トップ 白門グリーとは 団員紳士録 CD集 年間活動 CD集 リンク集 演奏会記録 掲示板

2005年

6


●中大グリー前学生指揮者、須永君が奇縁に遭遇(2005年6月24日掲載)

集人より:昭和37年卒のOBと言えば、前団長で現在は長野県在住の依田安弘さん、団内風紀維持委員長の野中忍さん、生家のある長野県中川村に演奏旅行を招致した米澤博文さん、地元で男声合唱団の指揮者におさまった小川勝久さんなど多士済々ですが、福岡にお住まいのOB、津川寿雄さんも白門グリークラブ長老団員のいる酒席でよく話題になる方です。高木辰夫さん、高木繁雄さんらが主宰する季刊文芸誌「来ぶらり庵便り」でも連載で健筆を揮っています。

 その津川さん
左写真から大変愉快なメールが寄せられました。きっかけは津川さんが同期の野中さんに宛てた一通の電子メール。その概要を野中さんが編集人にメールしてくれました。それを読んで縁は異なもの、奇遇だなと感じたので編集人は直接津川さんに寄稿をお願いしたわけです。

 ことの始まりは、津川さんが在籍している福岡の男声合唱団「九州フレッシュメンコア」http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/8700/ での先日の練習でした。津川さんから頂いたメール全文を掲載します。


見学者が来訪
   私が住んでいる福岡には大学OB以外に男声合唱団はなかったので、これまでずっと「福岡合唱協会」( http://www2.ocn.ne.jp/~fcshome/home.html )という混声合唱団に在籍し、今もそこで歌っています。故石丸寛さんが、昭和25年に創立した合唱団です。
 一方、今日の舞台のこの「九州フレッシュメンコア」は出来てまだ4年の若い男声合唱団ですが、ここにも草鞋を脱いでいます。。
 6月18日、土曜日の定期練習のことです。練習場には午後7時になっても私を入れて3人しか来ていません。その3人で駄弁っていると、若い男性がやって来ました。
「アポなしですが、見学させていただけますか」と、遠慮がちに・・・。
私が、「さあ、どうぞ。まだメンバーは揃ってないから、ここに掛けていたら」と、須永紀彦と自己紹介したその男性に椅子を勧めました。
 そこで他のメンバーが、彼に「合唱経験はありますか」と月並みな、しかし重要な質問をしたのです。
「はい、高校と大学でやっていました」と彼ははにかみながら答えました。これは頼もしそうです。
「ほう、大学はどこですか」

あまりの偶然に驚愕
「中央です」
「えっ!中大グリー?」と話に加わっていた私は驚きました。
「で、パートは?」と、私は思わず身を乗り出して、彼に向かって咳き込むように聞きました。
「トップです」
「何だ、何だ! 完全に俺の後輩じゃないか。俺は37年卒だよ、野中とか藤沢とか知ってるだろう?」
「ええ、知っています」
 彼も驚いたようですが、本当にサプライズでした。先ほどまでの見知らぬ男性は、「スナガさん」という訪問者から、たちまち43年の時空を超えて「須永君」という私の後輩になりました。  彼は昨年春に中大を卒業して就職し、福岡が最初の任地となっていました。インターネットで、福岡の男声合唱団を調べて、まずは見学をとここにやってきたらしいのです。その「九州フレッシュメンコア」が私のいる合唱団ですが、そのホームページには、出身校として早稲田グリー、関学グリーなど列記があるものの、私がまだ今年の3月に入団したばかりのせいでメンバー出身校としての中大グリーはまだ載っていなかったのです。

さっそく初練習
 驚きの余韻が残るうち、メンバーもある程度揃ったので練習開始。楽譜の担当が来ていなかったので、須永君と二人で同じ楽譜を見て歌ったのですが、初見がきくじゃありませんか。(編集人註:須永君は2年間に亘って中大グリーの学生指揮者でした) おっ、と思っていると彼も段々声が出始め、これはいける! 今は合唱コンクールの課題曲と自由曲の練習中なのです。自由曲は木下牧子さんの曲で臨時記号だらけなのに、何回か歌うともうすっかり歌えているような感じで、これも驚きでした。
(右上写真:須永紀彦さん)

ああ、酒の飲めない歓迎会
 午後10時に練習が終わって、皆といつもの天神にある「中華しんちゃん」で一杯。早速可愛い我が後輩、須永君の歓迎会に衣替えです。翌日に予定があったので、その日は練習が終わればすぐに帰るつもりで車で行っていたのですが、さすがにこんな時に「じゃあ、また」と自分だけさっさと帰るわけにはいきません。私はやむなくウーロン茶。この日ほど車で来たことを恨めしく思ったことはありませんでした。
 その店に向かう途中の車中で、「勤務先はどこ?」と聞くと、「××××(さる大手食品会社)です」との答え。そこでまたまた、ええーっ! というのも我が合唱団の代表で指揮者の竹田津氏は、同社の元社員だったのですから。飲みながら(クヤシイが、私だけウーロン茶・・・)、竹田津さんに話したら彼ももちろんビックリ。皆から「君は、もう抜けられないよ」と脅かされ、観念した須永君は芋焼酎の水割りをばんばんやらされていました。
 座はおおいに盛り上がって、店の外に出たのは深夜0時を回っていました。誰かが「ライチャリ」をやろうと言い出して、早速須永君がソロということになり、「Ride The Chariot」(黒人霊歌)の合唱が路上で始まりました。バリトンソロに続いてテナーソロを彼が見事歌いきり、めでたく我々の仲間入りを果たした、という楽しい一夜でした。


編集人より:いや、本当に偶然というか、奇縁というか、このお話を聞いたときには私も驚きました。菅原道真公のお引き合わせでしょうかね。須永君の活躍を祈りましょう。津川さん、須永君をよろしく頼みます!

