2006年(平成18年)


12月 
●2006年度総会、懇親会を開催(2006年12月30日掲載)
 恒例の総会、懇親会が昨年と同様、西新宿のセンチュリーハイアット東京で開催されました。総会の最大議題は4ヵ月後に迫った第15回演奏会。決算報告、来年度予算も執行部の提案どおりにほぼ了承されました。
 会場を変えて家族や来賓、現役学生も交えての懇親会は一際賑やかになりました。

 挨拶する千葉団長  高木さん指揮で団歌  乾杯発声は石井相談役  新団員の小澤さん
 常任指揮者の松本先生  千葉団長は初めて奥方の多恵子さんを帯同  司会は毎度お馴染み管理人
 現役学生も交えて全員合唱  皆出席で表彰の西山さん  娘を嫁がせた志田さん
 指揮する小山先生  定期演奏会を終わったばかりの現役学生も演奏  久々の辰巳夫人、裕子さん
 清水軍治、宮本康幸、同夫人、依田安弘さん  2次会にいそいそと出掛ける辰巳則夫、高木辰夫

●小川さんから、「四国霊場巡りと ”今日のひととき”」(2006年12月5日掲載)
の話を聞いたら章ちゃん(小山章三先生)が喜ばれるのではと思い、転送します。

鵠沼のヤングブラザーズの誕生は、四年前、当時特別養護施設への慰問活動をしていた「ヤングハーツ」の有志6名の方々が二部合唱を始めた時でした。それ以来、白門の愛唱歌「今日のひととき」を二部に編曲して、練習終了時には何時も歌ってきました。その後メンバーも増え、今は四部合唱で歌っています。今回、添付のメールをお寄せ戴いたお二人は4年前からのお付き合いです。

特養施設で「今日のひととき」を歌う時は、小人数のため今も二部で歌われており、その時、お年寄りに「さよなら」は歌いにくく、最後の言葉は「また会いましょう」とし、2番は歌声あわせるを、さかずきあわせると替えて歌っているそうです。(ご了承の程)

さて、寄稿はそのメンバーの一人、鈴木英紀さんが結願前夜86番目の札所「志度寺」で、メンバーの野口昌久さんともうひとりの旧友と合流された時のお話です。尚、鵠沼探求クラブのURLの中の「私のアルバム」に写真が掲載されています。
(2006年12月2日 小川勝久)


の四国札所巡り・高野山奥の院の旅は、先月23日夜、ひとりの旧友に見送られて新宿発徳島行きの高速バスから始まった。彼とは11月20日(28日目)午後3時、第86番志度寺の境内で待ち合わせ、高野山までの3泊4日の道連れを約束していた。2週間後、野口さんからケイタイが入った。志度寺に眠る畏友の墓参に行くからよろしくと。

そして、幸いにも三人は約束の場で合流することができた。次の札所・長尾寺まで約7キロ歩いて、5時前に門前にある「あづまや旅館」に着いた。「お杖を。これは私の仕事」と、女将がすぐに杖を受けてくれた。納経のあと宿に戻ると、「やれることしかできないが、できることは何なりとさせてもらいますよ」と、笑顔で迎えてくれた。それぞれの部屋に子供たちが案内してくれた。

風呂から上がると、食堂へ。すでに先客4人は、ご機嫌で歓談中、皆ここではじめて知り合った人たちのようだが、結願前夜のせいもあってか旧知のように話が弾んでいる。こちらも挨拶もそこそこに仲間入り。まずはビールで乾杯。お酒を注文すると、「はじめの一杯はお接待させてもらいます、この地酒『川鶴』はおいしいからね」と。一升瓶のまま置いてもらった。
管理人注 結願:けちがん、と読みます。〔仏教用語〕 日数を定めて行う法要・修法の終了すること。満願。

歩き遍路の朝は早く、夜も9時前には床につく。宴もお開き間近、ちょっと名残惜しそうな雰囲気が漂う、女将も「今夜もみんな楽しそうでよかった、でもそろそろね」っていう顔をして部屋に入ってきて隅に座った。

「女将さんね、ちょっとだけ、歌うたっていいかな、いまの気持ちにぴったりの歌詞なんだ。野口さん、二人で歌おう」と、私。そのとき、女将さんがどういう顔をされたかはっきり覚えていないが、「どうぞ、歌って」というふうに思えたんですね。

きょうのひととき/おたがいにげんきで/
うたごえあわせる/このしあわせ/
またいつかあいましょう/またいつかあいましょう/
さよなら/さよなら/さよなら

きょうのひととき/おたがいにげんきで/
さかづきかさねる/このしあわせ/
またいつかあいましょう/またいつかあいましょう/
さよなら/さよなら/またあいましょう                    

「この歌は、中央大学OBのコーラスグループ・白門グリークラブの愛唱歌で、そのメンバーのひとりで合唱指導してくれている小川さんという方が教えてくれたんだけれど、小山章三さんの作詞作曲です」と、追加説明。「さかづき重ねる」なんて勝手に変えてすみません。最後の「またあいましょう」はヤングハーツで使わせていただいています。

「とってもいい歌ね、歌詞もメロディもよかったあ、低音があるからいいんだね、30数年この商売やっているけど、こんないい気持ちになったのはいままでなかった、ありがとうね」と、女将の言葉がいまも耳に残っている。

翌朝6時食堂へ。「皆さん、おはようございます」、「おはようございます」。出発間際に「夕べは楽しかったね、もう一度あの歌聞きたいから、またこの3人で来てよ、3人とも一緒じゃなきゃダメだからね」と、女将が真顔で言った。「お世話になりました。さよなら、またあいましょう」。

白門グリークラブのどなたかが四国遍路にお出かけの節には、ぜひとも「あづまや旅館」に泊まられて、正調「今日のひととき」を乙信子そっくりの英美子女将にお聞かせいただきますようお願い申し上げます。

▼「あづまや旅館」  【「歩く地図・四国八十八ヶ所‘05 」(山と渓谷社)97Pから転載】
 長尾寺の門前にある、歩き遍路に人気の宿。自らも結願した名物女将の高須英美子さんが切り盛りしている。夕食の一品として出される讃岐うどんは絶品。朝食には、同行二人を意味する大きな双子卵が付く。
所在地  香川県さぬき市長尾西973-9  電話 0879-52-2415   
    
