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Who's who? 団員・団友紳士録
2012年2月15日現在


 オーケストラで言えば、第一バイオリン。メロディを歌うことが多いので特に調律が大事だが、時折り緩んだ弦が交じることあり。ステージ上ではソロで目立つため、他のパートからは羨望の的。IT革命度では中進国レベル。
高木 辰夫
Tatsuo Takagi
中年女性の官能を痺れさせる甘いリリック・テナーで、カラオケの帝王でもある。九州の大分県出身だが、野暮ったさを感じさせない紳士。2000年には創立40周年記念第12回演奏会実行委員長。団員指揮者で団内文芸誌「来ぶらり庵」を主宰。神奈川県。
藤澤 賢二
Kenji Fujisawa
勇躍北海道から東京に進学。己に高いカリスマ性を求めて刻苦40年。独特の音楽観を持つ筆頭格の古参団員で副指揮者、なかなか正指揮者の座が転がり込んでこないが、巧みな編曲も手がける。細君に隠れて吸うショートピースの愛煙家で日本酒好き。倒産の危機を繰り返す医療機器販売一筋の会社役員。神奈川県。
立山 誉人
Takahito Tateyama
清貧な文学者の風貌で周囲に安心感を与える。「紳士」という言葉は、この人のためにあるようなもの。1999年に嫁がせた愛娘が初孫を2001年6月に出産し、最近は笑顔が絶えない。老人福祉事業に意欲を燃やす。第14回演奏会では広告取りに奔走して、黒字の立役者に。2005年にセカンドテナーから移籍。東京都。
海外 義次
Yoshitsugu Kaigai
音程はともかくとして、声は十分に大きい。譜面にはfとff、それにfffしかないと思っているのではないか。カメラから最近は動画に転向するが、これがシングル8という遺物。2003年に命運尽きて大手生保会社を定年退職。「練習がんばります」と宣言。2003年からネットも始めた。さる合唱団の指揮者も務めている、との噂もある。千葉県。
中嶋  敦
Atsushi Nakajima
某著名宝飾品会社役員を務めた。端正な銀髪と高級スーツで理想的な初老男声のイメージを誇る。奥方と揃って大のゴルフ愛好家でしばしば地方に足をのばす。そのゴルフと「最上川舟歌」のソロが、老後の生きがいである。2003年から2年間、副団長。2011年冬にアキレス腱を断裂したが、完治。神奈川県。
吉野 守良
Moriyoshi Yoshino
卒業後は都内のさる大型男声合唱団に入団。多田作品になると当団練習に参加するゲリラ活動を繰り返し、実はスパイではないかとの嫌疑も掛けられる。その合唱団の役員もあえなく任期切れで白門への復帰を断る理由がなくなり、査問を経て2007年4月から再入団を果たした期待のトップテナーである。
桜井 正夫
Masao Sakurai
美声のエンジニア。大飯食らいの大酒飲みで居酒屋ではなかなか腰を上げない。カミサンは都立病院のベテラン看護婦長、健康管理のおかげで肥満も減少傾向、かと思うと大幅なリバウンドの繰り返し。2006年春からの減量はどうやら本物らしい。最近まで風呂も一緒に入っていたほど溺愛する一人娘は2010年に結婚しイタリアに。東京都。


