中国みやげ 「蘇洲へ行ってきました」 ベース 坂田信一(昭和46年卒) 妻 「私たちの人生もこの運河のようね・・・」 夫 「ウンガいい、ってことかい?」 というような会話が交わされたのかも・・・。(蘇州市内にて) 編集者注:坂田さん夫妻は団員であるアコギな某旅行業者のオプショナルツアーに参加せず、敢然夫婦二人だけで列車を使って上海と蘇州を往復しました。その勇気たるや賞賛に値します。約17,000字にも及ぶこの記録は日中文芸家協会(所在地不明)の今年度のドキュメント・オブ・ザ・イヤーにノミネートされようと(多分)しています。 なお夫婦だけでの旅行でしたので二人そろっての写真がありません。上の写真は「こんな風にして感傷に浸りながら歩いていたのかな」という勝手な推測に基づいて勝手に編集者が作ったコラージュ(合成写真)であります。 では本文をお楽しみください。 ぷろろーぐ 中国演奏旅行が成功裏に無事終了しました。おめでとうございます。団長はじめ代表幹事、実行委員の皆様のお骨折りに感謝します。参加された皆様、さぞやお疲れのことと思います。御自愛下さい。
さて私の海外旅行経験は5年前の夫婦でのタイ旅行に次ぎ今回が2回目でした。前回も同様でしたが、バスツアーだけですとどうも外国へ来た実感が湧きません。今回は特に北京放送の皆さんの流暢な日本語、近代的な放送局舎、来場者の服装、表情などから東京に居ると錯覚するほどでした。そこで上海でのフリータイムの一日、中国に触れよう、何とか夫婦で自力で行動してみよう、との出発前の考えがより一層強くなったのです。 自力で蘇州へ行こう 旅行前、蘇州へのオプションツアーは列車又はバスとの記載がありました。一度外国の列車に乗ってみたかったので参加しようと思っていたのですが、最終的にバスに決まったことでオプションツアーの参加を見合わせました。そして11月5日の上海での終日フリータイムを利用して、自力で蘇洲へ行ってみようと思い立った次第です。出発前、海外旅行誌【地球の歩き方】の購入やインターネットによる情報収集の結果、言葉のハンディもあり、独自で蘇州行きの乗車券を買うことはかなりの困難が予想されました。団員である小田急の宮本(なんにも)専務に計画を話しますと「坂田さん,大変ですよ。まあ蘇州まで行ければ、帰りは一人4,000円で拾ってあげてもいいですよ。」との温かい御言葉でした。 最初は上海駅を見るだけでもいいや、だめだったら上海市内見学にしようと思っていましたが、この温かいお言葉で俄然闘志が沸いてきました。ありがとう、宮本さん。英語駄目、中国語全然駄目のコミュニケーションギャップを解決する唯一の手段は漢字による筆談しかないと思い至り、出発前、近所のスーパーでノートを買いました。 最初の筆談大成功 北京放送での演奏会が無事終了し上海へ着いた夕食後、いよいよ計画実行です。 上海の地下鉄はオシクラマンジュウ
日曜日の夜の地下鉄人民広場駅ホームは老若男女でごった返していました。人民広場駅は地下鉄2路線が交差しており、乗換駅でもあります。上海站行き電車が到着しドアが開きました。ここで信じられない光景を見ました。なんと20数人の降車客と同数の乗車客が同時一斉に乗降を開始したではありませんか。当然オシクラマンジュウ、又はラクビーのモール状態、怒声も飛ぶことになるかと思いきや、各々が各々を見事にすり抜け何のトラブルも軋轢もありません。最近は日本でも「くそガキ」、「オバタリアン」を中心に一部これに似た光景が見られますが、日本人にはこの混沌の中の秩序は真似が出来ないと思います。この後も日本でのルールが中国でのルールではないことに何回か出会いましたが、これは何なんでしょう。中国人の大陸的性格の所以でしょうか。(写真は上海地下鉄路線図) 必勝ノート、敗退す 上海駅は上海市内の北外れにあります。大きな駅ですが周囲はやや暗く、駅前広場にはホームレスのような人々がたむろしており、私達が歩いていると突然物乞いの手が突き出てきました。見ると20才代の男ですが顔色が異様に悪く病身のように見えました。地方の農村から出稼ぎに来て、職もなく病気となったのでしょうか。