<須永紀彦さん略歴>
埼玉県生まれ。県立高校時代に音楽部で合唱と出会い、その面白さを初めて味わう。中大グリー入部後一年次より定期演奏会等でソロを務める。また古典塾のソリストとして数々の新曲初演に携わり、東京、筑波などの公演において好評を博すなど、学外での活動にも精力的に取り組んだ。指揮法を古橋富士雄日本合唱指揮者協会理事長、飛永悠佑輝、声楽を葭田晃の各氏に師事。2004年卒業。(略歴出典:中大グリー第48回定期演奏会・2003年12月19日付けプログラムにて既に公開済みの情報)


●2年ぶりにOB総会を開催

OB総会懇親会が88名の参加を得て、6月12日に都内で開催されました。詳細は6月19日に写真と共に掲載します。
(スミマセン、更新が遅れています。いましばらくのご猶予を)

5

●長野西高校同協会関東支部総会懇親会に出演(2005年6月4日掲載)



 天に恵まれた5月29日、霞ヶ関ビル35階の東京會舘で、長野西高校同協会(同窓会に相当)関東支部総会懇親会が開かれ、招待された当団が演奏しました。
 ベースの重鎮である高木繁雄さん(昭和35年卒)のお姉さまで、在京の小池信子さんが同高の卒業生であることから今回の出演となりました。会には関東地域から約130名の会員が参加、中には一緒に参加したお嬢さんが国立音大の平成7年度卒業生という会員もいらっしゃり、小山先生をおおいに喜ばせました。
 演奏したのは「しなの川」、斉太郎節、ふるさと(全員合唱)、今日のひとときなど。特に「ふるさと」の作詞者は同校の校歌の作詞者でもある高野辰之さんであり、全参加者がふるさとの長野を懐かしんで歌ってくれました。
 今までにも様々な集まりで演奏したことがありますが、今回は女性ばかり、しかもお食事前、そしてふるさとにゆかりの深い「しなの川」が長野県出身の小山先生の指揮で歌われたこともあって、参加者の方は実に静かに熱心に聴いてくださり、団員を感動させました。


●松村貴之さんの結婚披露宴にお祝い出演(2005年6月4日掲載)

 久々に団員自身の結婚披露宴に駆けつけました。3年前の2002年に卒業したベースの松村貴之君と森田尚子さんです。松村君の親族は群馬県で飲食業を営むために、珍しい平日午後の開催となりました。会場は新宿のセンチュリーハイアット東京、最上階のスカイルーム。司会はもちろん宮本康幸さん。
 披露宴には彼のグリー同期卒業生である堀川、鋤柄、大厩くんら5名も出席、いざ起ていくさびとなど3曲を学生指揮者であった松村さんの指揮で歌いました。3曲目の斉太郎節では途中から指揮が松村さんから高木辰夫さんに無理やり(?)交代、彼は新婦の尚子さんをベースの位置に招いて共に歌うなど、白門グリークラブらしいお祝いの演奏となりました。
 お開きの後は出席した若いOBらを小川さんら10数名が、開いたばかりのホテル3階のバーに拉致、監禁して執拗に白門グリークラブへの入団を説得したようですが、はたして結果は?



●小山先生、「しなの川」指導に来場(2005年6月4日掲載)

 の降る5月24日、当団顧問の小山章三先生が久々に練習会場に来場され、5月29日の長西高校関東支部同窓会で演奏する「しなの川」を1時間半にわたって指導されました。しばらくお目にかかりませんでしたが、極めてお元気な様子で団員たちをあの独特の雰囲気で魅了してくれました。
 先生がいつもおっしゃる「詩を大事にして歌いましょう」との一言で、我に返った団員達も多いようです。










●新団員、星智明さんが練習に初参加(2005年6月4日掲載)
 
 星智明さん  1968年定期演奏会の
 星さん(中央)
 団員勧誘プロジェクトの効果が現れました。星智明(ほし・ともあき)さんが5月10日の定時練習に初参加です。星さんは昭和45年法学部卒、現在は都内の金融機関に勤務しています。管理人が一年生だったときの3年生でパートリーダー、小柄ですがコワい人でした。
 合唱譜面を手にするのは30年ぶりのはず。ベースのパートリーダー、小川勝久さんの隣で懸命の譜読み。マジメな性格は学生時代とちっとも変わっていません。(左の写真)

 一方、野中、大丸の両氏がしばらく休部のため、この日から高木辰夫さんがセカンドテナーからトップテナーに、堤浄司君がバリトンからセカンドテナーに、高木繁雄さんがベースからバリトンにそれぞれ移ることになりました。

4

●新団員勧誘プロジェクト、いよいよ始動(2005年4月25日掲載)

 団長で次期演奏会実行委員長の塩田勝彦さんが就任前に「指導体制も変わったし、改めて新しい団員獲得をテーマとして取り組みたい」と明言していましたが、その勧誘第一弾として首都圏のOB約250名余りに呼びかける8ページのパンフ制作が着々と進んでいます。
 塩田さんは、「特に若い人たちを意識して作ったつもりだ。若い人は勤務などで忙しいだろうが、時間のあるときでいい。ぜひ練習を覗きにきてくれれば嬉しい。練習だけでなく気楽に話せる専用ラウンジ”くまもとや”への参加も大歓迎だ」と期待しています。もちろん、すべての年代のOBがこのパンフを読んで欲しいものです。
 5月連休明けには発送される予定です
。 


