2007年(平成19年)

12月

●年次総会と懇親会を開催(2007年12月26日掲載)
12月23日(日)に恒例の年次総会と家族、来賓を招いた懇親会がハイアットリージェンシー東京で開催されました。
 
 千葉団長挨拶に続いて、総会の議長には昨年に続いて江畑忠夫さん(バリトン)を選出。定例案件の決算報告を了承、来年度予算案では収支状況が厳しさを増す一方、との見通しが会計代表幹事の城所英嘉さんから説明がありました。そののち2009年4月に予定されている第16回演奏会実行委員会委員長の西山和夫さん(セカンドテナー)からステージ構成など計画案の中間報告がありました。
▼団費の改定を決議
 悪化が予想される団会計の解決策として、14年ぶりの団費改定が提案されました。2008年1月分より、現在の毎月3000円から5000円に改定、またイベント出演料の中から還元していた交通費も一律一人当たり1000円に削減という提案と同時に賛成多数で可決されました。
 
▼組織改正と役員改選などを決議
 本来今年2月で任期切れだった役員を代表幹事(塩田、宮本)の提案通りに可決しました。新役員の任期は2009年12月までの2年間となりました。
 また組織を活性化するために代表幹事を廃止、副団長を4人から1人に削減し、あらたに総務マネジャーと会計マネジャーを設けました。これまでの幹事会に代わり、団長らを含む執行役員会を設置しました。
 主な役員は次の通りですが、全役員は http://hkmnglee.hp.infoseek.co.jp/what'sHakumon.htm に掲載してあります。
 団 長   千葉紘弥(再任)
 副団長  江畑忠夫(再任)
 総務マネジャー 宮本康幸(新任)
 同        辰巳則夫(新任)
 会計マネジャー 塩田勝彦(新任)
 
▼藤澤賢二さんが休団
 総会席上で団員指揮者の藤澤賢二さん(トップテナー)が発言を求め、やむを得ない事情で2008年1月から6ヶ月間、休団することが明らかになりました。早期の復帰が待たれています
 
▼懇親会には小山章三先生夫妻らが来場
 予定通りの時刻に議案審議と採決を行い、12:10に総会が終了。その後は「白鳳の間」で団員34名、家族・来賓7名を交えた懇親会が開かれました。
 
 予定時刻を過ぎてもなかなかお見えにならない小山先生夫妻。心配した依田さんが先生のご自宅に電話するもお留守の様子。クリスマス礼拝で教会にお出かけと分かり、13時過ぎに無事到着されました。
 丸亀英雄君が撮影した写真はこちらをどうぞhttp://picasaweb.google.co.jp/ya.miyamoto/20071223
 
 懇親会は14:55に、新任の塩田会計マネジャーの手締めでお開き。その後、千葉県組ら10名近くの団員は赤羽のスナック「ライラック」に流れたようです。
 
●上田グローリア、定期演奏会で小山章三先生の曲を初演2007年12月12日掲載)

 上田グロリア合唱団が11月18日に開催した定期演奏会で、小山先生作曲「一枚の手紙」を初演しました。小山先生から、この曲について報道した11月16日付け信濃毎日新聞のコピーが送られてきましたので、ここに原文のまま転載します。なお読みやすくするために改行の位置を変え、漢数字だけは算用数字に直してあります。

平和の詩 合唱曲に

戦死した父思い イラク戦争に心痛め
上田の主婦「悲劇二度と」
音大名誉教授共感し作曲
 18日 地元で演奏会 (ここまで見出し)

 上田市上田の主婦佐藤初枝さん(70)が戦死した父親を慕う思いと平和への願いを込めて作った詩「一枚の手紙」に、同市出身の国立音大名誉教授小山章三さん(77)がメロディーを付け、混声四部合唱曲(約10分)が完成した。戦地からの絵はがきを励みにしてきた佐藤さんが、イラク戦争に心を痛めて作った詩。合唱曲は十八日、上田グローリア合唱団が上田市市民会館で開く定期演奏会で披露する。

 佐藤さんは20年前、78才で亡くなった母親、吉沢姫(ひめ)さんの遺品から父親篤治さんの絵はがき二枚を見つけた。検閲の印が押され、「お元気ですか 私も元気です 子供達も大きくなって、いい子にしてますか」と書かれていた。胸がいっぱいになった。

 詩は佐藤さんが5歳だった1942(昭和17)年、篤治さんが出征した場面から始まる。「遠い記憶の中で人が集まり 日の丸の小旗をバタバタと振っていて 私は父の胸の中で泣いていたのを微(かす)かに覚えています」

 終戦の年、ニューギニア島(現在のパプアニューギニア、インドネシア)で戦死との知らせが届き、、その時の無念さを「誰に見守られて 何を想って 旅立ったのだろうか 誰も知らないのです 教えてください 父の最後を」とつづっている。

 佐藤さんは父親を亡くしたつらさを「ずっと心の中に封じてきた」。だがイラク戦争が始まった翌年の2004年、長期化する戦争に「自分のような思いをする人が増えてはいけない」との気持ちを表したくて詩を作った。

 現在、夫と二人暮らし。孫が7人おり、孫の世代も平和であって欲しいとの気持ちも込め、詩は「親を、子供を亡くした人たちの悲しみを繰り返さないで下さい 世界の平和を祈ります」と結ばれている。

 佐藤さんは、小山さんの妹と丸子中学(上田市上丸子)で同級生だった。その縁で小山さんが詩を読み、共感。「佐藤さんの思いが伝わるように」と作曲した。佐藤さんは「縁があって曲ができ、本当にうれしい」と話す。上田グローリア合唱団は主婦や会社員が所属し、小山さんが顧問を務めている。定期演奏会は午後2時から。



 この新聞記事に演奏会と上田城の紅葉の写真2点が同封されていましたので、これも掲載しました。




●信濃毎日新聞に米澤酒造の記事掲載
(2007年12月12日掲載)
 
丸亀英雄君から情報が寄せられたので、掲載します。信濃毎日新聞WEB版から転載。


●長野日報が中川村でのコンサート報道
(2007年12月11日掲載)

 去る11月17日の「中川村 秋の夕べ・ジョイントコンサート」が地元紙の長野日報に11月23日付で報道されました。そのコピーが実行委員長だった米澤博文さんから送られてきました。
長野日報は同県の中南部を主とする日刊紙です。


11月


●中川村で「秋の夕べ ジョイントコンサート」(2007年11月19日掲載)



 
11月17日に長野県中川村を4年5ヶ月ぶりに訪問し、地元の合唱団とのジョイントコンサートを開催しました。

 中川村の老舗酒造会社の社長は団員の長老の一人、米澤博文さん。米澤酒造は明治40年の創業、ことしで100周年を迎えました。その記念事業の一環として開催されたものです。中川女声コーラス、混声合唱団あすか、混声合唱団Chor Doとの共演は手作りのコンサートらしい温かさに満ち溢れたもので、聴衆の方々にはおおいに楽しんでいただけたと思います。終演後、村内の宿泊施設である「望岳荘」で開かれた懇親会には3年前に就任した中川村村長の曽我逸郎さんも来場、各団体のかくし芸も披露されるなど楽しい1時間余りのパーティとなりました。(写真など詳細記事は後日掲載)