 オーケストラで言えば、ビオラ。メロディを歌うことはほとんどなし。つまり目立たないことを好む連中の集まりでもあり、地味な役割を淡々とこなす。自称人格者、穏健な紳士が最も多い美声集団。IT革命では中進国レベル。
西山 和夫
Kazuo Nishiyama
学生時代はバリトン。風貌と美声とが全く一致しない稀な人材である。初めて入った料理店でもあの顔で一言怒鳴ると、数分で酒と料理が卓に並ぶ。今や「大島節」と「出船」のソロは伝説的なまでの名演である。もっぱら千葉県在住団員数名のアッシーくんを勤めている。出席率抜群。辞めるに辞められない会社役員。千葉県。
矢沢 由行
Yoshiyuki Yazawa
昭和35年卒業で当団創立メンバーの一人。行事や演奏会の度に姿を見せていたが2002年の納会で「今やらないでどうするんだ」と同期の高木辰夫さんに説得されて一念発起、2003年1月から再び活動に参加した。会社では税務と経理の専門家。2011年の演奏会実行委員でその才能を発揮した。東京都。
志田 雄司
Yuji Shida
再入団は1998年と浅いが、押しだしのよさであっという間にテナー部屋の牢名主に就任。練習出席率は抜群の成績で、最近は牢名主から模範囚に昇進。2002年の第13回演奏会実行委員長では指導力を遺憾なく発揮し成功に導いた。萩原さんの心の友として、一生をささげる、と悲壮な決意の持ち主である。埼玉県。
依田 安弘
Yasuhiro Yoda
2000年12月に当団の第2代団長に就任。TV局勤務で、音楽著作権では日本有数の専門家。カメラマニアで良識派の代表。いったん定年となったがそのまま会社に居座る傍ら、各地の講演会で活躍したが2003年6月退職し、細君と故郷の信州・佐久に永住。同年10月に初孫が誕生した。2005年に団長を退任し、一団員に戻る。長野県。
米澤 博文
Hirofumi Yonezawa
創業100年になる信州の名門醸造会社社長として、生地の長野県中川村では財界の巨頭である。日曜練習と合宿には必ず参加。夏と年末になると自社製銘酒のカタログ販売に勤しむ。囲碁では努力に拘わらず、未だにB級リーグの域を脱しない。2007年、中川村コンサート現地対策委員長。千葉県。
酒井 安幸
Yasuyuki Sakai
新団員獲得プロジェクトの成果第2号で05年秋の入団。信州は安曇野の生まれ。3年次に学生指揮者を務めた本格的実力派で、層の薄いセカンドテナーに厚みを加えることが期待される。都内の金融機関を退職、多忙で叶わなかった合唱への思いを40年ぶりに実現した。娘ばかり3人の父親で脛は今後も細る一方。埼玉県
塩田 勝彦
Katsuhiko Shioda
他団と二股で超多忙。静かな時は駄洒落を考えている。化学メーカーをめでたく定年。細君から「もっと働きなさい」と言われてマンション管理会社に就職し、入居者からは絶大の信頼を得ている。2003年2月に副団長就任。2004年秋に埼玉から都内に転居して36年ぶりに都民となる。2007年演奏会実行委員長。2009年にOB会会長就任。東京都。
高山 宏
Hirosih Takayama
特急で練習に通う努力の人。温厚な人柄に全団員が感服。若くして結婚した妻との旅行が楽しみ。同期の塩田氏が近くに転勤して来たがわずか1年で帰任して残念がる。旧満州の生まれで中国演奏旅行では感動の大地を踏む。2005年春、メーカーを定年退職し、人柄を見込まれて再就職。2008年に愛娘を嫁がせ、2児の祖父に。茨城県。
野口 五郎
Goro Noguchi
往年の男性アイドル歌手と同じ名前。勤務していた銀行が合併の嵐に。揉まれて堪え忍びながら、という生活をさっぱりと捨てて50才からのプータローになり再出発を決意。数年後に福祉士・介護士の資格を取る。2006年6月から活動に復帰。白門グリーには極めて珍しい心優しく控えめな人柄で信頼が厚い。 東京都。