●歌声合成ソフトVOCALOIDを購入(2005年4月24日掲載)

 管理人は自他共に認める新し物好き。最初の携帯電話を買ったのは1990年10月。初期費用を入れて13万円という高価なものでした。まだケータイなんて言葉はなく、移動電話と呼ばれていました。重さ350g、尻のポケットに入れると歩いていくうちにズボンが下がって来るほどでした。それでも当時は珍しいものですから、電車の中から通話していると他の乗客から「それ、なんですか?」とよく聞かれたものです。ところが充電池が当時は性能が悪く、通話状態で20分、待ち受けで35時間でアウト。それでも3年ほど使いました。

 さてその管理人が4月22日に買ったのはヤマハのVOCALOIDという音楽制作ソフトです。簡単に言うと、人の声をもつこのソフトではPC画面上にピアノロール、または音符を書いていくとその通りに歌ってくれちゃう、ってものです。作曲関連ソフトで素人向けは同じヤマハの「らくらく作曲名人」ってのがあり、管理人も時折使っていましたが、コーラスを作ってもその音はアー、オーの類であり、歌とは到底言えません。つまり歌詞は発音できないのです。

 ところがこのVOCALOIDは、歌詞を音符に書き込めるのです。私が買ったのは英語版(男声)なのですが、いい発音をします。最初はいかにもぎこちないコンピュータ音声ですが、これにアタック、ビブラート、ノイズなどを追加していくと素晴らしい歌声になる(そうです。まだそこまで使い込んでいません)。16トラックまで可能なので、クワルテットはもちろんのこと、小編成の男声合唱団も作れます。

GWは書斎に閉じこもって、まずは黒人霊歌あたりから制作してみようと思います。

P.S. 購入価格ですか? 29,400円でした。日本語版(女声)も発売されています。

サンプル試聴は:http://www.vocaloid.com/jp/sample.html

3月

●演奏会実行委員会の反省会開催(2005年3月5日掲載)

 2月6日に開催された第14回演奏会を大成功に導いた演奏会実行委員会の反省会が、雪の降った3月4日の金曜日の夜、新宿にあるセンチュリーハイアット東京3階の和食レストラン「おんぼらあと」で開かれました。

 出席者は千葉紘弥委員長はじめ全委員と、ステージマネジャーを務めた丸亀英雄さん、会場係など現役学生を指揮した大蔵純さん、司会を務め次期演奏会実行委員の一人でもある宮本康幸さんの計10名。
千葉さんが、「この演奏会の大成功はひとえに実行委員の努力に負うところが大きい。企業広告、OB広告を取るなど、今までにない企画もあって、収支面では大きな黒字が出た模様だ。」と改めて成功の原因を語りました。乾杯に続いて江畑忠夫さんが「今日の費用は演奏会会計の費用ではないので、心配するな。」とニヤリ。どうやら浄財の寄付があったようです。

 話題は成功を喜ぶだけでなく、これからの白門グリークラブの演奏会のあり方にまで及びました。
「演奏会の間隔が2年とはいかにも長い。一年に一回でもやれるのではないか」(織山さん)
「それは体力的にももちろん、団員個人に掛かる金銭的負担も大きいので無理だ」(熊木)
「一年に一回という具体的な目標が必要だ。コンクール出場も考えられる」(織山)
「白門の目標をコンクールに置くことは反対だ」(宮本)
「それならば、他団体とのコラボレーションでもいいから最低一回の正式なステージが欲しいものだ」(織山)

 織山さんはさらに、「我々は年を取る一方だ。2年後に元気にステージに全員が立てるとは限らない。現に私が属している別の合唱団ではこの2年に4人が亡くなっているんだ」と、懸命な訴えでした。

 このような酒の席でもつい団の将来を憂えるマジメな討議になるのは、学風なのでしょうか。千葉団長は次期演奏会委員長の塩田さんが数日前に提案した「首都圏在住のOBを白門に勧誘するための施策」に触れて、「非常にいい提案だ。団としてぜひ実行したい」と了承したことを披露しました。

 反省会会場となったレストランでは飲み放題コースを選びましたが、店側のコストを大きく上回る消費量となったことは間違いありません。21:25散会。7名の実行委員たちは懲りずにさらに路上に雪が残る中、2次会に繰り出したようです。


 最後までニコニコとおじさんたちの我侭な注文を聞いてくれた「おんぼらあと」の看板従
 業員、札場(ふだば)さんに感謝します。珍しい名前のお嬢さんです。







左から 藤澤 賢二、千葉 紘弥、江畑 忠夫 飯田 昌男、大蔵 純、織山 幸雄
 熊木 宏儔、立山 誉人  丸亀 英雄、宮本 康幸
  (敬称略 写真提供:丸亀英雄さん)


2月

●次期演奏会実行委員長に塩田勝彦さん(2005年2月27日掲載)
 2月22日に開催された第2回臨時総会で、2007年に予定される第15回演奏会実行委員会を担当する卒業期は昭和44年〜47年と決定しました。また委員長には昭和44年卒の塩田勝彦(セカンドテナー)さんが推薦され、塩田さんも直ちに受諾しました。
 塩田さんは「過日の第14回演奏会の大成功に負けないよう、全委員の協力を得たい。また並行して若い団員の新規入団の施策を実行し、新指揮者の松本先生と一緒に新しい白門音楽を作りたい」と決意を表明しました。
 実行委員は塩田さんのほかに、高山宏(セカンドテナー)、中村真一(ベース)、野口五郎(セカンドテナー)、坂田信一(ベース)、大蔵純(セカンドテナー)、堤浄司(バリトン)、宮本康幸(ベース)の各氏。


