20:30までのべ10時間あまり。学生時代の合宿並みの猛練習を思い出しました。
 この日の宿泊者は夕刻、茨城から飛んできた高山宏氏(セカンドテナー)を含めて25名。


▼石井相談役がリタイヤ
 数年前から坐骨神経痛に悩む石井秀之相談役は、1日目朝の集合時からなんとなく様子が変でした。休憩時間に足を揉んだり、痛そうな表情をしたり・・・。今日は世田谷区内の自宅から車を使わず電車で来たようですが、久々の長距離歩行のせいか、あるいはこの時期には珍しい低温のせいか、坐骨神経痛が出たようで宿泊せずに無念の帰宅。中村さんがタクシー乗り場まで見送りました。9月23日からの山口県への旅行を控えていましたが、大丈夫だったでしょうか?

▼未使用のシーツ
西山和夫さん 中嶋敦さん
 宿泊がA棟のため、17:15に個室のシーツや枕カバーは当番の中村氏(ベース)らが団員に配布、これを各人がベッドにセットします。翌朝07:00から回収しましたが、配布したままの姿で4組のシーツが戻ってきました。皴なし、折り目ぴったりのまっさらです。いつもの合宿でも、「おれ、ベッドの作り方なんてできないんだ」というズボラ自慢の西山団員がまったく使わないまま返すので驚かないのですが、今回は氏に加えて、あの粛然とした紳士をもって鳴らす中嶋団員も未使用のまま。どうも練習に疲れ果てた挙句、深夜の01:00まで安酒をあおっていたテナーの連中がベッドを作る気力も尽き果てて部屋に入るや否やベッドに倒れこんでしまった、というのが原因のようです。

▼時局座談会に識者5人が集結
 一方、通路を挟んだ談話室では依田団長、中村真一、坂田信一、辰巳則夫、宮本康幸氏ら錚々たる論客が、これも日本酒「おにごろし」、ビールなどを片手に23:10まで清談。「組織にみる近代システムの陥穽」(つまり、その前日に起きたNHK朝の連続テレビ小説「さくら」の大誤放送)、「特定閉鎖社会の非整合性」(つまり、テレビ東京出演の芸能人ギャラ高騰)、「日本における農業衰退と自給体制のありかた」(つまり、千葉県の自宅裏庭でのでトマト栽培に失敗した坂田団員の回顧)、など急を告げる現代社会の脆弱性と再建に口角泡を飛ばして議論が続いたのであります。

▼2日目は章ちゃんが登場
 先週の定時練習に続き、章ちゃんが10:30にご来場。団員が楽しみなのは脱線論議。もちろん最後にはちゃんと本来の音楽がテーマに戻るのですが、今回は「3つの声立て」、「赤ん坊の産声の高さは440Hz(ヘルツ)」など、あの章ちゃんの独特の語りで団員たちをおおいに和ませました。
 いつも変わらぬ温和な表情の章ちゃん  初演する「しなの川」を指揮する章ちゃん (いずれも9月22日午前)

▼演奏会実行委員会を開催

 2日目の練習も終了して15:50から委員会を開催。志田雄司委員長、小川勝久副委員長、小松秀洋、高木辰夫、松丸清、依田安弘団長、坂田信一OB会幹事長、宮本康幸ら8名が当日進行表、担当業務確認など議案に沿って意見をまとめました。17:30終了



8月

●管理人の写真が8/15付け朝日新聞「読者の新聞写真」に掲載
 
 (2002年8月16日掲載)

 7月5日にここに掲載した写真が8月15日付朝日新聞朝刊に掲載されました。
 我ながらいい写真が撮れたのでその日、7月5日に「投稿してみるかな」と軽い気持ちで同社に送ったものです。
 事件性がないので翌日の紙面には掲載されませんでしたが、8月になってから連絡があり、「7月に寄せられたすべての写真から選ばれて4点の入選作のひとつになった」とのこと。送った5枚のうち、やはり管理人が一番気に入っていたこの写真が掲載されました。
 さすが全国紙。その日のうちに友人やいとこ達から「見たけど、あなたでしょ?」との連絡がありました。

 いつも持ち歩いているデジカメ(2年以上も前に購入したオリンパス)。130万画素の普及機ですが、タイミングと角度がよかったのではないかと自画自賛しております 写真上:掲載された写真 写真下:朝日新聞のコメント(電話でインタビューされました)
 なお朝日新聞からはかなりの(?)額の謝礼を頂いたことを申し添えます。いくらか、って? 本当は新しいデジカメを買いたいのですが、それには遠い額、とだけ申しておきましょう。


●こんな骨董写真発見(2002年8月6日掲載
 ネタの提供元はベースの坂田信一さんです。実は管理人は1年近くも前にこの写真を預かっていたのですが、自宅のデスクにしまいっぱなしだったのを数日前に発見した次第。お詫びがてら大判サイズで掲載するサービスで何卒ご容赦を!!
辰巳君結婚当日
坂田さんのメモから引用:
 この写真は1976(昭和51)年11月の撮影です。中央大学グリークラブ部長を務めて1973年に卒業した辰巳則夫君の結婚披露宴直前のものです。真打昇進前の浪曲師のような羽織袴姿(中央)の伊達男が辰巳君です。この頃からすでに長い顔でした。会場は彼の故郷である石川県金沢市。私も金沢生まれですが、当時は滋賀県の大津支店勤務でした。元部長であった辰巳君のために同期生はじめ全国の元団員たちが集まりました。全員自費だったのですが、左から3人目のカメだけは出張のついでに足を伸ばしたので費用はほとんど掛からなかったようです。

 左から:秋吉憲司(1972)、荒川(1973)、丸亀英雄(1972)、大蔵純(1972)、辰巳則夫(1973)、岡部裕章(1972)、宮根(1971)、宇尾和久(1972)、坂田信一(1971)、上山(1974) カッコ内は卒業年

管理人より
 現在の辰巳君とご内儀ですが、顔の長さは相変わらずです。(2001年11月撮影)
辰巳則夫君 裕子夫人

7月

●梅雨空の下に咲いた蜘蛛の糸(2002年7月5日掲載)
 今朝自宅から駅に向かう途中、なんとも言えない美しい光景を見ました。新芽を吹いているツゲの生垣です。美しいのはそのツゲそのものではなく、そこに張られた蜘蛛の糸です。今朝の雨は傘をさすまでもない霧雨。その霧雨がこの蜘蛛の糸で織られた絨毯をうっすらと濡らしているのです。思わずいつも持っているオリンパスのデジカメで7枚撮影しました。そのうちで一番気に入った一枚です。蜘蛛の糸の絨毯はかすかな雨滴の重みでたわみ、まるで逆さに吊るした雨傘の列のようにも見えます。脇を通る自転車の雨傘と好対照です。
 



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