   2食付 6000円  11室 



第5回目の実行委員会を開催(2006年11月13日掲載)
 会場は代々木のオリンピックセンター会議室。管理人が勤務先から新宿に着いたところで、坂田さんからの電話着信がありました。
 「今日の会場、どこだっけ?」
 いつものクセで、会場も確認しないまま出てきた坂田さん。しかしこの日はご長男(弁護士)と婚約者の指輪交換の日で、管理人が5ヶ月前まで勤務していたホテルが会場だったとの事。そこから家族と別れたものの、開催会場が思い出せなかったようです。何はともあれ、おめでとうございました。
 会議は委員長の塩田、その他に高木、坂田、大蔵、堤、辰巳、桜井、それに管理人の小生で8名。議題は各チームの作業状況報告、CD制作案、プログラムの体裁と掲載内容など。具体的な提案が提出され、濃〜い論議が交わされました。
 会議も終わるころになって、
 「あれ、中村さんが来ていなかったね」と誰かが言いました。それまで誰も気が付いていなかったのです。
 その翌日中村さんからメールが来ていました。
 ごめん、厩舎に鍵が掛かっていて 孫の世話をしているうちに忘れちゃって・・・。
 会議終了は19:50。参宮橋駅近くの韓国料理屋で懇親会、解散は21:10でした。
 なおこの日までに決定されたことはさらに細部を詰めて、12月16日の第6回委員会で総会議事案としてまとめられる予定です。

●志田さんのお嬢さん結婚披露宴に出演(2006年11月5日掲載)
 カンドテナー志田雄司さんの長女でバレリーナの美奈子さんが、好天に恵まれた11月5日午後3時から東京飯田橋駅に近い東京大神宮で結婚式を挙げました。式には志田さん初めご家族、親族、そして披露宴出席者全員が参列しました。本殿で神官が司式する挙式は管理人も初めて立ち会う厳粛なもの。最近ホテルや専門式場にあるチャペルでキリスト教式で行われる挙式を見慣れている管理人にとっては貴重な体験でした。
 併設されたマツヤサロンで行われた披露宴には日曜練習を終えたばかりの白門グリークラブ団員30名が参加、アンコールを含めて5曲を演奏し出席者の万雷の拍手を浴びました。この出演の直前には美奈子さんのバレエ教室の教え子たち14人(5〜12歳と思われるお嬢さんたち)が「アマリリス」にあわせて可憐なバレエを披露。その直後の出演だけに、余計目立ちました。
 美奈子さんは5歳のときからクラシックバレエを学び、傷めた足首の治療で接骨院に通ううちに知り合った独身院長さん、橋本久志さんと恋仲に。(実はもっと長いストーリーがあるのですが) 会場は美奈子さんや橋本さんの恩師や友人たち約70名の出席者で賑わいました。志田さん、おめでとうございました!

単身赴任の管理人を団員が慰問
(2006年11月5日掲載)

 の6月末から静岡県のさる高級会員制ゴルフクラブ経営者として単身赴任した宮本康幸さんを、依田安弘前団長ら5人の団員がプレーを兼ねて慰問しました。
 宮本さんは12年前にゴルフをやめたのですが、その理由は「あんなもの、どこが面白いんだ?」 ところが社命で赴任するや、会社にいるベテランプロSさんに師事。めきめき腕を上げ、最近は練習に来れば自分からゴルフ談義と筋違いな技術論をまくし立てる有様。
 「これまでは失われた12年だった。今後は正しいゴルフの普及とキャディの処遇改善に努めたい」と殊勝な態度も見せるため、それではと、心ある5人の団員が実地検分にと、立ち上がった訳です。
 遠く長野から品川ナンバーの高級車を駆ってプレー前日に遠征してきたのは依田前団長。ゴルフ歴も長く、一時はマスコミ界でも「飛ばしは尾崎、アプローチは青木、パットは中島級」とまで言われた(かどうかは不明)依田さんは今回のプレーを前に地元のコースで幾度も練習を積んできました。宮本さんは遠来のお客さんを接待するために前夜、地元のしゃぶしゃぶ店にご案内。深夜までゴルフの薀蓄を傾けあったのであります。
 プレー当日は心配された雨もなく、まずまずの天気。「ゴルフ場の品格を汚すな」と依田前団から長訓示を受けた(前夜に宮本から依頼あり)団員たちは09:12、09:19と2組で1番ホールからスタート、早くも左右に分かれて妙技と舌戦を繰り広げたのです。優勝はやはり依田さんで90、次点は小松さんで94。残りの4人は未練がましい言い訳が多く、全員100を上回りました。
 次回は来年4月の演奏会を終えてから、常任指揮者の松本宰二先生を囲んで、となりました。
 1番ホールのスタートを前に全員で。左から宮本、小松、依田、藤澤、西山、井上の各氏
 小松さんは美しいフォーム  94  枯れた堅実なプレーの井上さん  前半55と口ほどにもない藤澤さん 102
 腰の痛みを堪えて善戦の西山さん 102  人格の表れるプレーで90とトップの依田さん  豪快なフォームでボールは左へ 108


10月

●ヤングブラザース、公民館まつりに出演(2006年11月5日掲載)
 ベースの小川勝久さんが指導する藤沢市の男声合唱団、ヤングブラザース(通称ヤンブラ)から最近の活動レポートがもたらされました。さてどんな演奏会になったのでしょうか。団員の磯川道夫さんの記事と、西野行さんご提供の写真です。

 げぬま探求クラブのメンバーたちは、平成18年10 月21、22日の両日、「鵠沼公民館まつり」に参加し、焼芋店、手作りおもちゃ店、古本市を担当した。それぞれの店は公民館祭りで毎年好評を博し、今年もメンバーたちは大忙しの時間を過ごした。
そんな中、22日の午後、それぞれの持ち場を離れた16人は、大ホールの舞台に上がった。ヤングブラザースの面々、それに指揮者の小川勝久先生とピアノ伴奏の小林美代子先生である。

 日頃のコーラス練習の成果を披露した。バリトンパートの西野行が司会を担当。「私たちのグループはヤングブラザースといいます」と自己紹介すると会場はどっと湧いた。壇上に並ぶメンバーたちは平均年齢 67歳、とてもヤングとは見えないからである。
しかし、「エイコーラー、エイコーラー・・・」と「ボルガの舟歌」 を歌い出すと、「おーっ、やるじゃない」という雰囲気になった。
「雪の降る町」に移ると会場のあちこちで一緒に小声で歌っている。「遠くへ行きたい」もそうだった。