 オーケストラで言えば、チェロ。ただし高音も出なければ低音発声にも難あり、という点では2弦のチェロか。メロディを歌うことは金でも払わないと皆無に近い地味なパート。「合唱界のお荷物」と謙遜する団員が多い。IT革命では開発途上国レベル。
清水 軍治
Gunji Shimizu
創団時からの長老でご意見番。自称日本有数のアコーディオン奏者。夫人とゴールデンウィーク、年末に辺境中心の海外旅行を楽しむ。地元港区でで大正時代から続いた紙問屋業を2003年3月に廃業。いったん港区音楽連盟顧問に退くも2004年5月に会長に復帰。都や国からの顕彰数知れず。東京都。
井上 博之
Hiroyuki Inoue
広島県尾道出身。長い顔なので、愛称はウマさん。銀髪の長老で、普段の口数は少ないが、バリトンの大黒柱。知られざる社交ダンスの名手で、変わらぬそのスマートな体形はダンスと毎朝の散歩のおかげか。駅前に出来たショッピングセンターの賑わいを自慢。練習の緊張が緩むと時折り喝を入れる。神奈川県。
萩原 利治
Toshiharu Hagiwara
地元音楽ホールの評議員が退職後の唯一の肩書き。外人、特に外国婦人と見ると近づいて、怪しげな英語マガイを駆使する団随一のコクサイ派。真夏でも長袖の下着愛用、練習場では小さなハンカチで全身をふきまくる。中国演奏旅行では、事前に2日間で覚えたと称する北京語が上海で通じなかったと訝る。練習出席は抜群。埼玉県。
紺野 勝弘
Katsuhiro Konnno
これまで何回も演奏会をステージの裏方として支援してくれていたが、「もう年季奉公明けだから、正団員になれ」との要望が強く、ついに2009年に入団した新人である。大柄だが、酒は下戸。カメラの腕前は確かで個展も開く。練習後の懇親会では支払い面での支援役である。2011年の演奏会では実行委員。千葉県。
千葉 紘弥
Koya Chiba
運送会社の監査役。会社が辞めさせてくれない逸材。1995年までベースだったが、手薄なバリトンに移籍。深みと艶のある美声は、独唱者として演奏会に欠かせない実力派である。1999年6月にホールインワンを記録し、大散財の憂き目も。2005年2月の第14回演奏会実行委員長を務め大成功に導く。同年に第3代団長に就任。埼玉県。
江畑 忠夫
Tadao Ebata
小柄ながら、長年務めた製材業界で鍛えた基礎体力と、きっぷの良さは団でも出色の存在。めったなことでは欠席しない練習では、いつも最前列で譜面を読み、暗譜も早い努力家。2002年春に腰を痛めたが、放置したまま完治。2005年の第14回演奏会実行委員。2005年2月に副団長に就任。千葉県。
片野 宏久
Hirohisa Katano
2011年6月に入団した新人(古人か)。6月19日に開催された中大グリーOB会総会に出席したところ、団員たちから矢のような入団勧誘に遭い、意を決して45年ぶりに合唱の世界に復帰する。学生時代は会計幹事を任されたほどの堅物と自称する。最近ベースからバリトンに移籍し、期待を集める。神奈川県。
熊木 宏儔
Koji Kumaki
練習出席律は抜群。美声と音程の正確さに加えて、腹周りを気にしない豪放磊落な人柄は全員尊敬の的。地元で運送業を営む。団でも並はずれた酒豪で、ここ10年近くの番付では東の正横綱。2004年春に江畑夫妻とハワイへ初の海外旅行。2005年2月には愛娘を嫁がせた。神奈川県。
城所 英嘉
Hideyoshi Kidokoro
規制緩和と統合の波に洗われる損保マン。定年を迎えたが、まだ会社に居座る。ゴルフ歴20年余りながら、ついぞスコアの自慢を聞いたことがないのは、実力のせいか、はたまた控えめな性格のせいか。悪童の多い中大付属高校出身には珍しい紳士。2003年2月から4年間副団長と会計担当代表幹事を兼務。東京都。