●信濃毎日新聞に北京放送関連記事(2007年11月16日掲載)


 
野在住の依田安弘さん(セカンドテナー)から、「北京放送の副台長(副局長に相当)の張富生さんが来日した時の記事が出ているよ」と11月8日付信濃毎日新聞社会面の記事の提供がありました。
 
 白門グリークラブ団員からは「富(とみ)さん」という愛称で親しまれている張さんは、これまでの白門グリークラブの3回にわたる中国演奏旅行に際し、その成功に尽力してくださった方です。日本語部長、国際部長と順調に昇進し、現在は北京放送(中国国際放送)のナンバー2である副台長です。

 今回の提携先である長野県日中友好協会会長の井出正一氏(記事写真参照)は元衆議院議員で厚生大臣経験者。依田さんとは野沢北高校の同級生でもあります。



















●山岳部創立80周年記念宴に出演(2007年10月23日掲載)
 正5年に中央大学の公認団体になった山岳部が創立80周年を迎え、その記念式典とパーティが中央大学記念館(元・大学講堂。千代田区神田駿河台)で、10月13日(土)午後に開催されました。長い歴史を反映して永井総長はじめ多くの中大OBたち、都内の各大学山岳部OBたちのおよそ200名が歓談しました。
 
 ご縁あって白門グリークラブが出演。この日は千葉団長、石井相談役など24名の団員が参加。ところが来賓のご挨拶が長く、出演時刻が予定を30分も超えた15:58。港区音楽連盟会長を務めるバリトンの清水軍治さんは、「オレ、次の予定がもう始まっちゃうんだよ」と困惑顔。年を取ると挨拶は長くなるものです。
 
 校歌「草のみどり」に始まり、愛唱歌、応援歌、そして山岳部部歌(原曲はダンチョネ節)の1-5番、最後は出席者と「惜別の歌」を合唱しました。
 
 前半の指揮は昭和43年まで学生指揮者を務めていた酒井安幸サン(セカンドテナー)。愛唱歌はお手のものとは言え、指揮者デビューにかなり緊張の様子が覗えました。
 
 予定が長引き、管理人は早めに到着して駐車させていた路上パーキングメータのことが心配。パーティの合間に2回の移動を繰り返して駐車料金が3時間900円。思わぬ出費になりました。
 
 団員全員が出席者と同じ記念誌と記念品を頂きました。記念品は桐箱入りのクリスタルガラス製ペーパーウェイト(文鎮)。あとで気が付いたのですが、細かい字を読むためのレンズの役目もあります。気の利いた品です。
 
 酒好きの団員は解散後に10名ほどが御茶ノ水駅近くで臨時懇親会を開いたようです。管理人は再び会社まで130kmの道程を戻りました。
 
 写真は当日の出席者で大学OBのお一人、山岳写真家である西東京市ご在住、小玉剛靖(こだま・やすくに)先輩より10月20日に頂いたもののうちの一枚です。

●OB会総会・懇親会を開催(2007年10月09日掲載)  

写真提供:丸亀英雄・宮本康幸(昭和47年卒) ここをクリックするとアルバムに飛びます
       竹内一夫(平成3年卒)
 ここをクリックするとアルバムに飛びます

 2年4ヶ月ぶりに中央大学グリークラブOB会の総会が東京・永田町の都市センター会館で開催されました。熊本、広島、奈良、静岡、茨城、福島各県など遠方から駆けつけてくれたOBを含めて60名余りが出席し、議案を審議、その後現役学生を交えて賑やかな懇親会が開催されました。

▼物故者に黙祷を 
 正午にOB会幹事長、坂田信一さん(昭和46年卒、白門グリークラブ)の総会開会宣言がされ、冒頭、この2年余りの間に亡くなられた6人のOB(岡本好廣さん、田端清さん、黒川照雄さん、関谷嘉章さん、野口範雄さん、小崎敏さん)を悼み、全員で1分間の黙祷を捧げました。

▼柳下さんが議長に指名され、議案審議
 OB会会長の小川勝久さん(昭和37年卒、白門グリークラブ)が遠来のOBはじめ出席者への歓迎表明と現役学生支援活動、同期同士の連絡を活発にして総会参加への勧誘をして欲しいとの開会挨拶の後、坂田幹事長から議長に指名された柳下知勇さん(昭和63年卒)が議長となり、以下の議案が審議され、原案通りに了承されました。

1.活動報告
 中央大学グリークラブの最近2年間の活動を丸亀英雄監督(昭和47年卒)が、Chor'99の活動を代表の竹内一夫さん(平成3年卒)が、白門グリークラブの活動を代表幹事の宮本康幸さん(昭和47年卒)が、またOB会活動を幹事長の坂田信一さんがそれ次のようにぞれ報告しました。

  現役学生は熱心な新人勧誘が実り、今年は9名の1年生、1名の2年生を獲得、現在20名の大台に乗り、12月の第52回演奏会に向けて猛練習中。

 Chor'99は「指導の鬼」と呼ばれる今井康人君(昭和57年卒)の指導の下、白門グリークラブメンバーも5人が加わって11月10日に開催される第二回演奏会(シューベルト歌曲集、多田武彦氏の「富士山」など)の成功を目指しています。

  白門グリークラブは創団から47年を経過、継続的に活動する大学OB男声合唱団としては日本最長、最大の団体です。過去2年間の演奏会、賛助出演、昨年の練習会場変更などについて報告されました。

   OB会活動では坂田幹事長から、所在不明のOBのリストを配布したが、連絡先が分かるOBからの情報を待っていることなどの報告がありました。

2.会計報告と役員選任
  今年になり長年務めた銀行役員を退任して都内のIT関連企業に移ったOB会会計幹事の大蔵純さん(昭和47年卒)から過去2年間の収支報告がされ、また幹事長の坂田さんからは現在の小川会長以下役員、各学年の幹事の留任を報告、そして新たに平成18年、19年卒の新OBの幹事が指名されそれぞれ了承されました。

 総会は12:32に終了、休憩を挟んで12:45から懇親会が開催されました。

▼現役学生も参加し、80名を超える出席者 
  坂田幹事長の開会の辞に続いて、中央大学グリークラブの現役学生19名も加わった校歌「草のみどり」を学生指揮者、熊田洋平君(4年生)の指揮で全員合唱。小川会長から開会挨拶がありました。そののち、OB会名誉会長の石井秀之さん(昭和28年卒、白門グリークラブ初代団長、元中央大学理事・事務局長)の乾杯の発声で開宴しました。