 「受けてるぞ!」とみんなの気持ちが高揚してくるのがわかる。「ふるさと」では司会者が「みなさんもご一緒に!」と呼びかけると会場は大合唱の渦。ペレス・プラードの演奏やイベット・ジローの歌で知られる「バラ色の桜と白いリンゴの花(セレソ・ローサ)」では会場もうきうきと体を動かしている。

 歌い終わり舞台を降りると、心配げに駆けつけた身内はもちろん、顔見知りたちから「よかったよ」の声がかかる。ま、彼らが評価してくれるのは身びいきの気持ちからだと「ありがとさん」と聞き流したが、全く見も知らないご婦人たちが「素晴らしかったですよ。また来年も楽しみにしてますよ」 と話しかけてこられたときは暖かいものが全身を包んだ。「よお〜し、 来年もやるか」と身の程知らずにうぬぼれてしまったのであった。

 帰宅してみると小川先生からメンバーたちにメールが入っていた。「さすが本番に強いのは熟年パワーでしょうか。無駄に年は取っていませんね。練習以上の出来で大変嬉しく思っています。高木さんも良い 演奏だったと言ってくれました。一皮剥けたようだとも言ってくれたのはお世辞ではないと思います」と、ここまではお褒めの言葉。しかし、「それにしても、うちのベースは頑固者の集団ですね。最後まで修正出来ませんでした。これからも気長に付き合って行くしか無いのかな  (疲れるなア)」と気長に指導してくださる小川先生の嘆きのお言葉。

 「そうだよなあ、演奏中にいきなり怖い顔になった先生がベースパートをにらんでこられたもんなあ」


 12月には新曲で公民館の「クリスマスコンサート」に参加することになっている。
 「みんな、音程をしっかりとり、暗譜しような。歌詞も覚えてしまおうよな」

▼小川さん、「12月にもコンサートが」

 各パ-ト5人で20名在籍ですが、体調不良で4名の方が参加できず、2ndテナーは二名となってしまい、高木辰夫さんの助っ人をお願いしました。
 演奏曲目は「ヴォルガの舟歌」「雪の降る街を」「遠くへ行きたい」「ふるさと(会場の皆様と)」「バラ色の桜と白いリンゴの花(セレソ・ローサ)」(青木八郎編曲)そして、最後に「今日のひととき」でした。
 来る12月17日(日)には公民館クリスマスコンサートが開催されます。10月28日よりその為の練習を開始します。曲目は組曲「子供の一年」より、7曲抜粋します。5回の練習で仕上げなくてはならず、些か心配です。(曲は易しいので何とかなるでしょう。)



8月

●管理人単身生活レポート(2006年8月2日掲載)
 
れの単身赴任ですが、週に週に2日は自宅に帰ることが出来るのでエラソーなことは書けません。でも朝晩の食事と洗濯、掃除などはきちんとやっています。特に洗濯は毎日。これは午後に1時間ほどプロについてゴルフの練習をして下着が汗だらけになるせいでもありますし、自宅に沢山の洗濯物を持ち帰るまいという最初の決意があるせいです。
 残業などない会社ですから、社宅には18:00前に戻ります。風呂に水を張り、その間に洗濯機を動かします。そして夕食の支度。意識してキャベツやブロッコリなど野菜を多めに摂ります。
 会社に協賛しているビール会社のコンペ賞品が余ったので、原価で買取りました。レギュラー缶24本で3,700円。ひと夏は持つでしょう。
 日中は会員さんと顔を合わせるためにティーグラウンドに足を運びます。その往復では両脇の植栽の中から顔を出すツル科の植物を引っこ抜くのが日課となりました。一度引き抜いても根が残っているので数日立つと元通り、いたちごっこです。コース内にはアカマツ、桜、樅、楓、銀杏、楢、クヌギ、杉、ヒノキなど多くの木がありますが、この時期は虫たちが飛びまわっています。早朝だとクワガタ、カブトムシが木の幹で樹液を吸っているそうですが、私は見たことがありません。その代わりに日中によく見かけるのがカナブンという昆虫です。

 左の写真はクヌギの樹液を吸いに集まった昆虫たちです。
 赤銅色の虫はカナブン、緑色はアオカナブン、そして上で順番待ちをしている蝶がゴマダラチョウです。カナブンはカブトムシの仲間で体長が2-3cmほどです。幹の割れ目に顔を突っ込んで押し合いへし合い。
 ゴマダラチョウはついに樹液にあり付けず、しばらくして他の木に向かって飛んでいきました。
 時折り猛毒を持ったキイロスズメバチが飛びます。体の太さは大人の小指ほどもあります。









6月


●今年初めての合宿を開催(2006年6月26日掲載)
 場不足に悩まされながらも6月24-25日に藤沢市江ノ島内にあるかながわ女性センターでほぼ一年半ぶりに合宿を開催しました。季節は梅雨ながら、幸いにも初日は好天に恵まれ、海風の涼しいセンターに24名の団員が集結。翌日25日にはさらに5名の団員が加わり、集中的な練習でこれまでの遅れを取り戻したようです。
 
信州から依田安弘さん、米澤博文さん、茨城県からは高山宏さん、新団員の木曾幸男さんも参加し、来年の第15回演奏会向け作品に取り組みました。

●当サイト管理人が単身赴任へ(2006年6月22日掲載)
 まれも育ちも住まいも東京という管理人のMさんが、サラリーマン生活34年目にして初めて憧れの単身赴任をすることとなりました。

 Mさんはさる企業グループの一つである新宿のホテルで役員を務めていましたが、2期目半ばで突然の人事異動に見舞われました。行く先は富士の東山麓にある老舗ゴルフ場の代表取締役。12年前に腰痛でゴルフを止めていながらこの人事。細君に「まだ道具残っていたかな」と聞くものの、ガレージに置いてあったクラブセットはとっくに粗大ごみとして処分したと聞かされ呆然自失。辛うじて残っているのは靴一足とボールが半ダースの有様。処分していいと言ったのはあなたよ、と言われて先見の明のなさを恥じ入るばかり。

 「運転免許がないのにあの地域で生きていけるのかな」とは団員の大きな心配。
 「単身をいいことにキャディと割りない仲にならなきゃいいが・・・」との心配はどうも本人のみとか。