<塩田勝彦さん略歴>

 昭和20(1945)年東京生まれ。都立井草高校を卒業後、中央大学経済学部に入学。もちろん同時に中央大学グリークラブに入団。授業出席回数と練習参加回数がほぼ拮抗するという珍しい4年間を過ごした。昭和44(1969)年に卒業後、大阪に本社のある化学メーカーに入社、静岡営業所に勤務し、そこでも地元の合唱団で活動、現在の奥様と恋に落ち結婚に至る。その熱愛ぶりは団内に広く知られている。
 東京に帰任後は営業部門で活躍のかたわら、白門グリークラブに復帰し、セカンドテナーの一人として美声を披露、欠かせないメンバーとなる。4年前に北関東にある工場長を命じられ憧れの単身赴任を3LDKマンションで楽しむが、工場の大幅縮小という思いもかけない出来事が出来。敢えなくわずか一年で帰任し、ふたたび東京勤務に戻った。昨秋に定年を間近にして20数年を過ごした狭山市を去り、生地に程近い東京都内に新居を構えた。
 白門グリークラブ活動のほか、バッハなどの宗教曲を中心に歌う混声合唱団にも在籍する。音楽はもちろん、文学と駄洒落をこよなく愛する好人物である。平成15(2003)年に副団長に就任。妻、一男一女。東京都在住。




●団員のお嬢さんが相次いで結婚、2週連続でお祝いに(2005年2月26日掲載)
 いよいよ春近しを思わせるように、2月19日にバリトン熊木宏儔さん長女の祐三子さんと柏木忠祐さんがセンチュリーハイアット東京で、26日にはおなじくバリトン江畑忠夫さん長女潤子さんと本澤英彦さんの結婚披露宴が東京ドームホテルで開かれました。
 19日の前夜は雪。幸い未明には止み、熊木さんをほっとさせました。司会はもちろん、ベースのMさん。参加団員は32名で、お開き直前にモーニング姿の新婦の父、熊木さんを加えて4曲でお祝いをしました。これに先立つ挙式リハーサルではホテルに勤務しているMさんが立ち会いました。チャペル前で外人司祭を交えての打ち合わせでは新郎、柏木氏が感極まって肩を震わせ、これに動揺した熊木さんはお嬢さんをエスコートして参会者の待つチャペルに入場するときは足がもつれるなど、周囲をハラハラさせました。一方、新婦の祐三子さんは堂々の風格。やはり女は強い!
 その一週間後の江畑さんの番は、快晴ながら木枯らしの強い土曜日。出演予定時間を大幅に過ぎたため大量のアルコールを摂取して控え室から赤い顔で出てきた29名の団員たちは13時45分に入場。「いざ起ていくさびと」、「オーラ・リー」、「サランヘ」に続く4曲目は、江畑さん自身が「斉太郎節」の指揮をしましたが、これが予想外の大好評。すでに20分近い進行の遅れを気にする会場係、司会者を尻目にアンコール(はるかな友に)に応える始末。聞けば学生時代は副指揮者だったこともあるとか(藤澤賢二さん談)。
 お二組の新しいご夫婦、どうぞお幸せに。


●飯村雄一さんが演奏会写真を寄贈(2005年2月14日掲載)
 第14回演奏会実行委員の織山幸雄さんが所属するアンサンブル・レオーネ団員、飯村雄一さんが当日撮影した写真を管理人に送って下さいました。
<飯山さんの談話>
 先日は素晴らしい演奏会でしたね。久しぶりに感動しました。やっぱり、我々の演奏とはだいぶ違うな・・・と思いました。
 写真を撮らせていただきました。本当はもっと会場を転々と移動して、いろいろな写真を撮ろうかと思っていましたが、会場は満席で、皆さん本当に熱心に演奏を聴かれていて、ちょっとした物音も立てられないような緊張した雰囲気がありました。写真係も気後れして、ほとんど移動もせず、こっそりと撮らせていただきました。そんなわけで、写真もやや平板になりましたが、お許しください。

 写真をクリックすると大きな写真にジャンプします。これらの写真は織山さんがプリント注文を受け付けています。

 


●臨時団員総会で役員、指揮者の改選(2005年2月11日掲載)

 第14回演奏会を機会に退任する団長依田安弘さん、代表幹事の丸亀英雄さんらの後任を選ぶため、2月8日に渋谷区内で臨時総会が開かれ、29名の団員(ほかに委任状3人)が出席しました。

 団長選考委員会(清水軍治委員長)から「千葉紘弥さんを新団長に推挙する」と発表があり団員に諮ったところ満場一致で可決。千葉さんが直ちに受諾しました。また千葉団長を支えるために依田、丸亀両氏を除く現役員がそのまま再任となりました。さらに千葉さんの指名で、江畑忠夫さんが新たに副団長として就任しました。

 また創団以来長年にわたり指揮者を務めた森田敏昭さんが退任して相談役(その後、名誉指揮者)に、後任指揮者として第14回演奏会でケルビーニを振った松本宰二先生が新たに就任しました。役員、指揮者ともこれから2年間が任期となります。

 団長・千葉紘弥さん  指揮者・松本宰二先生


満員の聴衆を迎えて第14回演奏会を開催(2005年2月7日掲載、3月30日に写真3点を追加)