ガイドの韓さんは中国では福祉に力を入れていると強調していましたが「働かざるもの食うべからず」でしょうか。その数に驚きました。 私達はまっしぐらに乗車券売場に向かいました。窓口が10ヶ所ほど開いており人々が入れ替わり立ち代わり、窓口で集散しています。ホテルにて大成功を収めた私はノートに次のように書きました。 11月5日乗車 特快 T722次 9:00発 上海站→蘇洲站 窓口には3人ほど並んでいました。すぐに私の番だ、と思っていると、どんどん人が割り込んできます。日本のような所定の申込書はないようです。其々が一言、二言で用を済ませています。感心して見ているうちに更に人が割り込んできます。日本式に整然と並んでいても駄目なのです。前の人とぴったりくっ付き、しかも前の人の顔と自分の顔を窓口に対し平行にならべておかないと順番を確保できません。漸く窓口にたどりつき、勢い込んで必殺ノートを見せました。 私はあらかじめ「没有」といわれた場合の対応は考えていました。必勝ノートの2ページ目、3ページ目を使って第2志望、第3志望の列車名を記入していたのです。しかし窓口係の対応は違いました。「イー」といって私の必勝ノートを投げ返してきたのです。第2志望をめくる間もなく例の割込者がどんどん入り、私と窓口の距離は開きました。 生まれて始めて感じた挫折とショックでした。言葉が分からずに交渉ごとをするのは、相手の善意又は熱意に頼るしかないことを、改めて実感しました。「イー」が何を意味しているか分からず、又ホテルのようにこちらのニーズを推し量る姿勢が窓口係に無いこと、雲霞のように集まってくる申込者を見ていると、それを求めることは無理であると判断しました。 妻は「イー」とは「軟座は済んだ」と言ったのではないかと推定しました。必殺ノートは理解できたはずだから私もそう思います、しかし有名な「没有」と言ってくれれば、このキーワードですかさず第2志望をめくる体勢をとったのにと思いましたが、後の祭りです。(帰国後「イー」を中日辞典で調べますと「巳」=「イー」=済でした。) 意気消沈して上海駅前を妻と、とぼとぼ歩きました。外国人専用の乗車券売場があるらしいでのすが見当たりません。夜の上海駅前はやや物騒な雰囲気です。妻はもうあきらめようと言います。ここで宮本さんの顔と温かいお言葉が浮かんできて、最後の闘志が湧いてきました。先ほどは一般客の窓口に行ったのですが、比較的外国人と接触の多い軟座入り口に行けば何とかなるのではないかと思ったのです。 中国の列車と駅の説明 中国列車は軟座(一等車)・硬座(二等車)、軟臥(一等寝台)・硬臥(二等寝台)に区分されています。軟座の料金は硬座の2倍から3倍になるそうです。硬座は字のごとく固い座席で一般的には自由席、特に長距離列車は乗り降りが困難なほど混雑するそうです。 駅舎入り口は硬・軟座別になっており、出口(降車口)も別になっています。硬座、軟座入り口には受付係員がおり乗車券をチェックしたうえ、入場を許可します。そこで荷物のX線検査(空港と同じ設備)を受けた後、待合室に入ります。待合室の端が改札口になっており、その先の階段を降りるとホームが有ります。 列車に乗るときは各車両に車掌のような係員がおり、再度乗車券をチェックのうえ乗車を許可します。日本のように、とりあえず130円の乗車券を買って、乗ってから精算は出来ません。X検査が厳しいのは、中国ではかって列車爆破事件が頻発したためのようです。 軟座、硬座は出入り口、待合室、改札口が別で待遇もまったく違います。戦前の租界時代の名残とは思いますが、当時は外国人優遇、戦後は共産党エリート優遇、現在は高所得者優遇と常に一般民衆は下位に置かれており、この国の区別感覚が分かります。この点ではなんでも平等を標榜する我が国は、最も進歩的な社会主義国かもしれません。 旅は妻(みち)連れ、世は情け さて軟座入り口には受付のクーニャンが立っています。早速ノートを見せてこの切符を買いたいと言いました。クーニャンは「ここでは切符を買えない、切符を買うなら右、外国人専用に行くなら左へ行け」と冷たく言います。