 
平日に週休を取れるとのことで、定時練習だけは出席が可能です。

●白門旅行クラブ、東北へ(2006年6月22日掲載)
 年の演奏会に向けて団結が必要だ、という奇妙な趣旨で同倶楽部が2回目の旅行を実施しました。記録部長の江畑忠夫さんから、以下の旅行記が寄せられました。


 2005年秋、団員の車数台に分乗して「りんごと蕎麦」の信州へ依田さん(37年卒T2)を訪ね「蕎麦事件」を起こした白門グリー旅行倶楽部の面々。懲りもせず、家庭の事情で不参加の石井秀之、米澤博文、内生蔵綱雄、財布の事情で不参加の藤澤賢二、矢澤由行の五氏が欠けたものの新会員の小松秀洋、志田雄司の両氏を加えた一行が企てたのは東北旅行。今回の旅の合言葉は昨年の不祥事にならってか、、「人の家の食事に過大な期待はやめよう」。

 サクランボと玉蒟蒻(たまこんにゃく)を産する出羽の国は山形県に斉藤俊幸さん(昭和37年卒、トップテナー)を襲うべく西山旅行団長以下11名が数名の泥酔者も交えてホロ酔い気分で新幹線山形駅に降り立ったのは6月17日(土)昼丁度のことであった。

 名物サクランボを食べて、早めに宿へチェックイン、ゆったり露天風呂に浸って、早めの宴会、そしてカラオケ二次会……などと、旅の計画性を無視して勝手に思い込んでいた無知な旅人達はこれから地獄をみることになるのであった。
(左写真上:仙山線の社内、山形牛の弁当で寛ぐ江畑さんと千葉さん)

 仙山線に乗り換えて降りたのは「山寺駅」。 山寺、ってことは当然山の中の寺。名前からして今更ながら不吉な予感、そして気温は30℃、ますます不安。
 ガイドのオバチャンの「上は涼しいですよ、さあ頑張りましょうネ」の声もうわの空で、はるか天上に続くとも思える1100余の石段の第一歩を踏み出した部員は、以後ずーーっと頂上の奥之院まで無言だった。そう言えば信州上田にも「無言館」があったなあ!

 それでも全員が奥之院に到着。
「あごを出しそうになったんですが、生まれたときから出ているのでこれ以上出ませんでした」と巨アゴの持ち主のT氏が妙な言い訳をした。
 さらに常日頃団員の気力不足を何かにつけて嘆くO氏。「足ツッパリ息ゼイゼイで声が出なかったのではなく、荘厳かつ厳粛な山寺の雰囲気に浸り、あの俳聖・芭蕉に想いを馳せていたのだ」、と最後尾で気息奄々登頂した後もぬけぬけとうそぶいていた。
 これを聞いていたK氏(トップテナー)、「練習中もあのくらい静かならいいのに」とO氏のすぐ後ろでそっと呟いていたが。
(左写真中:階段の最後の奥之院、下:自分そっくりの木像を見つけて大喜びの小松さん)

 山形の初夏の味覚と言えば、サクランボ。サクランボと言えば佐藤錦と食べ放題の果樹園。あの可憐な実に旅行倶楽部のメンバーほど似つかわしくないものはなかった。佐藤錦がこぼれるばかりに実る果樹園では、普段は果物になど見向きもしないメンバーも大はしゃぎ。
 「そういえば、昔の歌に”黄色いさくらんぼ”、なんてのがあったな」とはるか彼方の青春時代を懐かしみ、甘酸っぱい実を頬張りながら歌ったのである。
 若い娘は、ウッフーン、お色気ありそで、ウッフーン・・・。だが若い娘とはとうに縁が切れているメンバーたちでした。

 第一回公演は山形市内にある斉藤さんのお宅。今尚91歳でお元気なご母堂と、小さい頃からマジックを仕込まれて育ったお嬢さん、お孫さん、そして友人でありサクランボ農園経営の細矢さん親娘を前に一曲御披露。
 義理の拍手とも気づかず、調子に乗ったK君の「もう一曲聴いてください」。
 これが間違いだった。一曲だけで終わるわけもなく、時計を気にしながら斉藤邸を辞して上ノ山温泉に行くべく駅に向かったが、東京並みの渋滞に引っかかり電車の発車時刻に間に合わないハメになった。やむなく1時間後の列車に変更。

 東北一の名湯と謳われるかみのやま温泉、その中でも老舗で知られる旅館「古窯」(こよう)のチェックインも当然のごとく大幅に遅れた。楽しみの入浴も遅れ、カケスの...じゃなくってカラスの行水で切り上げて急くように宴会場へ急行。開宴も遅れて芸者さんの時間も大幅に短縮。
 ったくもうどうしてくれるんだ・・・、K君、あんたのせいだよ、の声をよそに本人は「さあ、にぎやかにやりましょう、盛り上がりましょうよ!」。
 それでも宴半ばに第二回公演を強行して、年配の芸者さんとうら若き仲居さん達をボー然とさせたあたり、さすが初老グリーメンである。
(写真:斎藤さんも加わった宴会でのメンバーたち)

 翌朝のロビー。部屋も風呂も抜群の名宿「古窯」の会計で精算を済ませて戻ってきた幹事が首を振り振りこう言った。
「いいのかなあー。宴会飲み物代が0円だなんて!」
「エーッ!!どういうこと?」とメンバー全員が叫びました。
「斉藤さんのご紹介ですのでお酒代はいただかないようにと女将から言われております、ということなんです」
(斉藤さんは昔、県観光課のオエライさんだった。)
全員思いもかけない出来事に、「ラッキー!」、「グッド!」、「スプレンデッド!」(何でここだけ英語?)。育ちが悪く、酒にかけてはとりわけ意地汚いE君、K君、T君はこうも叫んだ。
「こんなことなら、もっと飲んどきゃよかった」

 二日目は曇天。美人女将、佐藤詩恵さんの見送りに作り笑いをしつつ、内心は「酒代請求されないうちに、さっさとずらかろうぜ」と早々に出発した一行。痛い足腰を労わりつつ旅のハイライト、最上川舟下りへ向かった。
 800円位のお弁当に400円の鮎の塩焼き、そしてワンカップを乗せて舟は快適に水面を奔る。説明の度にヘタな茶々を入れられ、あげく最上川音頭を一緒に合唱された若いガイドのお兄さん曰く、
「今日はやりにくいネェ」