 結成45周年の2005年2月6日、東京・北区の北とぴあの「さくらホール」(定員1,300名:1階806名、2階496名)で、2年4か月ぶりに第14回演奏会を開催しました。

▼9時に団員集合、発声練習。あれ?
  檄を飛ばす依田団長

 朝からきれいに晴れ上がった日曜日。管理人は前夜は忘れ物のないように、また新しくこの日の第3ステージのために買い込んだ絹製の真っ赤なベストやら、黒の上下など普段と違うものをバッグに整理しておりました。6時に起床の予定が、カミサンの声で起きたのが6時17分。出掛ける準備はOKでしたが、洗髪して生乾きのまま寝てしまったせいで左サイドの髪がピンと立ったまま。ドライヤーをかけても寝ません。諦めて自宅を出たのが7時30分。中央線を四谷で南北線に乗り換えてさくらホールに8時45分に到着。高木さん、清水さんら長老たちはすでにホール入り口前に集まっていました。

 9時30分から3階のリハーサル室で松本先生による発声練習。何気なくリハ室に入って、ワイワイやっていると後から入ってきた団員が「ここは土足厳禁ですぜ」と一言。慌てて廊下にあるビニールスリッパに履き替えましたが、数名の団員には行き渡らず冷たい床に生足で立つ始末。松本先生だけは、悠然と靴のままでした。(後で知りましたが、舞台用の靴なので”土足”ではありませんでした)

 そこで誰とはなしにある事に気が付きました。
 「O.K.さんがいない!」 
 お、ホントだ。集合していればあの大きな姿が目立たないわけがありません。すでに9時40分。
 「前回のホールのティアラこうとうに行ってるんじゃないか?」、「来週の日曜だと間違えていないの?」と憶測が勝手に飛び交う始末。
坂田さん O.K.さん
 「携帯に電話しろ」と声が飛び、ベースの坂田さんが慌ててOさんに電話。
戻ってきた彼の話では、
「坂田です。Oさん、どうしたんですか?と聞いたんだよ。そしたら、何の用だ、と怪訝そうな声でね。みんな集合しているんですが、と言ったら、え?と驚いているんだ。どうやら集合時間を間違えていたんだな。で、今どこにいるんですか?と聞いたら、上野だという。あと15分ほどで着くでしょう」。

 多分Oさんはまだ京浜東北線電車の中だったのでしょう。あの体格で運転室に押しかけて上野から田端まで直行せよ、と強要したに違いありません。もっとも休日運転ですから京浜東北線の電車は田端までもともとノンストップです。そんな訳で、Oさんはぴったり1時間遅れて10時に到着。これで全員集合となりました。ヤレヤレ。

 Oさん曰く、「9時という集合時間は知ってたんだ。でも起きてからの行動が1時間ちょうど遅れていたんだな。坂田から電話があるまで、まったくそれに気が付かなかったよ」とヘンな弁解。

リハーサル室で松本先生の発声指導を
受ける団員たち

▼おーい、オレの靴!
 リハ室での練習を終えた団員、スリッパから靴に履き替えてステージに向かいましたが、江畑さんがキョロキョロしています。どうしたんですか?と聞いたら「オレの靴がないんだよ」。でも黒い靴をしっかり履いています。
 「履いてるじゃないですか」と言うと、「いや、これオレんじゃないんだ」。
どうやら似た靴を誰かが間違えて履いていったようです。誰でも取り散らかった靴を間違えていったん履いてしまうことはありますが、履き心地が違いますからすぐ分かりそうなものです。

 ステージではステマネの丸亀君らが舞台づくりを終えようというところでしたので、団員はひとまず前列の客席に座っていました。首をかしげながら江畑さんが下手袖から現れ、「誰か、オレの靴履いていっていないかぁ?」と聞くと皆一斉に自分の靴を確認しましたが、
「あ、オレだ!」と真っ先に声を上げたのは織山さんでした。「どうも小さいな、とは思っていたんだ」
なら、変だと思いなさいよ!


▼11時からステージリハーサル。カメ憮然!
 リハ室での練習を終え、ピアノ調律の済んだステージへ。このステージは8年前にノルウェーのオスロ大学合唱団と共演して以来のホールです。「あの時は不入りだったなあ(確か200人もいなかった)」とつぶやく団員もいました。

 ステージに入るや、T氏が「山台の位置がだめだ。これでは音が前に飛ばない。もっと前にしてくれ」と要望。すでにステージマネジャーの丸亀君が松本先生、団のF氏はじめ技術スタッフの指示を受けて現役学生やホールスタッフと山台をセットしてあったのですが、その現場を見ていない技術スタッフT氏が要望したために、もう一度組み直しとなりました。 

 ステージマネジャーの丸亀君(写真)が、「集合直後に技術スタッフとここで打ち合わせて、その通りに組んだのにやり直しか! もう俺は現役学生には指示できない。自分たちでやってくれよ」と憮然とした表情。しかし結局学生たちや見かねた団員たちも一緒になり、一度出来上がった山台をばらし、1メートル以上も前に出す作業をするハメとなりました。

 続くリハではケルビーニ全曲を松本先生の指導、他の3ステージ各曲の歌いだし、日本叙情歌集のMCの入り方などを確認。いつもの演奏会直前リハに比べるとずっと早い12時35分に終了となりました。

  (写真はステリハ中の団員と松本先生 写真提供:飯田光男さん)