▼都市センター会館との粘り強い交渉、坂田幹事長のご努力 
  今回の懇親会は2年前に続いて都市センター会館。宴会場の予約、料理や酒のメニュー、そして肝心な費用の交渉では坂田幹事長が持ち前の粘り強さを発揮、ビール、赤白ワイン、ウィスキーが飲み放題、料理も20品以上がバイキング形式で並ぶなど、出席者を感嘆させました。

▼懇親会の司会は宮本康幸さん 
 この後歓談に入りましたが、司会は坂田幹事長から宮本康幸さん(昭和47年卒、白門グリークラブ代表幹事)にバトンタッチ。白門グリークラブに1989年に入団以来ずっと2年おきの演奏会ではステージ司会を務める宮本さんが満を侍しての登場となりました。

「歌もうまいが、司会はもっとうまい」とは本人と白門グリークラブ団員の評価です。

▼OB紹介では新顔も 
  13:40からまず新OB会員となった平成19年度卒の宍戸則之(セカンドテナー)、長谷川裕一君(バリトン)、岡田宗平君(ベース)が紹介されました。岡田君は大手損保会社に入社して現在は広島市支社で法人営業に従事、「単身生活は初めてです。野菜を多めに取るようにしていますが、かなり厳しい勤務で体重が3キロも減りました」。今回は3連休で久しぶりに横浜の実家に帰省したそうです。一方、宍戸君と長谷川君は故意で留年中との話で、満場のOBたちから激励を受けましたが、幸いなことに来年春からの就職も決まり、最後の学生生活を送っています。

▼卒団年次ごとにOBを紹介 
  フレッシュなOB紹介の後は古参のOBから紹介が始まりました。今回は昭和33年卒のOBが連絡を密にしたおかげで、年次別ではなんと8名もの参加があり、会場のOB達から驚きと共に大きな拍手が沸き起こりました。敬服に値します。以下は年次ごとの出席者数です。

昭和28年 1名  昭和31年 1名   昭和33年 8名   昭和35年 4名   昭和36年 4名
昭和37年 4名   昭和38年 3名   昭和39年 1名   昭和40年 2名  昭和41年 1名  
昭和43年 1名   昭和44年 4名   昭和46年 2名
  昭和47年 5名   昭和48年 1名  
昭和50年 2名  昭和53年 1名
  昭和56年 1名   昭和57年 2名   昭和58年 1名  
昭和63年 1名
 平成2年  1名   平成3年 7名     平成17年 1名

 古参のOBでありながら現在も地元の合唱団で歌っている方も多く、鵜飼さん(昭和33年卒)からは「鎌倉芸術ホールでは、日本語の歌詞によるベートーベンの交響曲第9番をやります。ぜひ聴きに来てください」との意気軒昂な挨拶も。また欠席者から寄せられた近況報告が披露されました。

 年次ごとに見ると、非常に参加の多い年次もありますが(昭和33年、昭和47年、平成3年)、その一方、平成に入ってからの空白年次も目立ちます。特に平成4年以降16年までの13年間のOB参加がゼロというのは、卒団生の長期減少、働き盛りで多忙、地方転勤など諸事情を加味してもやはり異常だと言えます。やはり各年次に、熱心な中心人物がいるかいないかの差が出てきているのではないでしょうか?

▼20名になった中央大学グリークラブ 
  ここ10年近にく渡った長期的な団員減少で存続すら危ぶまれた中央大学グリークラブ。何回かOBが入学式直後の大学キャンパスに出向き、新人勧誘活動に参加したものの思うような成果が見られませんでした。

   ところが今年は1年生が9名、2年生が1名の合計10名と言う大豊作の年となりました。やはり、2年生以上の部員達自らの勧誘がなければ、これだけの成果は得られません。紹介のために並んだ19名(1名が欠席)を前にしたOB達から安堵の声が漏れ、部員が自己紹介するたびに大きな拍手と励ましの言葉が寄せられました。

▼3団体が演奏。現役の演奏が充実 
  続いて学生達が「最上川舟歌」など2曲(指揮:熊田洋平君)、Chor'99が「野ばら」(ウェルナー作曲、指揮:今井康人君)、白門グリークラブが「小崎喜八の詩から」の終曲、「かけす」(指揮:藤澤賢二)を披露しました。中でも現役学生たちの演奏は、半数の10名が新人でありながら若々しさの上に中大伝統の持ち味である重厚なハーモニーが加わり、OB達を大いに驚かせました。また全員で「月光とピエロ」(清水脩作曲)から「秋のピエロ」を歌いました。この曲は日本の男声合唱人にとってはバイブルのような曲。OB達の中には現役学生時代以来歌うのは数十年ぶりと言う方もおり、感慨ひとしお、自らの人生に重ね合わせていた方もいたでしょう。

▼閉会の手締め
  2時間あまりに渡って楽しんだ懇親会は、今年OB会に入会した岡田宗平君の音頭で手締め、閉会となりましたが、食い盛りの現役学生たちが会場に残り、まだ皿に盛られたままの料理を全員で食べてくれました。

  開催にあたり煩雑な準備に忙殺された坂田信一幹事長と大蔵会計幹事、大変お疲れ様でした。当日の受付業務に当たってくれた甲斐君、辰巳君、議長を務めた柳下君にも厚く感謝します!

▼年次ごとに2次会に
  小川勝久さん(OB会会長)から翌日、管理人にこんなメールが寄せられました。   -------------------------------------------------------------------
  奈良から参加して下さった河村先輩と長野から来てくれた米澤君を囲み、35卒矢沢さん、36卒志田さん、松丸さん、小松さん、37卒小川、そして38卒江畑君、藤澤君、千葉君と銀座で飲み、アッと言う間の二時間半でした。これからの二年間にたいし、メンバーの中から次のような提案がありました。

  幹事だけでなく学年幹事を含めたいわゆる拡大幹事会を開催し、今回33年卒の先輩が多く参加して戴けたように、同期の仲間への呼びかけをして貰ってはとの提案でした。大分以前に開催したことはありましたが、メールの活用等も含め、年が明けたら早い時期に開催を検討しましょう。------------------------------------------------------------------

▼遠来の吉田長政君を囲んで2次会と3次会
 昭和46-48年卒の7名、それに昭和56-58年卒の3名が一緒に2次会へ。3時過ぎのためにまだ空いていない飲み屋が多いぞ、とのことで銀座並木通りのキリンシティ(ビアホール)へタクシー3台に分乗して向かいました。休日の銀座は歩行者天国。「まだホコテンなんてやってるんだ」と驚きの声も。

 福島の磐梯町で町議会議員を12年間務め、議長経験もある吉田長政君(昭和47年卒)が遠路参加したために彼の歓迎会ともなり、延々と昔話、艶談、音楽談義が続き、旧交を温めあいました。吉田君は細君と上京、千葉県柏市出身の細君はこの日が中学校のクラス会となり、夫婦別々に邂逅を楽しんだものです。