私は「行ったけれども、言葉が不自由で買えなかった。もうあなたに頼るしかない。」と哀願します。何回も押し問答しているうちにクーニャン、5mほど後方のボックスに座っている年配の女性を大声で呼んで何か言っています。制服を着た年配女性は最初出てくるのを嫌がっていましたが、漸く「しょうがないな、ヨッコラショ」と云った感じで出てきました。クーニャンは私の妻のほうを見ながら「中国語を話せない日本人よ。このおっさんはほっといてもいいけど、後ろにいる女性がなんか事情があるのかもしれない。悲しそうでほっとけない、力になってあげて。」てなことを言ったのだと思います。
おばさんは私のノートをひったくると内容を見てうなずき、さきほどの乗車券売り場の窓口へ私たちを連れて行きました。そして窓口係(先ほどとは違う人物)にかなり強い口調で話し、私のノートを見せますと、窓口係はコンピューターの検索を始めます。検索結果を見ながら窓口係が一言おばさんに言います。おばさんは「いいからアウトプットしなさい」と命じ、出てきた乗車券を私に示しました。「軟座は売り切れだけど、硬座の指定席があったわ。これでいいわね。」 毎日1時間は電車で立って通勤している我が身、この際乗車券さえ手に入れば何でも結構、「謝謝、謝謝」を繰り返し乗車券を押し抱いた私でした。特快硬座指定席1人21元でした。あらかじめの情報では軟座指定券が1人21元であったのですが、もうこの際地獄に仏、500元といわれても買ったと思います。 北京放送のみなさん、上海駅には中国の観光発展に縁の下で努力しているこんないい人がいますよ。中国人民と日本人民の友好関係はこんな所から芽生えるのですよ。 こうして意気揚々ホテルに帰還した次第です。帰って宮本さんに報告したら、氏は意外な顔をしながらも「坂田さん、よかったですね。でも帰りが問題ですよ。まあ切符が買えなければ一人、そうだな、5,000円くらいで拾ってあげます」と更に値上げした温かいお言葉でした。 私は日本人の「沽券」を保てたか? さて出発当日となりました。列車の時間は上海発9:00ですが初めての乗車、万一を考えて上海駅には1時間前に到着するよう、7:30にホテルを出発しました。ほぼ1時間前に駅頭に到着、硬座入り口で乗車券を提示、荷物のX検査を受けて硬座待合室に入ります。 待合室は学校の体育館のようで1千人くらいの人が入れる広さです。ここに改札口に向かって直角に長椅子が並べられています。改札口の上部には電光掲示板があり、そこに現在改札中の列車名・発車時間・出発ホーム番号が表示されています。案内のアナウンスはありますが、当然中国語であり、私達はその掲示板から目が離せないわけです。待合室の中では4、5人の制服を着た女性が蘇洲観光バスツアーを募っていました。虎丘、寒山寺、他4ヶ所巡りで15元でした。待合室に至る廊下では新聞、カップ麺、もち、茶瓶(お茶の葉が入っている陶器の入れ物)等雑多な品物を売る店が並んでいます。 ホテルで充分用は足してきたつもりでしたが、昨日機内食を含めて4食も食べたせいでしょうか。こんな所で、もよおしてきました。この事態はなるべく避けたかったのですが、やむを得ません。トイレへ行きました。トイレは男性用と女性用が並んでいますが、その間に風呂屋の番台の様なものがあり、老婆が座っています。私が通り抜けようととすると「あんた小か、大か。大ならば2角払え。専用落し紙をあげる。」というのです。落し紙は昔懐かしいやや灰色っぽい再生紙2枚です(昭和20年代後半、我が家でも使っていた)。細かいお金の持ち合わせはありません。10元札など出すと婆さんびっくりして、混乱すること間違いありません。ポッケットティッシュを持っていましたので、それを見せますと「入れ」とのジェスチャー、いわゆる有料トイレではないようです。 トイレに入った途端、仰天しました。大便トイレが向かい合わせに12程並んでいましたが、使えるトイレにはドアがないのです。しかもすべて日本とは反対に前向きにしゃがむのです。前回の演奏旅行の時、万里の長城のトイレにドアがなかったのが、今回は改善されていたと聞いていましたので、中国社会も北京、上海の高層ビルのごとく発展、改善されたのだと、たかをくくっていた私には大ショックです。