編集子:ここに掲載したのは、昭和43年に中央大学法学部を卒業された倉田隆次さんから石井相談役に送られてきた手紙の全文です。偶然の機会に北京放送スタッフと知り合われ、公開番組録音の場に立ち会われました。その印象などを一時帰国中の2002年2月18日にお手紙でいただいたのです。
句読点を除き、原文のまま転載いたします。

<倉田隆次氏のプロフィール>
 中学を卒業後印刷会社に就職のかたわら、定時制高校で学ぶ。卒業後は自衛隊に入隊、同時に憧れだった本学法学部法律学科に入学。在学中に第二外国語として中国語を学ぶ。化粧品会社工場長を60歳で定年退職し、都銀の嘱託を65歳で再び定年退職するまで中国語とは無縁の生活を送る。3人のお子さんが独立した後、中国留学を思い立ち2001年9月、北京郵電大学に入学した。



石井秀之様

拝啓 突然お便りを差し上げる非礼をお許しください。
 昨年國際放送局の大スタジオで慌しくご挨拶を交わし、名刺を頂戴した者です。昨年11月の3日でしたからもう4ヵ月が過ぎています。留学中の身で結構多忙なためにこんなに遅くなり申し訳ありません。冬休みで一時帰国しています。また今月の27日には北京へ戻る予定です。当日は素晴らしい歌をお聞かせくださり本当に有り難うございました!!
  左から張国清日語部長、中央が倉田隆次さん、
  一人おいて相嶋あやみアナ(明海大中国語科卒)、
  北京放送の王エイエイアナ
  (写真提供:倉田隆次さん) 2001年11月3日
 小生白門43会の幹事の一員です。3月に発行される同窓会新聞に「北京で聞いた中央大学グリークラブの合唱」の題で拙文を投稿してあります。掲載予定です。
 局から我々日本人留学生10名が招待されたのは全く偶然だったのです。大学の計画した行事で北京郊外の西山八大処と言う山へピクニックに行った際、小生の前を歩く3人組が日本語を話していたため「どちらからお越しですか?」とたずねた所、それが張国清氏(日本語放送部長)だったのです。老人ばかり日本人が留学しているのは珍しい、その中に取材をさせて欲しいということでした。近くに来た時はお立ち寄り下さいと言われましたが、外交辞令と受け取っていましたら本当に招待され、訪問団長と拝顔できた次第です。
 あの日の録音は12月3日に北京でFM放送で放送されました。団長のご挨拶も流れていました。マイクロカセットレコーダーでダビングしました。音はかなりひどいものですがお送りしますのでご笑納くだされば幸いです。留学先で機器不足とテープもあり合せで恐縮です。
 小生の自己紹介代わりに同封原稿ご笑覧下されば幸いです。「学員時報」の4月号に採用される予定です。43会会長の大谷弁護士が小生のことを書いた紹介記事を編集部に持参したところ、本人に書いて貰え、と言うことになった様です。拙文でお恥ずかしい次第です。来年(編集者注:2003年)まで北京にいるつもりです。
 以上ご報告まで。ご紹介下さった王子運送の千葉紘弥様にもよろしくお伝えください。                
敬具
2002年2月18日
   千葉市の自宅にて 倉田隆次     



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