 第三回公演は地元・紅花観光バスの中。白門11名以外には5名の同乗者。道連れのオバサマがいたく喜んでくれて、
「今の曲、遙友(はるとも)でしょ。タクの主人、早稲田グリーでしたのよ。もう一曲、いざ起てでもやってくれるかしら。」、に一同、「?????」

 旅の最後が又きつかった。
 羽黒山五重の塔は、古色蒼然としてそれなりに良かったが、そこに至る山道は「行きはヨイヨイ、帰りは登り」というヤツで又、全員無言。一同、下り坂の帰りは必ず上り坂、とあらためて気が付いたのだった。
(右写真:霊場羽黒山を歩くメンバーたち)

 東京へ向かうつばさ128号を待つ間、仕上げに駅前の蕎麦屋で生ビールと冷酒を飲み、もりそばを喰らいつつ軽く反省会。浮かれてばかりでなくきちんと反省するところがエライ!(ただしその反省が次年度に生かされるかが問題なんだよね:編集人兼サイト管理人)


 斉藤さん
(左写真)、本当にありがとうございました。次回は何処へ行こうか、と早くも思案中。平らなところに住んでいる地方在住の諸先輩、楽しみに待っててくださいネ。(江畑記)



参加者(敬称略) 写真はすべて旅行中のものです。
写真上段左から:西山和夫 志田雄司 小松秀洋 小川勝久 千葉紘弥 江畑忠夫
下段左から:熊木宏儔、飯田昌男 中嶋 敦 海外義次 辰巳則夫 古窯女将・佐藤詩恵



●松本宰二氏が常任指揮者に
(2006年6月22日掲載)
 年当団の指揮者に就任した松本宰二氏が正式な常任指揮者に就任しました。6月11日に開催した幹事会で発議され、同月20日の定時練習日に開催された臨時総会(団員20名出席)で幹事会提案どおりに了承されたものです。

●演奏会実行委員会が第3回目会議を開催(2006年6月11日掲載)
 田勝彦委員長が召集した委員会が6月11日正午に港区内のメルパルクで開催されました。この日は委員長のほか、宮本康幸(副委員長)、高木辰夫、藤澤賢二、高山 宏、中村真一、大蔵純、堤浄司、辰巳則夫の各氏が出席し、各担当チームの役割と演奏会までの10ヶ月間の作業スケジュールを確認しました
 次回委員会は8月19日を予定。

●港区音楽連盟ジョイントコンサート(2006年6月11日掲載)
 梅から2日目の6月11日に港区音楽連盟(25団体が加盟)の第21回ジョイントコンサートが開催されました。朝からそぼ降る雨、会場は昨年までのabc会館(定員500名)からメルパルク大ホール(定員1585名)と3倍のハコになりました。それでも大勢の熱心な区民、音楽ファンの来場で賑わいました。
 団員は長野県から依田安弘さん、茨城県から高山宏さんも参加して29名。演奏曲は前日に演奏した「月光とピエロ」から3曲。やはり大きなホールだけに実力以上の音が出せたようです


●調布市マザーコーラス交歓会(2006年6月11日掲載)
 木八郎先生が指導する東京ブルーアアルボが幹事を務める、第38回調布市マザーコーラス交歓会(主催:調布市マザーコーラス連絡会)が京王線・調布駅前の調布市文化会館たづくりで6月10日午後に開催されました。青木先生の依頼で、当団は招待されたゲスト演奏団体。この日の指揮者が青木先生だけに、演奏曲は「月光とピエロ」全曲。東京ブルーアアルボとの合同演奏(混声)はシューマン作曲「流浪の民」。
 
今年84歳とは思えない先生の強引な強力な指揮ぶりは相変わらず。確か癌を患って余命2年余り・・・と言われて早や4年。「昭和と平成の妖怪」の名を欲しいがままにしています。



5月

日曜練習に多田先生来場(2006年5月9日掲載)
 5月7日に開催された日曜練習は江ノ島内にある神奈川県立女性センター。来年の第15回演奏会に客演で「尾崎喜八の詩から」を振る多田武彦先生が来場されました。貴重な機会ということで、宍戸君ら現役学生6名、小川勝久さんが指導するヤングブラザースの団員10名、休部中のOBを含めて50名が参加しました。
 10時に集合でしたが、折からの強風と雨で遅刻者が続出。小田急江ノ島駅から続く弁天橋(長さ450m)ではとりわけ海風が強く、進めないほどでした。体の表面積が広い小川さんあたりは地元でこの自然を知り尽くしているせいか、風に対して斜めに進むという妙技を披露。戸塚ヨットスクールで得たテクニックに違いありません。

 午前中は演奏会用の作品練習。11:40に昼食のため中断してレストランに向かったところ、早くも館内に多田先生のお姿を見つけました。MDプレーヤー、BOSEのスピーカーなど一式をキャリーケースに入れての来場です。

 12:45からあの多田メソッドのセミナー。3時間20分の内容はここでは詳しく書けませんが、6年前のセミナーでは声区の移動についての話が中心、今回はアンサンブルの整え方が中心になりました。「尾崎・・・」の一番をお聞かせしたところ、「発声は年齢に関係なく向上している。アンサンブルもよいですよ」とのお褒めのお言葉。

▼ スパイが潜入査問委員会も
 
門グリークラブに一時在籍、現在は東京リーダーターフェルのテナーとして活躍する吉野さんが来場。「来年はステージに乗るんでしょうな」との後輩たちの問いに、「今副団長なんだが、任期切れになると思うので、その時は・・・」と煮え切らない返事。
 不審に思ってここで急遽組織した査問委員会で吉野さんを喚問(会場は喫煙所)し、厳しく今日の来場目的を問い詰めたところ、「実は11月のターフェルの定期演奏会で、同じ尾崎喜八を演奏するんだ」との衝撃的な事実をあっさり自白しました。「で、多田先生の話を聞いておきたくてね」
 やはり他団体のスパイ(笑)と判明したわけです。
 処分について審議したところ、これまでの貢献もあり反省を促し、必ず来年は参加することの言質を取るだけにする、という極めて穏便なものとなりました。