番台の所でうろうろしていた所為か、出物はもう待ってはくれない状況です。 告白します。「私はドアのないトイレで、衆人に見られて用を足しました」。 旅の恥はかきすてと思い、清水寺の舞台から飛び込んだのです。わたしは人に見られる可能性の一番低い、一番奥まった所に入ったのですが、それでも情けない姿を、中国人3人に見られました。用が済んで出口に向かうとき、これは壮観でした。残り11室のトイレ全部に人が入っており、それぞれが、通路に向かってしゃがんでいます。日本では【猥褻物陳列罪】が適用される光景です。妻によりますと、女性用はすべてドアはあったそうです。 しかしトイレで宮本さんと一緒でなくて良かった。中国へ来てその「白髪三千丈」の世界観にますますのめり込んでいる宮本さんに見られていたら、それこそ「針小棒大」、何を言われるか分かりませんでした。私は3人の中国人に見られましたが、なんの恥じるところはありません。 公衆トイレの犯罪学的考察 駅の大便トイレにドアが無いのは、中国に限った事ではないようです。アメリカ・マンハッタン中央駅もトイレにドアがなかったとの証言がありますし、アメリカの大学の男子学生寮も同様であると聞きます。前者は犯罪防止、後者はホモ防止の意味がありそうです。ドアなしで日本式に壁に向かってしゃがむことは、全く無防備であり、犯罪に対して自殺行為であることは明白です。ドアなしトイレでは前向きがベストです。「排泄行為と民族的羞恥心」との関係も、考察するに充分興味のある課題でありますが、紙面の都合上省きます。 乗った汽車は中国最新鋭車であった。 午前8時半に私たちが乗る、T722上海始発南京行き列車の改札が始まりました。改札は昔懐かしい改札鋏を使っていました。改札を出ますと階段を下りたところがホームとなっており、すでに列車が入線しています。全車2階建ての10両編成のジーゼル車です。 軟座車輌は1両のみでした。軟座席は日本の新幹線と同じく、全席進行方向向きで2人座席と3人座席が並んでいます。乗客は其々の指定車両に立っている車掌に乗車券を見せて乗車します。私たちの乗った硬座8号車は3人並びと2人並びの対面ボックス席でした。この列車は蘇州までノンストップ所要時間39分の特別快速です。ちなみに上海・蘇州間は約90キロですから時速140キロ近くで走ります。東京・小田原間約84キロを新幹線こだまは34分くらいですから、かなり早いと思います。硬座席でさえ21元である理由が分かりました。帰りの蘇洲、上海間は途中一駅停車し、所要時間は65分、軟座指定券が22元でしたので、料金はスピードでも決まるようです。 ボックス席には窓から申し訳程度にテーブルが張り出しています。(30センチほど)その上に15センチ×20センチのアルミのトレイが置かれています。これは喫茶のため車内で給湯サービスを受ける際、湯こぼれ防止のため置かれているもののようです。乗客の中にはこれに紙くず等を入れている人もいましたので、ゴミ箱かと思い、私も鼻をかんだ紙を入れようかと思いましたが、妻に押し止められ危うく思いとどまりました。 上海蛇頭(スネーク・ヘッド)の姉御登場 ぞくぞく乗客が乗りこんできます。私達の車輌はほぼ満席です。そこへ大柄、小太り、大顔の30才後半の姉御風中国女性が、20才代の男性3人を引き連れて乗り込んできました。4人はそれぞれ別の指定席のようです。私達から通路を隔てた隣りの4人ボックス席には既に2人座っていたのですが、その姉御が一言、二言小さな声、且つ命令口調で2人に話しかけますと、その2人は別の席に移動し、4人連れがその席を占拠しました。その態度と言い、風格と言い、新宿歌舞伎町の夜の世界も牛耳っていると噂される、中国のギャング「蛇頭」の名だたる親分の姉御に違いありません。恐いのでなるべく目をあわさないように、しかし注意深く観察していますと、子分のひとりに何か買ってこいと命令しています。命じられた子分はしばらくしてトランプ2組を買ってきました。いずれ車内でポーカー賭博でもするに違いありません。 