 学生時代は3畳一間の下宿に部員8人が集まり、重なるように寝たこと、合同ハイキングのパートナー大学探しの失敗談、それぞれの結婚経過、子供達の成長、孫の話に花が咲きました。

 そこでの2次会が終わったのが午後6時前。まだ飲み足りない上、語り足りない8名はさらに銀座線に乗り、表参道へ。丸亀君のよく行く店に3次会のために向かいました。

 就職した山一證券を途中退職して郷里、福島の磐梯町に戻って20年以上、喧騒と人混みには全く無縁の生活が長い吉田君は、休日の東京の人での多さにびっくり顔。地下鉄の切符の買い方も知らない有様。

 「長政、お前、東京で電車の乗り方がここ数年で変わったんだぞ」と丸亀君が彼に手渡したのがパスネット。カードを手にきょとんとするばかりの吉田君に使い方を説明しましたが、吉田君は不可解な顔のまま改札口に。切符のない乗車が今や当たり前の東京に驚いていました。3次会会場の居酒屋では「今ではJRも私鉄、地下鉄も1枚のICカードで乗り降りが出来るんだ」といわれてもまだ不思議な顔。その割りには、田舎には不要と思われるようなワンセグつき薄型携帯電話を持ち、何回も日暮里でのクラス会が終わったはずの細君と連絡を取っていました。

 「今、昔の同期生たちと一緒なんだ。お前も来いよ」と誘うも、細君は「表参道なんて行ったことないから、行き方も分からない」と尻込み。しかし細君は結局、新宿のホテルで彼の帰りを待つことに。

 8人で生ビールのほかに麦焼酎「いいちこ」を2本空け、生の魚はしばらく見たことがないという山間部暮らしの吉田君を慮ってつまみは主に魚としました。すでに孫が2人いる吉田君は翌日は東京にいる娘夫婦を訪ねる予定。孫を語る彼は、すっかりジーサンの顔で相好を崩しっぱなし。

 散会したのは翌朝早くに静岡県の会社に戻る宮本さんの一声で、20:00過ぎ。外はまだまだ大勢の人々で賑わっていました。細君の待つホテルへ行き着けるかどうか心配する宮本さんの配慮で、吉田君は同じ方向へ帰宅する丸亀君と共にタクシーで西新宿へ。玄関前で出迎えていた細君に引き渡して再会を約束して別れたのであります。

 2次会参加者:坂田信一、丸亀英雄、吉田長政、大蔵純、堤浄司、宮本康幸、甲斐健治、秋元哲夫
          辰巳則夫、桜井正夫、今井康人

 3次会参加者:丸亀英雄、吉田長政、大蔵純、堤浄司、宮本康幸、辰巳則夫、桜井正夫、今井康人

●演奏会実行委員会、ようやく解散(2007年10月9日掲載)
 
 
開したばかりの国会では
野党が福田総理に対して「民意を問うために、解散せよ」と迫っていますが、このニュースを自宅の居間で見ていた、演奏会実行委員長を務めた塩田勝彦さんがハッと気が付きました。

 「まだ実行委員会を解散していなかった!」

 そんな訳で演奏会から6ヶ月近くも経過した10月6日、新宿のハイアットリージェンシー東京内中国レストラン「翡翠宮」で
実行委員の慰労と解散を兼ねた夕食会が開かれました。なにしろ都内でも有名な高級店。資金が心配されましたが、ゲストの千葉団長から○万円、このホテルに昨年まで勤務していた宮本さんからはホテルポイント○万円分が提供され、さらに実行委員から一人2千円と言う自民党顔負けの資金調達をしたのです。

 当日になって高碕君がぎっくり腰、藤澤さんが風邪で欠席になりました。表向きは皆心配をしていたのですが、「大食漢の高碕が来ないし、酒好きの藤澤さんも欠席ならば一人当たりの食事も単価が高くなるから悪くないな」とほぼ全員の心ない感想。千葉団長は苦笑い。

 塩田さんからの挨拶、千葉さんの乾杯の音頭で宴会の開始。なんと高級中国料理の代表である北京ダックが登場。一本9000円もする紹興酒が8本空くなど、痛飲美食を楽しみました。宮本さんが後日、翡翠宮の支配人に確認すると、ほぼ1人2万円のコースに相当したそうです。ダイエットから順調にリバウンドしつつある大食漢で大酒飲みの桜井君も満足顔。

「再来年は近くの居酒屋だろうな。もうオレ、委員長じゃないからいいけどさ」とは塩田委員長。


3時間の夕食を楽しんだ12名は21:20にようやく解散となりました。翌日はOB総会懇親会。

 シニア野球から駆けつけた中村さん、千葉団長  見事な飴色に焼きあがった北京鴨
 静岡から駆けつけた宮本さん、大蔵さん  美食を楽しむ高木さん、中村さん
 貰い物のワインを寄贈した辰巳さん、坂田さん  遠路茨城から来た高山さん、桜井さん、堤さん
 マンション管理人として余生を送る塩田さん、大蔵さん  激辛中国料理評論家の丸亀さん(痔の手術2回)



●清水軍治さんに都知事から功労賞
(2007年10月3日掲載)

 10月1日、港区音楽連盟会長を務める清水軍治さん(バリトン)が石原都知事から「東京都功労者(文化)」として表彰されました。これは1996(平成8)年3月の港区政功労者表彰に続くものです。

 清水さんの長年の音楽を中心とした文化面での貢献に対して贈られたものです。表彰の翌日の10月2日(火)に行われた定時練習でその表彰状が団員に披露されました。音楽連盟会長のほか、港シティコーラスと港区童謡唱歌を歌う会でも活躍中の清水さんへ贈られたこの名誉に居合わせた全団員から拍手が沸き起こりました。

 早速、海外義次さん(トップテナー)が手配した祝宴が行われ、20名余りが参加して白門専用ラウンジである居酒屋「和田浜」(浜松町駅前)で華々しく開催されました。

 通常こういう祝宴は表彰を受けた本人が、「これも皆様のご支援のおかげ・・・」と言う事ですべての費用を持つものと相場が決まっている(藤澤賢二さん談)ものですが、表彰と名のつくものは戦時中に国民小学校で掃除当番を務めて校長に褒められた時以来、とのことで、これまでの慣例を破って一人3000円という会費制で行われました。会場では各テーブルを清水さんが回り、喜びを語る、という形で1時間半余りに渡りました。

 「この表彰状は祭壇に飾りますか? それとも棺に入れましょうか」と、この世に生を受けて以来表彰にはまるで縁のない団員たちから冷やかし半分、やっかみ半分の声も。

 「文化勲章受章者でも高齢者だから、ほどなく亡くなっているんだよな」と、これは最後の手締めの音頭を取った矢澤由行さん(セカンドテナー)からも長寿を祝う強烈な挨拶。こんな言葉が出ても刺がないのが我が白門グリークラブのよいところです。

 清水さん、改めて 「おめでとうございます!」

 なお祝宴に欠席した石井秀之さん、西山和夫さんからは会費と同額の寄付がありました。感謝!