16:50散会。地元の小川さんの発案で10名の団員が藤沢市内のカラオケ屋に流れたようです。


3月

公式サイト開設から7年足らずで40,000アクセス(2006年3月15日掲載)
▼ずばり40,000回目は千葉さん
 千葉紘弥さん

 1999年4月開設されたこのサイトが6年11ヶ月目でついに40,000アクセスを達成しました。この記念すべきキリ番を記録したのはなんと団長の千葉紘弥さん(バリトン)でした。1週間前から団員の間でも、いつ達成かが話題になっていましたが、管理人の一昨日の予想では3月15日(水)正午前後。その前夜から記録に名を留めたい団員によりアクセスが集中(超有名なサイトに比べれば少ないですが)、管理人は掲示板記載の最後の予想で「3月15日の午前9時から11時までの間に」と発表しました。
 そして15日の朝。何を考えたのか、7時30分ころに会社に出勤した千葉紘弥さんが8時40分にサイトを開いたところ、40,000回目のアクセスに到達したのです。
 「オレ、出社してすぐにPCのスイッチを入れてね、それでサイトを見たら39,997なんだよ。まだ早いな、と思って1時間後の8時40分に開いたら、これが40,000だったんだ。え? 豪華な賞品があるんだって? それは団に寄贈するよ(笑)」と堂々の宣言。その証拠のプリントアウトは3月19日の世田谷さぎそうコンサートで管理人に引き渡されます。千葉さん、おめでとうございました!

▼前後賞は高木繁雄さんに
 高木繁雄さん

 
なみに前後賞ですが、39,999回目の高木繁雄さん(ベース)が引き当てたようです。ご本人からは今日の午後1時過ぎに、画面のコピーを証拠としてメールに添付して管理人に送られてきました。高木さんにも感謝します! 高木さんのアクセスは千葉さんの証言から推測して、3月15日午前8時過ぎだったのではないでしょうか・



●小山章三先生から久々のお便り(2006年3月8日掲載)
 3月3日は、新・上田市への合併に当たって丸子町町歌を石碑に刻して役場の前庭に建てるからと、除幕式への出席を依頼され、雪の寒い日でしたが出掛けてきました。

開式直前には雪も止み、午後1時30分開始。指揮台に上がって、除幕後の全員(役場の職員、消防署員etc.)斉唱、三節の「仰ぐ信濃の空青く」の直前には青空が広がり、感激的な歌唱になりました。

この『丸子町町歌』の歌詞は公募による入選詞、曲は30歳という駆け出しの頃の拙作でした。93年間つづいた丸子町でしたが、昭和38年以来、毎朝有線で放送されたというこの町歌、残念ながら私は聞けませんでした。
携帯付きのカメラで撮った“歌碑”を添付しますので、ご笑覧ください。なお“丸子”の地名はなくなりません、上田市上丸子、中丸子などにその名が残るそうです。
(写真は、旧丸子町役場前に建てられた歌碑)

2月


●臨時総会を開催
(2006年2月23日掲載)

 奏会実行委員会(塩田勝彦委員長)でとりまとめた第15回演奏会予算案、OB参加範囲などの議案が、定時練習の2月21日に臨時総会(出席者25名)として取り上げられ、提案どおりに了承されました。


●珍写真発見
(2006年2月19日掲載)

 
の白門グリークラブのサイトが開設されて今年の4月で7年を迎えます。折に触れ団内外で取材し記事を掲載しておりますが、その範囲には限りがあります。そこで重要なのが売り込み持ち込み記事。「ねえねえ、こんな話があるんで書いてよ」とか、「こんな写真が出てきたんだけどさ」というヤツです。大抵が箸にも棒にもかからない内容で、フンフンと話を聞くだけでボツにすることが多いのです。

 鎌倉高校相撲部の面々

 先日管理人に擦り寄ってきた小川勝久さん。「あのさ・・・」と手にした写真を見せるのです。ややセピア色に変色した縦7cm、横13cmほどのモノクロ写真。日露戦争の帰趨を決した陸戦、二百三高地が陥落した後に、日本陸軍は戦勝を祝い旅順港の基地に土俵を築き奉納相撲を開催したとの記録があります。小川さんの父方のお爺様が乃木希典将軍だったらしく、その際の写真とのことでした(をいをい)。

 実はこれ、小川さんが神奈川県立鎌倉高校に通学していた頃の写真とか。彼は当時相撲部で活躍(したらしい、とは聞いていました)、2年と3年の間の春休みということから、おそらく昭和31、2年ころのものと思われます。構内の野天の練習場でしょうが、どこに立っているかわかりますか? 小川さんは現在も白門グリー一の巨漢ですが、この当時も白い廻しを締めた立派な体格でした。後列の背広姿はおそらく顧問の先生でしょう。

 不思議なのは選手が9名いながら、そのうち半分以上の5人までもが長髪ということです。運動部、まして相撲部なら短髪、そう、坊主頭が当たり前の時代だったはずです。さすが前身が鎌倉実科女学校、卒業生には俳優の故・赤木敬一郎、女優の鈴木保奈美がいます。バンカラの気風はなかったのかもしれません。あるいは大会を控えて出場者が足らずに、拝み倒して臨時入団した、たとえば華道部や卓球部の生徒だった可能性もあります。

 「僕はこんなにデカイものだから、対戦相手は吊り出しを恐れてね。皆、頭をつけて低い姿勢で僕の下に潜り込むんだ。そこを上から押しつぶすのが僕の得意な決まり手でね・・・」。あまりまともでない決まり手は今でも白門グリークラブで有効なようで・・・。

 小川さんの顔のあたりをクリックすると本人が
巨大化拡大されます。



●明徳幼稚園でも練習開始
(2006年2月19日掲載)

 
週に天光院で初の練習を開催し、2月第2週の14日には増上寺・明徳幼稚園でも練習を始めました。

 前週に引き続いて19:00には土浦から久々に定時練習に参加した高山宏さんを含め、すでに30人近い団員が集合。先日技術スタッフが編集を始めた保存版愛唱歌集、3月19日に予定される「白門さぎそうコンサート」、来年の演奏会用の「尾崎喜八の詩から」を中心に練習が続きました。なお「尾崎・・・」は印刷が終わったばかりの真新しい楽譜(第18刷・音楽之友社)が配布されました。

