千載一遇
                                               2001年11月22日
                                ベース 松丸  清

 西暦2001年を振り返って後世の歴史家はどのような言葉で記述するであろうか、

 日本経済を始めとした世界経済の行き詰まり、アメリカを襲った同時多発テロ、テロ撲滅を掲げたアフガン攻撃、たんそ菌等を使用したテロの可能性、地球温暖化が象徴する環境問題、食料危機、南北格差、等等枚挙にいとまのないほど地球上の人類にとって多くの難問が噴出している。まさに私たちは混沌としたカオスの中にいるようであり、西欧をリーダーとして成り立っていた文明の終焉を予見する事もできよう。

  この度白門グリークラブの一員として北京放送局での公開演奏を主目的として上海・蘇州まで足を伸ばした一大イベントに参加できたのも私にとってはそれこそ千載一遇のチャンスであったと思っている。中国は前々からあこがれの国であったが、このような物騒な時期に単独では行く気はしなかったでしょう、hakumonにいたから行けたのです。また定年後三年目の私にとって軍資金の調達には、いささか考えさせられましたが、たまたま義理で入っていた留め置きの生命保険(へそくり)に気づきそれで何とか間に合わせた次第  もうへそくりはありません。まさに千載一遇のチャンスでありました。

  さて肝心の旅行記に入ろうと思いますが、前置きが長くなりましたので800字程度で宜しいという幹事氏のありがたいお言葉に甘えてほんの少しだけ書かせて頂きます。本当をいうと今回の旅行の印象は私にとってたいへん大きな物であり、胸の中にそっとしまっておき、ゆっくりと楽しみたい所なのですが。

 四大古代文明の一つである黄河文明、そして最近の考古学発見によると長江(揚子江)流域にも黄河に匹敵する文明圏が存在したとつたえられているとおり、中国は五千年以上の長い歴史を育んできた大地であり、文明の原点であります。そして私たちの日本の伝統文化の多くに中国よりもたらされた物があり、明治以降西洋文化が移入される以前はすべての文化が中国あるいは、朝鮮経由で伝えられたということは教科書にあるとおりです。

 ところが、所がです、今の中国は、北京は上海は数千年の伝統文化を脱ぎ捨て近代化の名の下に急激に西洋化しているのです。止めてくれ、スピードをゆるめて欲しいと思わず叫びたくなるのは私だけではなかったはずです。それほど都市部の外観のみ見た上では近代化が急速に進んだいるように思われました。ましてや前回・前々回にも行かれたメンバー諸氏は強烈な印象を持たれたと伺っています。

 アメリカ・日本・西欧諸国という反面教師がいるのですから、どうか長い歴史に育まれた人類の貴重な文化を大切に残しつつ発展して行って欲しいものです。交差点での自動車・リヤカー・自転車・人のせめぎあいの光景は随所で見られましたが、まさに旧文化と近代化との折り合いをうまくつけているなあと妙に感心したものです。

 食べ物に付いては、上海での激辛の昼食がありましたが、全般においしく食べることが出来ました。中国で飲む中国茶は、入れ方が上手なのかどこもおいしく飲めました。またお酒は、蘇州で昼食時に頂いた地酒三鞭酒(さんべんじゃお)は殊のほかおいしく、これを一本買い求めて来なかったのを悔やまれてなりません。

 盛りだくさんの観光名所をたずねましたが、どこに行っても日本人はおり、それよりも中国の老若男女の観光客の多いのには驚かされ、中には女性兵士を交えた若い兵士の団体旅行には微笑ましいものを感じました。そして何処へ行っても中国の人々の落ち着いたバイタリティを感じたものです。

 制限字数が近づいてきましたので、印象に残る観光地を記録にとどめ、まとめと致します。

 11月2日 北京市内観光 故宮、天安門広場
 11月3日 北京郊外 万里の長城(八達嶺)  
 11月4日 上海市内観光 豫園・上海博物館(景徳鎮の焼き物には圧倒された)
        夜の雑技団の公演
 11月5日 蘇州観光  シルク博物館・虎丘・寒山寺・留園(蘇州は機会があれば、もう一度行きたい)

 万里の長城で出会った人民解放軍の女性兵士。制服
 姿が初々しく、きりりとした笑顔が明るかった。筆者撮影

 結局訪れた所すべてが印象に残り、老いた者にとってかけがえのない心の糧となり、孫子の代までも伝えて行きたい(ちと大袈裟かな)と思っている次第である。

 終わりになりましたが、北京放送での公開演奏では一メンバーとしての責任を果たし、そして旅行全般を恙なく終えて我家へ帰りつくことが出来たのも、石井団長はじめ依田・宮本・丸亀諸氏による実行委員の皆様、そしてメンバー全員と随行ご家族の皆様、大庭直子さん、一宿一飯ではなく四宿四飯も同室でありましたM君、皆々様お疲れ様でした。そして本当にお世話になりました。ありがとうございました。




北京放送局公開放送に出演して

 北京放送開局60周年記念に招かれた白門グリークラブの一員として公開スタジオの舞台に立っていた。11月3日午後のことであった。北京放送については陳真さんの「柳じょ降る北京より---マイクとともに歩んだ半世紀」を読ませて頂いていたので、日本の放送局との交流や新中国誕生とともに歩んできた北京放送、特に日本語放送の状況についてはある程度の予備知識は持っているつもりでいた。また前回、前々回行かれたメンバーの数々のこぼれ話もきいていた。

 実際に北京放送局の新局舎を仰ぎ見たとき、その威厳のある近代的なタワービルに度肝を抜かれた。私は今、中華人民共和国の情報中枢の中に入ろうとしているのだと、改めて北京へやってきたことを実感し、いささか緊張したものだ。そしてうら若き女性アナウンサー、王小燕さんの巧みな司会進行で番組は収録されていった。(左写真)

 それなりの練習を重ねてはきたものの、いささか不安であった私たちの演奏も来場の300名を超えるリスナーの熱気に助けられてか、最高に近い状態で歌い終える事が出来ました。また演奏の合間には、くじ引きによる賞品の進呈や質擬応答など交換風景なども有り日中親善の役割も十分に果たせた事と思われました。私も図らずもくじ引きで中国伝統の硯を頂きよいお土産、いや、家宝が出来ました。大切にして、書道など始めてみようかと思います。

 夕刻には場所を改めて歓迎夕食会に招待され、お互いに胸襟を開いて大変楽しく有意義な時間をすごすことが出来ました。前回・前々回にも来られたメンバーは本当に旧交を温めるという様子で、大変うらやましく感じたものです。

 長年にわたって友好の絆を絶やすことなく守って来られた、石井秀之先輩を始めとする団員の皆さん、そして本当に暖かく迎えて下さった北京放送の関係者の皆さんに対しては、私たちにまたとないすばらしい時間を与えて下さったことに心から御礼申し上げます。ありがとうございました。

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