 表彰状の清水さんを囲む団員たち  「和田浜」での祝宴で喜びを語る清水さん
 左から時計回りに酒井、志田、松丸、小松、吉野  左手前から酒井、塩田、萩原、高木、矢澤
 左手前から坂田、辰巳、中村、熊木、中嶋、城所、
 清水、藤澤、千葉、江畑


●松本先生を囲んで懇親ゴルフ(2007年7月24日掲載)

すっかり更新を怠っておりまして、団員からお叱りを頂いております。

 さて更新再開直後の記事は常任指揮者、松本宰二先生を囲んでの懇親コンペ。会場はこのサイトの管理人が勤務している名門、富士小山ゴルフクラブでした。開催日は梅雨明けやらぬ7月23日(月)。当初参加を予定していた城所さんは持病が再発して開催前日に無念の出場取り消し。ご本人の残念がること。

 スタート前のレストランで全員が集合、と思いきや千葉さんの姿が見えない。どうしたかな、と思いながらも雑談で時を過ごしていましたが、松本先生がいつになく無口。
「いやあ、一昨日の夜から体調が悪くて昨夜の熱が38.5度なんです。今朝も37度を越えているんで家内が"あなた、どうするの?"と聞くんです。とは言え、だいぶ前からの約束なんでやって来ました」。確かに辛そうです。おまけに外は小雨。

 09:25にアウトコース1番からスタート。1組目は腰も癒えて1都3県を越えて来場した西山、確かなテクニックのベテラン小松、ほぼ1年ぶりのゴルフと言う中嶋、2組目がゴルフ歴5年、コース10回目の松本、大口たたきで舌戦の名手、藤澤、30年間同じクラブを使い続ける千葉、そして最終組は枯れて洗練されたプレーの井上、民生委員とゴルフが生きがいの依田、進境著しいと評判の宮本、合計9名でした。

 で、ダブルペリア方式で争ったコンペの優勝者は平常心を持ち続けて安定したプレーに終始した小松秀洋さん。スコアは94で、グロス、ネットとも最高スコアでした。2位は2発のOBを出しながらも長い経験に裏打ちされたプレーで健闘した依田安弘さん。BBは体調不良ながらきちんとレッスンを受けている形跡のある松本宰二先生。そして栄えあるBMは、長老の10番の池にボール2個を提供してしまった井上博之さん。注目のニアピンは4ホールのうち、なんと藤澤賢二さんが3つを獲得、残りの一つは小松秀洋さんでした。ちなみに藤澤さんのグロスは116(57, 59)。ニアピンを3つも取りながらこの体たらく。ニアピン賞にはボギ(3パット)ーを除く、という当然のルールを加えておくべきではないか、と西山さんから異議もでた表彰式でした。

 なお欠場した城所英嘉さんから1万円の賞品代提供のお申し出があり、ありがたく優勝者を含む全員に賞品をお渡ししました。全員が、城所さんに感謝です。また遠路信州から参加した依田さんと千葉団長からも銘酒などの賞品提供、富士小山ゴルフクラブからニアピン賞としてロゴ入りボール(4パッケージ)提供がありました。

 再び雨の降り出した16:35に解散。


 ゴルフ名手ながら1年間も中断
 していた中嶋さん
 腰も癒えて、復調の兆しを感じ
 
させる西山さん
 優勝候補の下馬評通りだった
 
名手、小松さん
 風邪気味で体調不良ながら
 健闘した松本先生
 なんと30年間同じクラブを使い
  続ける千葉さん
 大口を叩いてスコアも大叩き
  だった藤澤さん
 洗練されたプレーが随所に
 見られた井上さん
 豪快なドライバーショットの飛距
 離がダントツの依田さん
 昨年に比べ進歩著しい宮本さん。
 課題はグリーン周り。
 写真はいずれも10番ホール(PAR 3)



4月

実行委員からのメッセージ 〜演奏会を振り返る〜 (2007年4月27日掲載)
 
今回の演奏会の実行委員は塩田勝彦さんを委員長とした総勢11名。団員の中ではもっとも若い世代が企画段階から取り組みました。今日はこれまでに寄せられた各委員のメッセージを掲載いたします。

塩田勝彦さん(セカンドテナー、昭和44年卒 委員長)

  第15回演奏会が無事終了し、とにかくホッとしております。お世話になった指揮者・ピアニストの先生方、当日は勿論本番数日前からステージマネージャーや裏方として頑張ってくれたOB・学生諸君、観客動員のため尽力してくださった北区関連の皆様に心より御礼申し上げます。
 しかし、私が一番感謝したいのは多忙な年度末だったにも拘らず、演奏会準備を最優先に最後まで協力してくれた実行委員の皆さんです。本当にありがとうございました。
 今回は日頃の連絡や資料作成にPCの力を大いに活用したため、かなり効率よく仕事を進めることができました。今回のノウハウを次回の実行委員会でも参考にしていただければと思います。
 たくさんのお客様が「白門の演奏会はいつも楽しい。」とおっしゃってお帰りになったと聞いています。これからも日夜練習に励み、難解な曲からポピュラーな曲まで、あらゆるレベルの人たちから愛される演奏活動を続けてゆきたいですね。

高山 宏さん(セカンドテナー 昭和44年卒 演出担当)
 今迄とは違った形で迎えた演奏会でした。心に印象深く残ったのは初めて実行委員として歩んだからだと思っています。各々の委員が英知を結集しあらゆる対応をソツなくこなす事が出来た事は、三人寄れば・・・の如く一致協力問題に対処し、自分はその一人として(担当業務に対し充分なことが出来ず反省が残ります)これ迄とは異なった充実した達成感を味わう事が出来ました。全て勉強だった自分にとってその事をとてもありがたく思い、実行委員の皆さんに改めて感謝したいと思います。
 多田先生が第2ステージ終了後に先生自ら我々団員
の控室を回られ、以後のステージの激励を戴きとても感動し新たな勇気が湧いて来るのを覚えました。マフラーの形を変えながら動作を取り入れた第四ステージは当初こそ戸惑いがありましたが、成り切ってする事が出来、自分にとって鮮烈な印象でした。友人・知人は異口同音に(外交辞令と差し引いても)讃辞の言葉を投げ掛けてくれホッとした気持が支配しています。
 日立から駆けつけてくれた仲間が「世界と
日本の子守唄特集」と「日本のポップス」のPartUが是非聴きたいと強く熱望していました。(一案として御検討下さい。)
 最後にレセプションでのN先輩の言葉は自分にとってとても重く圧し掛かっています。恐らく練習量の一番少ないのは他ならない自分ですから。自分としては自宅学習を含め現状の中で精一杯頑張っているつもりですが・・・。自分は失格ですね。それでも皆さんと一緒に頑張って行きたい気持でいます。自分にとって団員として、実行委員として精一杯でした。改めて皆さんに感謝しています。
 ありがとうございました。