 昨年の総会で継続検討になっていたユニフォームのスラックス新調では、検討を続けいていた西山さんが練習会場に5種のスラックス見本を持参して団員の意見を聞きました。結局やや明るめのグレーの夏用スラックスを選ぼうということになりましたが、費用は一人約5,000円、納品は4月頃になると見られています。

 また宮本代表幹事(演奏会実行委員会副委員長)から2月12日に開催された実行委員会での討議内容の概要が報告されました。

 新練習会場は幼稚園のホールとあって、旧練習場の4倍の広さ。今までは演奏会が近づくと駆け込み団員が急増し、椅子の足りないことが多かった狭い練習場でしたが、ここと天光院シュリーホールではその悩みからは解放されました。しかし一部のアルコール同好会会員からは、近くに飲み屋がないことが新たな課題になる(どこが)と指摘されています。

●バリトンの内生綱雄さんが故郷に(2006年2月19日掲載)
 
2年前に入団した内蔵さん(左写真)が、家庭の事情で生地の富山県氷見市に奥様と帰ることとなりました。2月14日の練習時にバリトンの江畑忠夫さんから発表されたものです。江畑さんによれば、「今日彼から突然の電話があって私も驚いた。都内の自宅が売却され次第に引っ越すそうだ」と残念な様子。勤めていた都内の会社を退職した直後に入団、「はやくソロをやりたいな」と意気込んでいた内蔵生さんはその望みも実現しないまま退団、となりそうです。

 なお内生蔵さんの自宅から数百mの近所には、セカンドテナーの塩田勝彦さんが昨夏に退職金を注ぎ込んで新築した自宅があります。もうちょっと待っていれば格安(か、どうか知らんけど)の物件が手に入ったかもしれないのに。

●演奏会実行委員会を開催、予算案などを決定(2006年2月19日掲載)
 
2回目の演奏会実行委員会会議が2月12日午後に都内のホテルで開催されました。2月中の臨時総会で団員の了承を得ることとなりますが、概要は以下の通り。
1. 現団員37名をベースにしたうえ、非白門OB7名程度を新に勧誘して実行する
2. 現役学生の無償参加を受け入れる
3. 団員の個人負担金を35,000円(前回、前々回並み)とする
4. プログラム広告は募集に手間もかかるので削減し、1件にする
5. 広告料減収は費用削減で補う
6. これらの条件をもとに最終予算案を作成する
 出席者は塩田勝彦、中村真一、坂田信一、宮本康幸、大蔵純、堤浄司、辰巳則夫の7名でした。

●現役学生たちのフェアウェルパーティ(2006年2月19日掲載)


 
4年生を送る中央大学グリークラブ主催のフェアウェルパーティが、2月12日18:00から新宿・東京大飯店4階で開催されました。3人の卒業生を含む学生たち18名のほか、古橋富士夫氏(常任指揮者)、丸亀英雄氏(監督)、OB会から小川会長、当団から千葉団長、石井相談役など12名、コール’99から指揮者の今井康人さん(指揮者、昭和57年卒)ら計40名が参加しました。


 
いつもは下級生を慈愛に満ちた眼差しで優しく見守る4年生(写真左から横山君、佐久間君、大厩君)もこの日ばかりは極めて神妙。過去に自分たちが手荒く追い出した先輩たちと同じ立場になり、戦々恐々でした。それぞれ在団中の不行跡やスキャンダルが暴かれ、冷や汗の連続。それでも最後に恒例の卒業指揮を無難に演じ、記念品の贈呈を受ける頃には満面の笑みを浮かべるまでになりました。

 前年卒業の脇君(左から2番目)も参加。これでも肩を
 組んで「惜別の歌」を歌っているつもりです。
指揮者の古橋先生、卒団生とともに記念写真

●2月14日の練習は明徳幼稚園ホール(2006年2月11日掲載)
 
れから毎月第2、第3、第4、第5火曜の練習は増上寺境内の明徳幼稚園です。
  一番近い駅は大江戸線・赤羽根橋駅。ここからは徒歩4分です。明徳幼稚園への地図はここをクリック
.

新しい譜面が到着2006年2月11日掲載)
 年の第15回演奏会で23年ぶりに演奏する「尾崎喜八の詩から」(全6曲)を含む「多田武彦 男声合唱曲集2」の第18刷40部が音楽之友社から管理人に届きました。来週の定時練習(明徳幼稚園ホール)で団員に配布されます。1984年の第4回演奏会(東京・前進座劇場)では、「君たちにはこれは無理だ」(森田指揮者:当時)と、難曲の5番「牧場」を除き全5曲で演奏されました。いわばいわくつきの組曲です。
 同曲集には組曲「雪明りの路」、同「北斗の海」も収録されています。

●多田武彦先生が5月7日に来場(2006年2月11日掲載)
 
曜練習としては初めて藤沢市江ノ島にある県立神奈川女性センターで開催される練習に、市内にお住まいの多田先生が講演でお見えになります。音源もご自身で更新された、とのこと。今から楽しみな5月7日です。

●新会場で練習を再開
(2006年2月11日掲載)
 静かな環境のシュリーホール  ホールは広く、快適な練習
 22年間に渡り練習会場であった渋谷区の三浦ピアノスタジオでの練習は先月末で終了。2月7日から芝公園の浄土宗天光院書院・シュリーホールで練習を再開しました。
 
 都心とは思えない静かな芝公園の一角にあるシュリーホールは広さ約60平米。これまでのスタジオのほぼ2倍にもなり、グランドピアノの置かれた室内は天井も高く、理想的な会場です。壁には10点あまりの書画が掛けられており、ギャラリーのような雰囲気もあります。団員の背後には祭壇があり、「誰かが亡くなったら、送る会とか追悼練習をここでやればいいじゃないか」との声も。「オレか?」と苦笑いしたのは石井元団長と清水団員。しかしこの二人こそ老いてなお盛ん。当分追悼練習はなさそうです。

 再開のこの日、開始の18時30分には15名が現れ、19時には24名の団員が練習に参加、3月19日に開催される「白門さぎそうチャリティコンサート」(世田谷白門会主催)での演奏曲のほか、来年の第15回演奏会で23年ぶりに演奏する「尾崎喜八の詩から」(多田武彦作曲)の譜読みを始めました。久しぶりの多田作品、やはり男声合唱の醍醐味を味わうのは多田先生の作品です。