 吹奏楽で言えばチューバか、ユーフォニウム。メロディを歌うことはほとんどないが、パンツの紐のようなもので「これがないと締まらない」。控えめな団員と、目立つことを好む連中が混在する集まりでもある。IT革命では最先進国レベル。
石井 秀之
Hideyuki Ishii
母校の理事時代は事務局長、就職部長を兼務し、就職協定では大手企業人事担当者と渉りあったタフさを誇り、しばしばTV、新聞などマスコミにも登場。対抗馬がいないせいで団長を40年務めたが、2000年に職を辞し相談役に退いた。しかし今なお隠然とした実力を及ぼし続ける「白門グリーの闇将軍」。2010年夏に傘寿を迎えた。東京都。
松丸   清
Kiyoshi Matsumaru
誰もが認める、まさしく当団随一の紳士。声量のある素晴らしいソリストでもある。陶器に惚れ、ついには苦心のうえ自前のユニークなホームページを立ち上げた努力の人。「でも商売にはなっていないなあ」とは正直な感想。1999年1月に定年退職してからは、さらに練習の虫。却って若返ったとの声あり。千葉県。
小松 秀洋
Hidehiro Komatsu
定年後、外では数十年ぶりに再開した男声合唱と、家では好きな囲碁を打つ毎日と、たまの団員同士のシングル級のゴルフが楽しみ。湘南の住まいから毎週欠かさず定時練習に参加、敬服の一語につきる。2000年からインターネットを始める。「湘南老(ろう)イ」と自称する。神奈川県。
飯田 昌男
Masao Iida
2002年秋に練習会場に顔を見せ、2003年1月に入団。初練習で手に取った楽譜は卒業以来40年ぶり、しかもいきなり全く馴染みのないレクイエム。戸惑いながらも「これからが楽しみだ」と意欲満々、第14回演奏会では見事に歌いきった。同期生によると学生時代の艶聞数知れぬとか。埼玉県。2011年の第17回演奏会実行委員長。
七戸 良雄
Yoshio Shichinohe
2012年2月、昭和39年卒同期の飯田氏に誘われて入団。洋光台男声合唱団などで16年以上も活動した実力派である。合唱団活動の他、同人誌でも健筆を振るう文人でもあり、小説も著している。大手企業では海外業務の責任者であったため、英語・スペイン語ペラペラ。某自称英語通団員M君の心胆を寒からしめている。神奈川県。
中村 真一
Shinichi Nakamura
電機エンジニア。納品先の苦情処理では自ら地方、海外まで出張する。買い換えた愛車アコードで妻と遠出して楽しむ渓流釣りと草野球の虫。カメラを縦にしないと入らない程の面長。2女は既に結婚、孫も女ばかり5人という女系家族で肩身が狭い。2008年に定年を迎えたが会社から慰留されて続勤。顎鬚を蓄え始めた。東京都。
星 智明
Tomoaki Hoshi
2005年の新団員獲得プロジェクトの成果第一号。したがって当団でも新しい団員の栄に浴している。HP管理人が一年生時の三年生でベースのパートリーダーという実力派。練習では現在パートリーダーである小川勝久さんの隣席という災難に見舞われ、団員の同情を集めている。都内の金融機関を2009年に定年退職。埼玉県。
坂田 信一
Shinichi Sakata
都市銀行から2000年秋に都内の不動産会社へ出向を命ぜられ、「これからは練習にも出られる」とは折り返し点の安堵か 。学生時代に団の部長を務めた人望は、下腹の皮下脂肪と同じ位に厚い。2003年秋にご子息が司法試験に合格し弁護士の道を歩み始めて、一安心。2年間の休部後に完全定年で2010年秋に復帰。千葉県。
辰巳 則夫
Norio Tatsumi
1999年秋に転勤で金沢市から単身で東京に舞い戻り、すぐに入団した若手。学生時代は部長として、大学紛争中に12名まで激減した団員の中心となり活動を支えた。顔は長く、縄文人の面影が濃い。IT関係の会社では営業管理職。当団の総務マネジャー。無類の家族思いで、実家は石川県。当然、酒豪である。東京都。
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故人と団友休団中の団員
  長期休団中、あるいは過去に2年以上所属して活動した団員たち。全員を網羅してはいない。
  人物評は在団当時のもの。
写真なし
波江野 淳(故人)
Sunao Haeno

ベース
長く団員として活動し、音響機器販売や中大出身財界人の集まりである南甲倶楽部(神田駿河台・大学記念館内)スタッフとしても活躍するが、音楽観の違いを理由に惜しくも退団。2007年に逝去する。埼玉県。
柴田 鉄義(故人)
Tetsuyoshi Shibata

ベース
若い頃から長年鍛えた社交ダンスの名手で、地元の教室でも師範格とは本人の弁。練習、合宿の出席率も抜群の優等生。長年勤めた金融界から足を洗って、夫人と二人で悠々自適の生活を送る。皮膚の下がすぐ骨のため、真夏でも長袖の下着と上着を欠かさないという異常なほどの寒がり屋。東京都。07年退団。08年惜しまれつつ逝去。
岩井 利彰(故人)
Toshiaki Iwai
バリトン
大学時代はグリークラブ部長を務める。無類のアウトドア派で、2000年春には勤務した某大企業の営業部長を辞し、長年愛してきた菅平で細君とペンション経営に乗り出そうと準備中の同年夏に病に倒れた。細君の看護と本人の気力で前向きにリハビリに励み 回復が待たれたが、2001年6月5日に他界。東京都。
里見 圭介(団友)
Keisuke Satomi