中村真一さん(ベース、昭和43年卒 選曲・練習計画担当)
 演奏会が終了して1週間しか経っていないのに、何チームに居たのかも忘れてしまった今日この頃です。
 しかし、プログラム作成に尽力頂いたEチーム(坂田殿、辰巳殿、堤殿)と会計担当の大蔵殿には感謝! ありがとう、そしてご苦労様でした。
 演奏会前2週間の多田先生の練習でも、暗譜できない団員の多いこと。非常に心配しましたが、小川さんの提案にて演奏会直前の練習が実現できたことは良かったと思っています。まだまだ安心できる状態ではなかったが、団員皆が同じように危機感を持っていたようで、練習にも集中していたことに若干安堵した次第です。
 2年のインターバルで演奏会を行ってはいるが、何年あっても結局は最後の土壇馬力(ドタンバリキ)でやっているようなもの? 演奏会の間隔をもっと縮めても出来そうかな。
[第1ステージ]
 1曲目の朗読でマイクが入らず、また終了後の感想でも言葉が聞き取れなかった等、朗読の問題については、我々の問題と考えますが、松本先生には申し訳ない気持ちです。
 しかし、第1ステージを終わって袖に引き上げたときに多田先生より「バランスが良い」との言葉にはホッとした気持ちでした。
[第2ステージ]
 今回の演奏会の本命! 皆緊張し、先生の指揮の一挙手一投足に注意を払い演奏できたのではないでしょうか。途中切れそうになりましたが何とか持ちこたえられました。私個人としては、ただ1箇所のベース高音を歌い損ね、何のためにここに並んだかわからない失態でした。演奏中の声の反響からはハモッていたように感じましたが、CDが待ちどうしい。
[第3ステージ]
 私の娘(35歳)はどの歌も知らないとのこと。あ〜!世代の断絶! だからどの曲も同じに聞こえただと!
 アコーディオンで華を添えた清水さん、スミマセン。
[第4ステージ]
 娘っこや親戚一同はこのステージが最も楽しかったと言ってくれました。当日のリハーサルでもステージ上での移動には戸惑いました。いろいろ考えてもしょうがないので自分の直近の人の名前を覚えることにしましたが、本番では位置がずれてしまい、他の団員に迷惑をかけたようです。スミマセン。でも白門グ
リーとして画期的なステージであり、アイデアを出して頂いた松本先生に感謝! 次回も我々を動かして下さい。

堤 浄司さん(セカンドテナー、昭和47年卒 広報宣伝・プログラム、レセプション担当)
 実行委員の皆様、及び野口さん、丸亀くん、高崎君他関係協力者の方々お疲れ様でした。又ありがとうございました。
 実行委員会の反省会は又後日として・・・・。
 演奏会の感想としては、来場客が楽しめた演奏会であったのではないでしょうか。来場して貰った小生の招待者も、口をそろえて楽しめた、との好評を頂きました。
 初めて来場して頂いた方も、多田先生の知人の方がもらされていたように、『最初ステージを見た瞬間、老人ホームの合唱団かと思い、思わず、帰ろうか・・・・。でもマーラーを聞いた瞬間、こんな綺麗なマーラーのトーンが聞いた事がなかった。最後(オペラ)はさすが体力不足の感じがしましたが、それなりに楽しめた。』と思ったそうです。
 小生は、1月まで皆さんの10〜15%程度しか練習に参加していなかったので、前日まで不安で一杯でした。多田武彦曲は、演奏会の23日前でしたか、皆客席がどよめき、一部の客が帰ってしまう変な夢を見て、夜中3時頃目が覚めてしまったほど、心配でした。こんなに心配して、不安な演奏会は学生時代を通じて、初めてでしょう。
 でも、結果よければ全てよし・・・、前々回の演奏会で演奏した中島はる曲の長いアカペラから、ピアノ伴奏が入った音がピッタリとピアノと合った瞬間と同様の満足感が出ました。(小生は多田武彦曲で途中ハミングがわからなくなった所がありましたが・・・)
 白門グリーもまだ若い者に負けずにがんばる事が出来る事が証明(??)できたのでしょうか???

▼大蔵 純さん(セカンドテナー、昭和47年卒 会計担当)

 白門グリークラブに復帰を果たしたのは、40歳代前半の今から十数年前です。以来、常に練習不足で演奏会のたびに後悔の連続ではありましたが、今回、第15回という節目に実行委員(会計担当)としてお役にたてたことは光栄に思います。
 私の場合、どういうわけか会計という役回りが多く、この2年間も、@OB会、A現役定演の合同ステージ、B自治会、そしてC白門演奏会と、常に複数のお金を預かる状態が続きました。今度は11月に予定している「Chor‘99の第二回演奏会」の演奏会会計を志願してやることになっています。
 車の運転はその人の性格が表れるといいます。会費の納入の仕方にも性格は反映します。
 今回は私が練習に出られない場合も想定して納入袋による納入をお願いしましたが、「早々に一括で納入される方」、「きちんきちんと分割で納入される方」、「期日を過ぎてしまった方」、また、納入袋の記載についても、「ルールどおりに記入される方」、「何も記入しない方」、様々です。でも大体は「想定内」でしたので、私の人を見る目もまあまあかな、などと納得をした1年でありました。
 さらに、そうした行動は元来の性格なのか、仕事をするなかで備わったのか、はたまた・・・などと考えると、会計も結構楽しいものです。
 あ!そういえば今年の会費を全然払っていませんでしたね。城所さん申し訳ありません。


●第15回演奏会が成功裏に終了(2007年4月15日掲載:速報)

 
 多田武彦先生を6年ぶりの客演指揮者に迎えて、第15回演奏会が北とぴあ・さくらホール(北区・王子駅前)で開催されました。入場時刻を15分早める程の大盛況、定員1300名の会場は満席となりました。

 今回は常任指揮者の松本宰二先生がオペラ畑の出身であることから、第4ステージでは白門始まって以来のステージングを披露する等、新機軸が大きな話題となりました。

 今打ち上げの二次会から帰宅したところです。ぐったり、しています。

 実行委員の皆さん、会場・受付・ステージ係を務めてくれた後輩学生の諸君、支援してくれた北区関係者の皆さん、本当にありがとうございました。

 
詳細は後日に掲載します。

 (左の写真は、続々入場するお客様)




Adobe Photoshop 7.0


●定時練習に多田先生が来場
(2007年4月4日掲載)