 
21時に終了後は千葉団長からの特命を受けた新ラウンジ開発プロジェクト(藤澤賢二座長)のメンバーが大門、浜松町方面に出掛けた模様です。

浄土宗天光院 http://www.evam.ne.jp/tenkoin/


1月


●ヤングブラザースの新年会
2006年1月28日掲載)

 
南に住むベースの小川勝久さんが3年前から指導している鵠沼のヤングブラザース。1月28日、その練習見学と新年会に高木辰夫さんと宮本康幸さんが参加しました。会場は小田急線・鵠沼海岸駅から数分の鵠沼公民館。一時は団員が12名まで減少し、メンバーも小川さんはもちろん、時折り指導する高木さんも心配したのですが、その後に新加入のメンバーも増え、現在は約20名で元気に活動をしています。押しかけ指揮者ではないか、と一時は怪しまれた小川さんもすっかり居座り、永世指揮者を狙っているとのことです。

 今日の練習は16名が参加して、「今日のひととき」、「セレソローサ」など。発足当時は2部合唱でスタートしたヤンブラも今や堂々の男声4部での演奏を聞かせ、特にセレソローサ(ばら色の桜・・・)では驚くばかりの歌を披露してくれました。腰の大病後に好きなゴルフが出来なくなった小川さんも、「リタイア後は合唱指導が最大の楽しみだ」と相好を崩していました。

 2時間近い練習後にはミーティングを開き、これから歌いたい曲を団員アンケートから抽出するなど、今年の活動に掛ける意気込みは白門グリークラブも見習わねばなりません。

 ミーティングを終了した後は午後4時から近くにあるカフェ「Chez Moi」(フランス語で”私の家”)に場所を移して新年会となりました。ビールのほか、団員差し入れのウィスキーや濁り酒などでにぎやかに歓談。さらに軽妙な西野さんの司会で全団員が干支の順に今年の抱負を語りました。後半では小川さんが指揮をして次々に多くのレパートリーを披露するなど、「カラオケ以外に歌を歌うことなどなかった」(野村さん談)、「加入して初めて譜面というものを手に取った」(松林さん)ら団員は、すっかり合唱の虫となっていました。

 「数年以内に白門グリークラブとジョイントコンサートをしたいねえ」とは小川さんの壮大な夢です。我が白門グリークラブも宮本さんが「オ・ソレミオ」、高木さんが「大島節」、小川さんが「バイカル湖のほとり」、さらにトリオで「はるかな友に」を披露、午後7時過ぎまで全員で楽しみました。

 指導する小川さん  高木さんも加わった練習風景  新年会でも歌うメンバーたち


●江ノ島の神奈川県立かながわ女性センターを見学(2006年1月28日掲載)

 
年の練習計画に織り込む合宿場所として、藤沢市の江ノ島にあるかながわ女性センターを高木辰夫さん、小川勝久さん、宮本康幸さんが下見しました。これまでの代々木オリンピックセンターは都心、ここ2年にわたって利用した文化スポーツ館「ぶんぶ」は埋立地、今年は趣向を変えて湘南でやろうと言う訳です。

 よく晴れて1月にしては暖かい小田急線江ノ島駅に1月28日に集合した3人は、相模湾に浮かぶ江ノ島まで弁天橋を渡りました。
 指でマルを作り、「以前来た時にこんな小さなサザエが、なんと一つ600円もしたんだよ」と高木さん。そんなに高いわけないでしょ、と苦笑した宮本さんが島内に軒を連ねる土産物屋を覗くと、本当に600円なのです。ちょっと大き目のサザエが1000円! 下見を終わったらどこかでサザエの壷焼きでも、などのんきに構えていたのですが、早くも挫折です。

 女性センターは完成してまだ間もないようですが、霊峰富士、青い相模湾、そしてとなりには江ノ島のヨットハーバーを臨み、環境は抜群です。さすがに土曜日とあって館内は多くの利用者で賑わっていました。こういう公共施設の例に漏れず、受付の事務所を探すのにまず一苦労。お役所仕事かな、と危惧したものの、4-5月は残念ながら満員でしたが、丁寧な女性係員の指導でひとまずまず6月24-25日の合宿を予約しました。センター内のホールは500席。隣接するレッスン室は白門グリークラブにも十分な広さで安心をしました。

 ところが合宿用の夕食費がなんとひとり2000円。これには驚きました。とは言え、宿泊費が1,690円、これに2食を加えても個人負担は4,500円ほどになる勘定。全館禁煙ルール、それに部屋でのおおっぴらな飲酒ができないのですが、これはしょうがないでしょう。抜け道をすぐ考え出す団員もいることですしね。


●さようなら、三浦ピアノ。最後の練習
(2006年1月18日掲載)

 
2月に取り壊しが決まっている三浦ピアノビルでの最後の練習が1月17日に開かれました。古参団員の話ではこの練習場を使い始めて22年。白門グリークラブの歴史のほぼ半分はここで生まれたわけです。

 この日の練習は松本宰二先生の指導日でもあり、普段より団員の集合も早め。長野在住の前団長、依田安弘さんも顔を見せました。30名の団員が来年の演奏会での予定曲に取り組みました。定刻の9時に練習が終わり、練習の再開は2月7日です。

 渋谷に名残を惜しむ団員と現役学生らと松本先生の13名は駅近くの「鳥ぎん」で約1時間あまり、渋谷で過ごした年月をちょっぴり感傷的に語り合いました。

 指導に熱のこもる松本先生  マーラーの「さすらう若人たち」を練習する団員


●次回演奏会に「尾崎喜八の詩から」を決定
(2006年1月18日掲載)

 
2007年4月に開催予定の第15回演奏会には6年ぶりに多田武彦先生を客演に招き、先生の曲を演奏する予定です。先生からの意見などを参考にし、1月18日に技術スタッフが検討した結果、その曲が決まりました。組曲「尾崎喜八の詩から」(全6曲)です。この組曲は多田先生が1974(昭和49)年に関西学院グリークラブの依頼で作曲、その翌年の1975年に神戸で同グリークラブが北村協一さんの指揮で初演しています。

 白門グリークラブでは7年ぶりに活動を再開した3年後の1984(昭和59)年に第4回演奏会でこの組曲を取り上げています。

 今日の多田先生との電話では、「いろいろ音源も更新したので春に合宿があれば、それに出向いてお話をしたい」との並々ならぬ熱意です。いよいよ楽しみになってきましたね。




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