▼「満員の予感がする」と、千葉実行委員長
 千葉紘弥委員長

 演奏会のたびにいつも気になる聴衆の数。これまでの最高は4年半前の第12回演奏会。創団40周年記念演奏会で、作曲家の多田武彦先生を客演でお迎えした時で、定員1,234名のティアラ江東に約1000名の聴衆を集めました。

 「今度は満員にしてみせる!」が今回の実行委員長千葉紘弥氏はじめ委員たちの合言葉。氏の会社が北区内に本社がある名門企業とあって、早々と北区文化振興財団の後援を取り付け、区長はじめ主な区幹部や区議会議員にも支援を取り付けました。さらに区内の中学・高校・社会人合唱団へチケットを約200枚配布することも実行。演奏会前に余ったチケットを回収する時も、戻ってくるチケットがないことから当日はかなりの来場者が予想されていました。


▼ホール前にすでに長蛇の列、10分早く開場
 ステージリハーサルも終わり、昼食を済ませた団員が控え室で寛いでいる午後1時10分過ぎに、実行委員の江畑さんと熊木さんが、「おい、もう入り口に数百人もの列が出来ているんだ」、と興奮気味に飛び込んできました。他の催しに来たんじゃないの、との野次に「いや、そうじゃない。さくらホール前の列なんだ。見ればご高齢の方が多いので、10分早く開場することにした」とのこと。

 こんなことは長い白門の歴史の中でも初めてのことです。しかし大半の団員は半信半疑の面持ち。予定を早め、開演40分前の午後1時20分に開場となりました。

▼開演15分前に1階はほぼ満席
 開演15分前に全員がステージ袖に集合。反響版の隙間から客席をおそるおそる確認。毎回のことながら、聴衆の数は気になるものです。「おい、一階はもう満席だぜ」と覗いていた団員たちが戻ってきます。どれどれ、と管理人も足音を忍ばせて客席を確認。お、ホントーだ。ほぼ一階はすでに9割の席が埋まり、まだ入り口から続々と入ってくる人々がいます。

 ステージマネジャーの丸亀君が「受付の情報だが、まだ入場待ちの列が途切れないんらしい。開演を5分ほど遅らせようか」と思案顔。しかし、予定通りに2時開演と決めました。それでも実行委員長の千葉さんは、「2階の一番前の席は北区関係者の招待席なんだが、まだ誰も来ていないなあ」と心配そうな表情を隠しません。

(写真は開演15分前の一階客席)


▼晴れの日に高齢の母が来場、感涙の海外さん
 海外義次さん

 「実は、おふくろが来ているんですよ」と開演まであと5分に迫ったステージ下手で出を待つ間に、トップテナーの海外義次さんがシミジミ。ご家族が来場というのは珍しいことではありませんが、聞けば今年92歳のお母様がご来場とか。海外さんは62歳ですから、お母様もそんな年齢かと思いましたが、それにしても92歳でご来場はこれまた白門演奏会歴史でも最高齢ではないでしょうか。さすがに今回のステージでソロ1回、クワルテット1回でいちばん出番の多い海外さんの晴れ姿を一目見ようとお出でになったことは間違いありません。

 「来るな」と言ったんですがね、と海外さん。そうじゃないでしょう? 俺、出番が多いから聴きに来てくれ、ときっと頼んだんでしょうから。

海外さんの打ち明け話:
 母は王子に住んでいましてね。その行きつけの美容院では”息子が白門グリークラブで歌っていて・・・”とよく話していたんです。で、偶然なことにこの美容院の先生は石井相談役とは旧知の仲。さくらホールに近いので石井さんがチラシを貼らせてくれと持ってきたんです。僕は母には本当に知らせていなかったんですが、来院した母に先生が”おたくの息子さん、今度王子で演奏会よ”、と教えたんです。それを知った母が至近ということもあり、姉とやって来たわけなんです。

 気になる聴衆の数。ステージ袖にあるモニターにはステージ最前部の3列目までが映っています。見れば最前列には半分までお客さんが座っています。これまでにはなかったことです。これは本当に満席になるかもしれない、との予感が高まりました。

▼緊張の第一ステージは清水さんのアコーディオンで始まるロシア民謡
 いよいよ開演。「いってらっしゃい!」との黒いタキシード姿の松本先生、森田音楽監督、丸亀君らの声援を背にステージへ。聴衆の拍手がまるで雪崩のように聞こえます。定位置(客席から見て一番右側)に着いて改めて見上げると、一階席(804席)の最前部の右側に多少空席がある程度。2階席(496席)も8割が埋まっています。実行委員たちだけでなく、全団員が内心驚いたに違いありません。海外さんのお母様は緑色の洋服を着て前から3列目にお座りでした。その横に座っていたのは、海外さんのお姉さまと後で知りました。
 清水軍治さん

 団歌「Viva!白門!」に続いて松本宰二先生指揮の曲目は白門得意のロシア民謡。合唱演奏の前にバリトンの長老、清水軍治さんによるロシア民謡三曲のメドレーがアコーディオンで演奏されました。

 「いやあ、だいぶ練習したんだけれど間違いもあったな。」と反省する清水さん。でもドイツで買った130万円の名器、ホーナーの独特の哀愁に富んだ音色はオープニングにふさわしいものでした。

 「指揮者が変わると音も変わるのよね」と終演後に石井相談役夫人の喜美子さんが感想を漏らしていました。
 「カリンカ」ソロの藤沢さんは一週間前から風邪をひき、開演直前まで黒いマフラーを首に巻いていたのですが、よく高音が伸びていました。「ボルガの舟歌」の千葉実行委員長のソロは艶といい、声量といい、今まで以上の絶品でした。とても64歳とは思えません。