▼多田メソッド

 
管理人が練習会場の天光院に着いたのは18:時38分。扉を開ける前に聞こえてきたのは三木露風の「赤とんぼ」。はて、ど
うして? 多田先生の来場日ですから「尾崎喜八の詩から」を始めていると思っていました。
 声区の移動の確認だったのです。ところが多田先生から見ると、これまでの合宿で何回も繰り返して説いてきた多田メソッドが身についていない、と
判断。フレージング、ソフトな子音とハードな響きの子音の発声の峻別、軟口蓋発声とあわせて、再教育となっていたわけです。
  厳しい声に一同身じろぎもせず、聞き入ります。さあ、やってみましょう、と何回も赤とんぼ(ユニゾン)を繰り返す練習が続きました。「尾崎」に入ったのは20時過ぎ。休憩しましょうか、の先生の言葉にも団員から「そのまま練習を続けましょう」との声多数。結局終了したのは定時を過ぎた21時10分となりました。
 
 この日の練習には休団中の野中忍さん、吉野守良さん(いずれもトップテナー)、現役学生4人も参加。特に、初めて多田先生の指導を受ける現役学生にとっては衝撃的な時間だったようです。

▼次週も必ず、と高木辰夫さん
 「来週も全員が万難を排して参加してくれ」と指揮者の高木さんから檄が飛びました。松本先生との最後の演奏会直前練習。オペラ出身の松本先生らしく、ステージングという演出のある今回は団員にとっては初めての経験。駄目出しの連続だった前回までの練習への危機感が溢れているのです。

▼和田浜は移転のため休業

 いつも練習後に立ち寄る居酒屋「和田浜」は先週に一旦閉店。近くに仮店舗を開いて再開するとのことでしたが、その連絡がなく、12名の呑み助たちは付近をウロウロ。浜松町無料案内所の異名をとる坂田信一さんのアドバイスで浜松町駅に近い中華風居酒屋に入りました。
 初めての店でしたが、まずまずの料理をだす店。生ビール、紹興酒をやりながらあと10日余りに迫った演奏会への決意を新たにしたのであります。矢澤、野中、千葉、藤澤、海外、塩田、坂田、宮本、丸亀、桜井、辰巳の各氏が参加。
 印刷会社から最終ゲラを受け取っていた辰巳さんから実行委員たちにコピーが配られ、確認作業も行われました。さすがに念の入った校正を繰り返していただけに、完璧な出来のようです。


プログラム制作に大わらわのEチーム(2007年4月2日掲載)

  15回演奏会まであと2週間足らず。実行委員会では11名全員が作業を分担して作業を行っています。そのうち、広報宣伝を担当するEチーム(坂田チーフのほか、堤、辰巳、桜井の各団員)ではプログラムの制作がようやく今日、峠を越えたようです。
 
 指揮者の先生やピアニストの経歴、曲目解説、関係者からのメッセージなど約12ページを埋める原稿の収集、それらのレイアウト検討、広告の募集、印刷会社との打合せ、そして膨大な時間を掛けた校正作業。特に校正では印刷会社からゲラが上がると、担当窓口を務める辰巳則夫さん(ベース 左写真)がEチーム全員と委員長、副委員長に一斉に12ページをFAX。会社で勤務中であっても、受信した委員は最優先で校正作業に没頭しました。それを繰り返すこと延べ5回。ようやく最終校正が終わって、入稿したのは今日の正午前でした。

 辰巳さんの今夜のメールでは「最終版が出来上がったとの連絡を受けて、18:00に今日2回目の印刷会社訪問をしたんです。印刷機のスケジュール上、もうチーム員に流す時間はないので、一人で最後の確認をしました。直すべきところはすべて直っており、印刷にGoを出しました」とのこと。
 
 それにしても一番気を使ったのは人名です。原稿では数日前に「団伊玖麿」(作曲家)を「團伊玖麿、だろう?」と、サイト管理人でもある宮本副委員長が直したところ、塩田委員長から今日になって「おい、伊玖麿じゃなくて伊玖磨だろ」(どこが違うか分かりますか?)と指摘が入るなど、ひやりとする場面もありました。第2稿までは記載されていた独逸語のウムラウトが第3稿では消えていたり・・・。
 
 そんな苦労もまもなく報われそうです。6日前に集計したチケットの売れ行きや招待状の集計の結果、予測来場者数は定員ぎりぎりの1350名になりました。大盛会が予想されます。


3月

●春季駆け込み合宿を開催(2007年3月26日掲載)
 15回演奏会まで3週間を余すだけになった3月24日、25日に神奈川県・江の島で春季合宿が開催されました。団員全員のほか、応援のOBも参加、さらに2日目には多田武彦先生が指導されるなど、熱の入った練習となりました。
 
▼管理人は勇躍、単身赴任先から参加
 昨年夏に東海地方のゴルフ場に単身赴任した管理人、この年になるまで運転免許なし。週1回自宅から持ち帰るレトルト食品で飢えを凌いでいるのを見かねた部下が、「冬になったら休業期間がありますから、その間に免許を取ったらどうです?」と悪魔のささやき。本気になった管理人、とうとう浜松市にある自動車学校に合宿生として入校しました。
 年齢×1万円はかかりますよ、と脅かされて発奮し(とてもカミサンに余分に出してくれとは言えない管理人)、「必ず最短期間で卒業してみせる」と大法螺を吹いた手前、死に物狂いの勉強をしました。おかげで最短の16日間で卒業し、本試験も一発で合格したのであります。

 そんな訳で会社の車で早朝社宅から高級車を駆って、朝の片道70キロを1時間40分で走破。無事に合宿会場に到着を果たしました。調子に乗った管理人、途上の電車内にいた辰巳則夫君に電話。
「江の島駅からは遠いから、迎えに行ってあげよう」と送迎の押し売りをする始末。

 「断れませんよね。先輩からの申し出ですから」(辰巳君)
 「で、一人では怖いので電車に乗り合わせた依田さんや井上さん、熊木さんまで引きずり込みました」(辰巳君)。
 不安で震える4人を乗せた車(セルシオ)は途中、バイクとすれ違いも出来ないような道に紛れ込むことはあったものの、練習開始の10分前に会場に到着しました。

 「俺、管理人のMから昨夜、お迎えしますってメールを貰ったんだけど断ったんだよ。まだ孫も小さいしね」(依田さん)
 「足首を痛めているんでやむなく乗ったんだ。それでなければ、免許取立ての奴の車にゃ乗らんよ」(熊木さん)
 「励ます意味で乗ったけど、まあ、初心者にしては落ち着いていたんじゃないかな」(井上さん)

 よく言うよ。
 
▼小川さんが回復
 声が出なくなる、という美智子皇后様のような病気にかかった小川勝久さん(ベース)。
「歌うと声が割れるんだ」としばらく練習を休んでいましたが、その病もようやく癒えて合宿に参加。しばらく惰眠をむさぼっていたベースの面々を前にも増して厳しく指導をし始めました。
 「もう少し、長引くのかなと思っていたんだが・・・」と、ベースの団員は喜んでいるのか、悲しんでいるのか?
 
