白門グリークラブ中国演奏旅行紀行

                                         ベース 中村真一(昭和44年卒)

1.行動履歴と感想

11月2日 成田集合 ANAにて北京入り 北京市内観光
 第一声、北京の変わり様にビックリ!
 私はこれまでに3回北京に行った経験があります。1、2回目は1976年、3回目は、1984年中国東北部の吉林へ向かう途中、列車に乗り換えるために空港から北京駅へ向かった時のこと。(もう17年以上も前なんだ・・・) 空港からの高速道路など無く、片側1車線の道路をブッ飛ばして北京駅に向かった。当時は一般道のため信号も多く、町の様子を見ながらのドライブでした。今では北京環状線も出来、道路網の整備も完成され、全く隔世の感! 
 大きく変わったことは自動車の増加と、これに反比例して自転車が減ったことだ。朝、出勤時間のあのおびただしい自転車の列、群れ。壮観であった。北京だけを見るとますます東京に近づいてしまった感がある。その分日本の地方都市と同じで何処へ行っても同じ町並みとなって、特色が無くなって行くようで複雑な気持ちだ。表向きの景色と内情にはかなりの差が有るとは思うが。
(右写真は故宮博物院での中村さんと冨美枝夫人)


11月3日 午前 万里の長城 午後 北京放送局にて演奏会 
      夜 北京放送主催による歓迎夕食会

 万里の長城はスゴイ!何度見てもすごい。
 トイレがきれいになっていてよかった。(ほっ) 25年前はすごかった!!当時は万里の長城よりもこちらの印象が強すぎた。
 [演奏会]
 どのような形の演奏会になるのか若干心配であったが、公開録音と言う我々も経験のない楽しい演奏会になったと思う。王小燕女史のあの早口の日本語も楽しかったし、やはり本番に強い白門としては観客の前で緊張感を持って歌えることの楽しさ、本当に北京放送の方々に感謝、感謝! 「謝謝!謝謝!」
 また、リスナーたちの若さにも驚きだった。日本語放送と言う特殊性かもしれないが、歌う我々の方にも戸惑いが有ったのではないかな? こんなに多くの若者たちの前で歌うなんてなかったもの。最後の大きな拍手、別れ際に手を振ってくれた若者たちを見て「来て良かった!」と実感。
(市の西側にある北京放送スタジオには満員のリスナーが)

11月4日 午前 中国東方航空にて上海へ移動 午後 上海市内観光 夜 中国雑伎団
  テレビ塔や88階建てのビルを見ているとここは中国ではないと錯覚しそう。デザイン的には感心できない(私には、だが) テレビ塔ではあるが、あれを作ってしまうバイタリティのあるのが今の中国だろう。この勢いが羨ましい。
 雑伎団の軟体動物的柔軟さ、抜群のバランス感覚、オリンピックに出れば金メダル間違いなし的跳躍力のすごさに驚かされ楽しめた。が、最終演目のオートバイの曲芸には肝を冷やした。5m程の球形状の金網の中を最後は4台のオートバイが走り回る様はこちらが冷や汗をかいてしまう程で圧巻であった。
(写真は上海到着後の昼食)

11月5日 蘇州観光  夜 和平飯店にて打ち上げ宴会
 蘇州は日本の奈良、京都と同じで古き良き物が多い所のようだ。
 寒山寺の石碑は懐かしい。初めて北京に来た25年前に友誼商店にて買った拓本を思い出し、帰宅後引っぱり出して飾って見た。実物には劣るが等身大の拓本(当たり前!)を間近に見るとまた圧巻である。いまさらだが家の宝にしよう。

和平飯店での打ち上げ会
 上海で最も有名な和平飯店で食事が出来るとは感激!廊下に飾られた写真を見ても世界中の著名な方々が来られている。中華料理にいささか参っている我々へのとどめの一発だった。でも、幹事さんの粋な計らいで、誕生日、結婚記念日を迎えた方々の紹介はなかなか良い趣向であった。
 誕生日紹介の中で同期である高山宏の、「自分は2才の時に中国からの最終引き揚げ船にかろうじて間に合って帰国出来た。オリンピック青少年センターでの白門合宿の時、たまたま中国残留孤児の面接を見る機会があったが、もしかしたら自分も調査される側に座っていたかもしれないと思うと、今、自分が日本語をしゃべっていられる事を幸せと思うと共に、白門グリーの皆さんとこうして中国に来られたことを本当に感謝したい」、とのスピーチには皆目頭を熱くさせられた。 
(写真:和平飯店 石井相談役を中心に全員集合)

11月6日日 上海より成田へ
 楽しかった演奏旅行も終わってしまった。また明日から仕事ダ!

2.中国演奏旅行全般の印象
1)演奏会も楽しく出来、成功であったと思う。
 また、北京放送による歓迎夕食会では日語部の皆さんもうち解けて楽しい宴でした。日語部の方々のカラオケも上手であった。
2)40名の団体としては良くまとまっていたように思います。
 互いに気心知れた仲間で、誰をマーク(?)すれば良いか解っていたし、皆も気を付けていたからかな? 添乗員さんも大助かり!また、大庭さんや夫婦同伴が10組もいて、やはり女性が多いことも要因の一つか?
3)観光地は昔に比べ良く整備され概ね良かった。
 女性のトイレではドアの鍵が全て壊れていて、ゆっくり用足しも出来ない所もあったようだが。
 また、物売りの多さにはビックリした。共産主義の徹底していた昔は呼びつけなければ来なかったのに、いまではしつこく、かみさんがちょっと関心を示すとその後付きまとわれて気味悪がっていた。 
4)ホテルのウェイトレスもそうだったが、女の子の愛想の無さが気になった。1回頼んだ位では聞き流され、語気を荒げる口調でやっとやってくれる。得体の知れない微笑みを浮かべる日本人と余りに対照的であった。(これは男だけか?)

3.最後に
 今回の演奏旅行が無事終了出来たのは石井中国演奏旅行団長、依田実行委員長、丸亀実行委員、宮本実行委員兼添乗員兼司会(?)の皆様の努力の賜と考えています。 謝謝!謝謝! 辛苦了。(お疲れさまでした。)

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