▼マイクを忘れた司会の宮本さん
 第三ステージは、藤沢賢二さん指揮の日本叙情歌曲集。司会を務めるのは1989年の入団以来、演奏会で毎回マイクを握る宮本康幸さん。「歌もうまいが、司会もうまい」(本人弁)、「ミヤモトクンの歌は今一歩だけど、司会はうまいわね」(元ボイストレーナー、メゾソプラノの鈴木順子さん)を励みにMC原稿を2日前に完成、暗誦にこれ努めてきたようです。

 「楽しく盛り上げるのはもちろんですが、最近の話題や、ソリストを持ち上げて紹介することを忘れないようにしています。軽いジョークを交えてね。それとトークショーにならないよう、出過ぎないようにすることが肝心です」と控えめに語っていましたが、ステージ上ではどうだったでしょうか?

  宮本康幸さん
 「曲間に次の曲を紹介するのですが、曲順を間違えるとえらいことになるので左手には原稿を全部書いた小さなメモを握っていました。ところが開演直後のアコーディオン演奏をした清水さんを改めて紹介するところでは3行ほど飛ばしてしまいましてね。本当は、もっと清水さんについて語る部分があったんでですよ。やはりミスをしてしまいましたね」
 適度に聴衆を笑わせて無事に終了。やれやれとステージ袖にもどりマイクをスタッフに返し、黒服上下と黒い蝶ネクタイに着替えて数分で第四ステージに。整列して指揮者の松本先生、ピアノのK尾友美子さんの入場を待ちました。

 「ここでマイクを置きっぱなしにしたことを思い出しました」
 あれ、まだ司会が残っていましたっけ?
 「アンコール2曲が済むと”今日のひととき”(小山章三先生作詞作曲)を歌うのが常なんですが、その2番ではハミングをバックに30秒ほど聴衆へお礼の挨拶を私がすることになっていたんです。だからマイクを持って出てこなければならなかったんですよ。ところが、司会のステージが終わり着替えもあったので一旦定位置に戻しておいたんです。で、そのまま忘れて出てきてしまいました」

 で、どうしました?
 「譜めくりの宍戸くん(現役学生)がいちばん出入り口に近いところにいたんで、私の横の松丸さんに”マイクを持ってきてくれ、と伝えてくれませんか、とリレーをお願いしたんですが、緊張しっぱなしのせいでしょうか、それとも意味がわからなかったのか、松丸さんは怪訝な表情をするんです。そこで、宍戸君に直接呼びかけたのですが、私も緊張していたせいで「大厩君!」と呼んでしまったんです。彼も気が付くはずはありません。私から一番遠い位置にいましたからね」

 それで?
 「指揮の松本先生とK尾さんも入場してきたので、マイクは諦めました。で、レクイエムを演奏中も、どうしたら取りに戻れるかを考えていました。肉声でやろうか、とまで考えましたが、2階席の奥まで届くわけがありません。そこでレクイエムを終わった松本先生とK尾さんが袖に引っ込むのを追いかけるように戻ってマイクを持ち、お二人がカーテンコールでステージに戻ったときに聴衆の目がお二人だけに注がれるのをいいことに、さりげなく戻りました」

 全ステージを記録したビデオには、そしらぬ顔でステージと袖を往復する宮本さんがバッチリ写っているに違いありません。
「今日のひととき」の最後では大勢の聴衆から手が振られました。

(第4ステージ:ケルビーニの「レクイエム」 指揮:松本宰二、ピアノ:K尾友美子)


▼聴衆をお見送り
 午後4時24分に全ステージを終えた団員たちは通路を走ってロビーで聴衆をお見送り。さすがに1,200人余りの聴衆(千葉実行委員長の話)が一度に流れてくるのは壮観でした。団員の家族、会社の友人、上田グローリア合唱団はじめ交流のある合唱団体、故あって休部中の団員たち、白門に参加していない各地のOBたち、都内の学員会支部の皆さん、中大音研スイングクリスタルや吹奏楽部のOB、過去の客演指揮者の先生方・・・。ご来場ありがとうございました!

▼レセプションには100名以上が出席、多彩なゲスト
 あいさつする依田団長
 
 午後5時から北とぴあ16階の東武ホールで打ち上げレセプションを開催しました。支援をして下さった北区収入役さんはじめ区役所幹部の皆さん、区議会の現・前議員の皆さん、小山章三先生、中島はる先生、取材に来られた北京放送東京支局の荘志霞さん、日中新聞編集長の韓暁清さん、休部中の加藤政彰さん・秋代さんご夫妻、里見圭介さんご夫妻はじめ全国から来てくださった30名以上の中央大学グリーOBたちや団員の家族たち、ピアニストのK尾友美子さんと大庭直子さん、演奏会進行を手伝ってくれた現役グリーや中大混声合唱団の学生ら110名あまりで会場はぎっしりとなりました。もちろんこれまでこのように大勢の出席者になったことはありません。

 退任を間近に控えた依田団長、千葉実行委員長のあいさつ、石井相談役の乾杯発声に続いて開宴。今後引き続いて指導される松本宰二先生はご多用とのことであわただしく今回を講評、「レクイエムでは歌が走りすぎるところがありました。やはり指揮者を見て欲しいですね。もっとも走ってしまうことは、白門の団員がまだまだ若い証拠でもありますよ」と会場の爆笑を誘いました。
 