▼パンダの目、藤澤指揮者
 集合時に遅れること10分、現れた藤澤賢二さん(指揮者、トップテナー)の顔を見た団員は仰天。右目の下が真っ黒に腫れ上がっています。まるで四谷怪談のお岩さん状態。
 
 一体どうしたの?と訝る団員たちを前に、
「先週の練習後にみんなで飲んだろ? かなり酔っていたんだな。調布の駅で乗り換えるときに、どっと後ろから押されんたんだ。でホームの上で転んでしまって、この有様さ」と苦笑い。もう若くないんだから気をつけてね、と見舞いの言葉を掛けられていました。

 その翌日に1日遅れで参加の小澤達男くん(トップテナー)、左目横に傷テープ2枚の哀れな姿。どうした、と不審がる団員にも詳細を語らず。どうもトップテナーにはこの1週間が魔の7日間だったようです。

 両氏とも演奏会までにはもとの顔に復元できるとのことで、団員を安心させました。
 
▼練習後の懇親会、別室では校正真っ盛り
 管理人が寄贈した缶ビール19本、見学に来ていたヤングブラザースの皆さんからいただいたお酒を中心に宿泊棟の談話室では恒例の懇親会が開催されました。
 賑わいをよそに309号室では演奏会プログラムの校正作業が始まっていました。坂田、堤、大蔵、辰巳、桜井、宮本ら実行委員が閉じこもり、初校に取り組みました。なにせこんな小さい字を細心の注意で検証するのは大学時代にもなかったこと。9時前から始まった校正会議は11時まで続き、気の毒に思った懇親会中の藤澤、海外両氏から「これ少しだけど」とお酒の差し入れがありました。しかし、彼らはボトルは置いていきませんでした。
 校正作業も終わり、勇躍懇親会の談話室に飛び込んだ辰巳君が見たものは、誰もいない部屋。酒豪の彼もほとんど素面(しらふ)状態で、しおしおと布団に潜り込んだのです。

 ところで管理人の寄贈したビールはロング缶6本、レギュラー缶13本の合計19本と、中途半端な数。
「会社のレストラン支配人が、Mさん、これ賞味期限切れだから差し上げます、って俺にくれたんだ。去年の秋だけどね。白門の連中なら喜んで飲むだろうと思って・・・」
 
 腹をこわした団員はいませんでした。

▼ヤングブラザースのメンバーが練習見学に
 小川勝久さんが指導しているヤングブラザースのメンバー10名が1日目のステージ練習を、また4名が2日目の多田武彦先生の指導を見学に来場しました。1日目は、おりしもステージではヤンブラには馴染みのないマーラーの作品を練習中。その後のオペラ・ミュージカル練習では曲よりステージングに四苦八苦する当団員を客席から眺めることとなりました。

 「あれで本番は大丈夫なんでしょうか?」と小川さんに真顔で聞く団員もいたそうです。ご心配ありがとうございました。
 
▼緊張、緊張  多田先生による指導
 指導する多田先生
 朝の嵐のような風雨も収まった2日目の正午過ぎに多田武彦先生が笑顔でご到着。数日前に引越しをされたばかりのご多用中のご来場でした。

 仕上がり振りを確認に来ました、と団員を前に開口一番のご発言。今までの練習不足を恥じて、ぶるぶると震える30名余りの団員を前にまずは1時間30分、休憩を挟んで延べ4時間近い厳しい練習が続きました。いつもの無駄口、軽口などとても叩けない超緊張状態です。

 終わった後の団員はみな放心、脱力、精根尽き果てた状態。しかし多田先生は、見送りのために傍にいた管理人に、「安心しました。藤澤さんのソロも詩を理解した上のもので、とてもいいですよ」と満足そうでした。
最終回の次回は4月3日、芝・天光院の予定。

 
▼アリさんとアリさんがこっつんこ・・・
 今度の第4ステージは今までにないステージングを演じるのは、やはりオペラ出身の松本宰二先生のアイデアによるもの。これまで直立不動で歌うのが常だった白門グリーに新しい風を吹き込みつつあります。
ところが、いててて、と床に倒れこむ団員が続出

 演奏会前なので詳しい説明こそ出来ませんが、あるオペラ曲の中に行進を取り入れました。メロディの切れ目をきっかけに左右に移動するだけの(白門向けに簡単にしました、と松本先生)ステージングが大混乱を巻き起こしたのであります。
まず左に行くはずの石井秀之さん(ベース、もと団長で最長老)が列の中央で立ち往生。そこに突っ込んできた(これはこれで正しいんです)隣の飯田昌男さんが激突。同じような光景がステージのあちこちで発生したのです。同時多発衝突です。

松本宰二先生 梅田朋子さん
 ピアノにつっぷして途方に暮れる松本先生(たぶん、泣いている)、そして鍵盤上につっぷして体を震わせている(多分、笑っている・・・)ピアニストの梅田朋子さん。
 「あの〜、これ、やっぱりやめましょうか?」と、気を取り直して団員に向き直った松本先生。
 「いや、ここまで来たんです。やりましょう」と、団員たち。どちらも悲壮な覚悟でその後の練習に励んだのであります。

 たったひとつの言葉を励みに・・・。
 「本番に強い白門グリークラブ」

 
▼解散後に実行委員会
 練習も終わり、ほうほうの体で引き上げる団員を横目に実行委員13名がちかくの料理屋2階で実行委員会を開催しました。暮れかかる時刻に突然、中年と初老の男ばかりが大挙入店した店は、大喜び。閑散とした座敷で1時間余りの進行スケジュール確認が行われました。この間の飲み物はビールと少量の日本酒。議事が終わると、「さあ、帰りましょう」 一人当たり千数百円の支払いをして・・・。
 会議が終わればきっと料理や酒の注文がどっと来るだろう、と近くで伝票片手に身構えていた従業員の唖然とした姿を後にして江の島駅に向かったのであります。
 
  

●学員会サイトに演奏会のお知らせ(2007年03月21日掲載)
 中央大学公式サイト内にある学員会のイベント告知ページに掲載されました。千葉団長が見つけて、管理人に連絡があったものです。

 その後に掲載までの事情が判明しました。石井秀之さん(当団相談役)が大学事務局に告知を依頼したものです。その後、トップテナーのTさんのお嬢さんで、大学の広報課に勤務しているC子さんがWEBを巡回していて発見。当団のファンでもある彼女はWEB担当者に、そのページから当団サイトへの直接リンクを張ってはどうか、と提案。早速実現したものです。ページ画像の一番下に、ちゃんとリンクがあります。

 石井さん、C子さん、本当にありがとう!
立山さんは素晴らしいお嬢さんに恵まれましたね。




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