中国共産主義の神髄を見た いよいよ列車が発車しました。上海駅は市内の北の外れですからあっという間に田園風景です。刈り取りの終わった水田が多いように感じました。列車は広軌鉄道のせいか、かなりスピードが出ているのに安定感がありました。車内では到着するまで検札はありません。駅入り口、改札、車輌入り口の3回乗車券のチェックがあったので、車内では不要とのことでしょうか。しかし発車前、指定券をもった乗客が席に就く毎に、そわそわ移動する人が数人いたので、自由席の人たちが入り込んでいたと思います。 さて初めての中国列車での39分間はあっという間です。到着を知らせる車内アナウンスが中国語と英語でありました。国内では電車に乗ると必ず寝てしまう私も、今回は緊張しており英語が聞き取れました。先ほどの姉御はそのまま南京へ行くようです。先ほどからトランプのひとり遊びをやっています。「幸せになれる?なれない?」、「あの人と結婚できる?できない?」 トランプ占いのようです。 蘇洲の客引から帰りの切符を買った
蘇洲駅改札出口は大勢の出迎えの人で混雑しておりました。出迎えと思った人々は、ほとんど全て観光客目当ての客引でした。彼らのしつこさは、既に故宮等で経験済みですので妻と2人観光客に見られないよう、キョロキョロせずに改札を出ました。中国では乗車券を回収せず、一部切れ目を入れて返してくれます。私達が列車で蘇洲へ行った立派な記念品となりました。また宮本さんに「ほんとに行ったの? 蘇洲で全然会わなかったじゃない。」等と言われても明白な証拠になります。私たちが蘇州駅についた9時40分頃には、オプションツアー組は、まだ蘇洲に到着していないと思います。後から聞いた話ではこの頃、バス車中では私達の拾い賃は、夜の打ち上げパーティーの飲代にしようと1人1万円に値上がりしていたそうです。 さて拾い賃を払わないためには、帰りの乗車券を買わなければなりません。まず売店で時刻表を買い、乗車券売場を探し、ノートに記入して昨夜と同じ作業が必要です。乗車券売り場は混雑しています。昨夜と同じ目に遭う可能性も充分予想できます。この段階で、客観的に見て私達の動きは明らかに日本人の観光客です。早速客引が寄ってきました。当初唯一知っている得意の言葉「不要、不要」を繰り返していましたが、先方が「上海?」と聞きましたので思わず「そうだ」と言いますと、「もう上海行き列車が来るよ、早く、早く」と言いながら背中を押して駅硬座待合室入り口へ連れて行きました。そこで客引き氏はようやく勘違いを理解、私達が帰りの乗車券を求めようとしていると察しました。やおら観光ガイドの免許証のようなものを出し、「怪しいものではない、多少手数料は必要となるが旅行社へ連れていってあげる」と言って私達を先導し始めました。宮本さんの「先方から親切にしてくるのは、何か魂胆がある、十分注意をするように」との忠告を思い出しました。しかし最初の出会いが先方にはなんの得もない出会いでした。又手数料が必要な事を最初に明示しています。出発前に読んだ【地球の歩き方】によれば乗車券の仲介手数料相場は1人10元程度です。ひとり1万円払うことと比べると安いものです。又昨夜のような思いはごめんです。結局客引について行く事にしました。 宮本さんがおっしゃるとおり客引き氏には魂胆があった 待っている15分の間に客引氏は安くタクシーでの市内観光を斡旋すると熱心に勧誘を始めました。私達は15時19分の列車と決めた時点で虎丘、寒山寺など市内から離れた観光地はあきらめ、駅周辺の名所と市内のぶらぶら歩きに方針を変更していました。15分の待ち時間は結構長く、客引氏の話に肯き、時々首を振りながら、聞いていました。氏いわくタクシーによる虎丘、寒山寺、留園他観光地4ヶ所プラス運河下りで2人合計280元。首を振っていると、それに13品の食事をつけると言い出し、黙っていると2人で200元でも良い。最終的には180元まで値段は下がりました。しかし客引きとの会話?は良く通じます。これは先方が何とか自分の話を伝えたい、又こちらの必要としている事を聞き出し自分の商売に結び付けたいとの意欲の結果だと思います。 |