宴半ばで白門団員を含む中大グリーのOBたちを昭和28年卒(石井相談役ら)から順次壇上で紹介しましたが、現団員の桜井正夫さん(昭和50年卒)から最若手の松村貴之君(平成14年)までの17年間がすっぽりと抜け落ちていました。白門グリークラブの高齢化を象徴する出来事で、これからの大きな課題と認識しました。

 
 歓談する団員と来賓たち
 昭和28年−34年卒のOBたち(写真提供:丸亀英雄さん)
 森田さんの指揮で、「秋のピエロ」
 最後に、今度の演奏会では健康上の理由から指揮台に立たなかった森田敏昭さんの指揮で「秋のピエロ」(組曲・月光とピエロの2番)、藤沢賢二さんの指揮で「はるかな友に」を合唱、午後7時8分に散会となりました。出口には聴衆から贈られた花束、ギフトがいっぱい。花束プラス日本酒という、団員の好みを考えてくれた贈り物までありました。

 管理人には、思いもかけず勤務先の部下から贈られた花束が来ていました。
 団員はほかのOBらと年次ごとに2次会を開いたようです。千葉さんら実行委員たちは10名ほどで赤羽に行く、と言っていましたが、多分カラオケでしょう。


▼聴衆の感想が寄せられています
今日の第14回定期演奏会、大盛会でおめでとうございます。あれだけ内容豊富な演奏会の準備はさぞ大変だったことだろうと推察申し上げます。趣向を凝らした4部の構成内容のせいか、時間の経つのを忘れて大変楽しく聴かせて頂きました。
 ヤンブラメンバーの中には本格的な男声合唱を聴く機会が少なかった人もいて、帰りの電車では男声合唱の素晴らしさに皆興奮覚めやらずの観でした。藤沢に着いてから、馴染みの蕎麦屋「やぶ茂」へ行った人達がいました。私は所用で参加できませんでしたが、さぞ盛り上がったことと思います
 それにしても白門グリークラブの人気は凄いですね。開場前にもうお客様が長蛇の列で(1時20分にホールに着いた仲間のIさんの話)、我々が北とぴあ17階のレストランでゆっくり時間調整をしてから会場へ行きましたら、ほぼ満席の状態でヤンブラメンバーがまとまって座ることなどできませんでした。我々は甘かった、次回は開場前にもっと早く行かなければと皆反省しました。
(ベースの小川さんが指導中の鵠沼探求クラブ内合唱団、ヤングブラザースNさんより)


鵠沼探求クラブ 湘南に住む男性だけでユニークなボランティア活動をしている団体です。
http://members2.jcom.home.ne.jp/kugenuma-tk/


昨日の白門グリークラブ演奏会成功、おめでとうございます。
 当日は、小生うっかり筆記用具を忘れてしまったので、アンケートを提出しなかったが、ホントに良かったです。
まず、小山先生も驚いておりましたが、王子の北とぴあを満席にしたこと、、今回の実行委員会のメンバーの営業努力が感じられました。教育振興会の招待など色々あったとは思いますが、素晴らしい演奏会になりましたね。
演奏の方も、満足。ロシア曲、黒人霊歌は中大グリーの十八番だけあって、良い音でした。特に、以前余り出さなかったp、pp(以前は全てmf以上)がとても綺麗にハモッテおりました。(来週行われるシベリウスでは、ppppがあります。この箇所を聞いて頂きたく、−−うまく歌えるかどうか不安です。)
 但し、慾を言わせて頂ければ
1)日本の歌が多少音程に自信がなさそうに感じました。(特に中声部)
2)ケルビーニのレクイエムは三声部なので難しい曲です。最初のKyrieではどうなるかと不安を感じましたが、最後は無難に纏めましたね。私も当初練習に参加していて難しいと感じておりました。
 指揮者が森田さんから代わって最初の演奏会でしたが、既にその効果が出たと思います。音が綺麗になり整ってきました。
以前の曲の出だしにバラバラと出てくるところが少なくなり、−−日本の歌では多少ありましたがーー菅野先生がもっとも嫌う他人任せのトーンが無くなりました。ベースの中村さんは暗譜でしたね。
 次回の演奏会ではさらに変わってくるのではないか、と期待させる演奏会だったと思います。
(中大グリーOB、Chor’99に参加しているTさん)

・M団員の細君からの感想

 21歳の長女を連れて行きました。開演15分前に着いたのですが、もう1階は満席。2階に上がったら鈴木順子先生もいらしてました。「M君がソロを4小節やるって前から聞いていたの。途中から入場しようかとおもったけど、どのステージでソロをやるのかわからないので最初から聴きました。もう心配で昨日は眠れなくって(笑)・・・」。
 座った位置が一番ステージから遠くて、あれだけ広いホールだとソロやアコーディオンが聴こえにくかったように思います。小さなお子さんもいたけど、演奏中はとても静かで、眠ってしまったお父さんにおとなしく抱っこされていました。ベースの中村さんは、ただ一人レクイエムも完全暗譜でしたけど、これは立派でしたね。

●演奏会実行委員会メンバー(千葉委員長を除く)
江畑忠夫 織山幸雄 藤澤賢二 熊木宏儔 飯田昌男 立山誉人


     2005年7月から12月の出来事
 2005年1月から6月の出来事  2004年7月から12月までの出来事  2004年1月から6月の出来事
 2003年8月から12月の出来事   2003年1月から6月の出来事  2002年7月から12月の出来事 
2002年1月から6月の出来事  2001年9月から12月の出来事  2001年4月〜8月の出来事
2001年1月〜3月の出来事  2000年10月〜12月の出来事   2000年9月の出来事
2000年8月の出来事  2000年7月の出来事



inserted by FC2 system