感謝の北京演奏旅行記

                   セカンドテナー(昭和44年卒) 高山 宏

 白門グリークラブで中国北京への演奏旅行が正式決定し、私はこの年になって胸の高鳴りを覚えていました。以前から自分の生まれた国、中国の大地を一度この足で踏みしめてみたい・・・・・・ そんなまだ見ぬ大地への強い思いが自分の心を強く支配していたからでした。それは仕事との関係もあり、個人的に行くとしても会社をリタイアした後に、と描いていた夢の世界でした。写真や映像では何度となく触れていましたが、中国の大地を目の当たりにするのは物心ついてからは初めてのことです。

 夢が現実となり、白門グリークラブの一員として北京空港へ第一歩をしっかりと踏みしめた時、言いようのない感慨を覚え、感無量の心境でした。参加して本当によかった、と思いました。初日から最終日にいたる4泊5日は自分にとってすべて新鮮なものに映り心に残りました。

 
 北京に到着した11月2日夕刻、天安門広場で団員達と(中央が筆者)
第2日目の11月3日、王小燕さん司会の流暢な日本語と同時自己通訳で進行する北京放送局での公開録音番組も、我々の歌を挟んで楽しい抽選コーナーあり、中国ソングコーナーあり、視聴者と一体になった楽しいイベント会場でともに楽しむことが出来、強く印象に残った演奏会でした。またその日の歓迎夕食会も初めての経験でしたが、いろいろとお世話になった北京放送の関係者の方々と和やかに交歓が出来、まさしくスポーツそして文化の交流に国境はないことを、そしてそこにはなんの理屈もいらないことを身をもって実感することが出来、嬉しい体験でした。

 北京(故宮、万里の長城)、蘇州(虎丘、寒山寺、大運河)、上海(博物館、雑技団、夜景)・・・・それぞれの観光もとても心に残りました。その中で北京市内から万里の長城へ向かう或いは上海から蘇州へ向かう時の車窓から見るどこまでも変わらない景観は中国の広大さを証明するのに余りあるものでした。

 そして最終日前夜、演奏旅行打ち上げ夕食会時に図らずも11月生まれの私はじめ団員に思いもかけない温かい気配りをいただいた上にスピーチの機会をいただき、感謝の気持ちで一杯でした。父や母から仕事(南満州鉄道)の関係で戦時中に満州へ渡った話、自分はその満州で生を受け、赤ん坊の時に終戦となりやっとの思いで引揚船に乗ることが出来、紙一重で残留孤児にならずに済んだ話、そしてそれ以来中国への思いが何故かことさら強くなり、山崎豊子の「大地の子」を夢中になって読みNHKテレビのドラマ放映にも触れ、いま紛れもなく現実に生まれた中国の広大な大地を目の当たりにした、そんな感慨と思いが交互に幾重にも重なり、つい感極まって皆さんの前で醜態を見せてしまいました。恥ずかしい限りです。

 自分にとって中国への思いは正直言葉には尽くせないくらいにこみ上げてくる強いものがありました。前述のことは私の小さな一個人の出来事に過ぎませんが、歴史の波に翻弄されなければならなかった背景を考える時に、その一方で中国に対して日本が行った歴史の事実認識のことを思うと申し訳ない気持ちが自分の心を支配して気持ちが滅入りますが、このことに関してはここでは触れないことでご容赦いただきたいと思います。

 同時に母校中央大学グリークラブで4年間頑張ることが出来たからこそ現在があることを思い、そんな素晴らしい先輩、同輩、後輩の仲間の方たちと一緒にいられることが出来て、この上なくありがたく幸福な事だ、とつくづく思いました。いまも中国から残留孤児の方が肉親、兄弟を探しに来日されていますが、自分はそれを思えば何一つ贅沢なことはいえません。いまの全てがありがたいとも思いを強くしています。

 ここに改めて白門グリークラブに関係する全ての方々に心から感謝の意を表したいと思います。また出発から帰国にいたるまでのすべてにご尽力いただいた実行委員の方々に心からの御礼を申し上げます。少し視点と角度がずれてしまい、脱線した旅行記となってしまいましたがご容赦をいただき、結びとさせていただきます。素晴らしい感動の北京演奏旅行をありがとうございました。(右写真:11月4日、蘇州の虎丘にて野口五郎さんと)
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