セカンドテナー
学生時代から博学良識派。有職故実、故事来歴に明るい当団の図書館長で短歌、俳句でも師範格。健康上の理由で99年6月から残念ながら当面休部。しかし時折り、くまもとやに現れて後輩たちと懐かしい会話を楽しむ。神奈川県。
加藤 政章(団友)
Masaaki Kato

バリトン
創立メンバーで長老の一人。1991年に惜しくも病に倒れ、長期休部中。リハビリをしながらの復帰が待たれる。99年7月には次男でグリーメンの信彦君が結婚し、嬉しさもひとしお。演奏会には、学生時代に合宿先の長野県岡谷市で知り合った奥方と来場。2002年3月には愛娘を嫁がせた。東京都。
高木 繁雄
Shigeo Takagi
バリトン
創立メンバーの一人で13年前に復帰。物腰おだやかで、口数少なく表情柔らかなインテリ(風)の長身紳士。練習出席率は、全団員中ダントツの優等生。第12回演奏会実行委員。2002年に、熊も出るという山奥から少し都会に近いところに転居。団創成期の写真、記録の保存でも知られ、当サイトの顧問格。現在休団中。東京都。
野中  忍(団友)
Shinobu Nonaka
トップテナー
当団の風紀委員長として周囲に睨みをきかす。練習中の端正な姿勢は全団員の手本である。最近は好んで着るソフト・ジーンズが妙に似合うようになってきた。横浜、東京と2つの男声合唱団でも歌っている。2000年暮れからインターネットを始めた。2011年の新潟演奏旅行に参加。埼玉県。
小川 勝久
Katsuhisa Ogawa
鎌倉高校では相撲部主将として活躍(成績不詳)という団随一の巨漢。囲碁とゴルフ好き。女性の審美眼に掛けては一流、と自負する。2001年夏に腰の大手術をしたが無事復帰。2003年には地元男声合唱団の指揮者としてデビュー。8年務めた中大グリーOB会会長を2009年に辞す。腰痛で2011年6月から休団。神奈川県。
松田  実(団友)
Minoru Matsuda
バリトン
卒業後は大手不動産会社に就職。その後に様々な職を経験したが、不動産業が一番性に合ったようである。親の介護のために生地の京都府に妻と移るも丸亀君らの参画するChor '99に参加し、送られてくるテープで自習するなどの通信教育で演奏会に出演する努力家。故郷で引揚者の苦労を伝える語り部に。京都府。
岡部 裕章(団友)
Hiroaki Okabe

ベース
一時病に倒れたがすぐに復帰。大手有名書店の総務課長を2001年暮れに辞し、一転パン職人を目指して2002年春から製菓学校に入学。2003年春に一人前の職人に。都心の有名百貨店内の店から転じて中野区内の店で腕を奮い、大繁盛とか。彼のいないベースは考えられないほど。東京都。
大蔵  純(団友)
Ohkura Jun
セカンドテナー
さる銀行の監査役まで上り詰め、退任後は大手IT企業の監査役を務める。学生時代の学業成績は優ばかりの模範団員。現在はOB会傘下のChor '99で歌う。決して怒らず、いつも沈着冷静な姿勢と態度は秀逸である。ものぐさの多いOB会では事務局長を務め実質的な大黒柱である。神奈川県。
丸亀 英雄(団友)
Hideo Marugame
ベース
2003年に中央大学グリークラブ監督就任。無類の行動派。面倒見のよさの反面、うむを言わせない剛腕で団の運営を取り仕切っていたが、現在休団してChor'99で活動中。熟女族の扱いにかけては人の追随を許さないマメさもある。趣味は濫読気味の読書、カミサンと一緒の都内の美術館めぐり。辛い物好きで痔の手術数回の猛者。東京都。
堤  浄司(団友)
Joji Tsutsumi
バリトン
昭和47年卒。機械専門商社に就職し、得意先の接待に明け暮れてぐんぐん太る。労組委員長も務めて将来の役員候補であったが、激務がたたり健康を損ねて無念の退社。現在はさる企業の総務マネジャーを務める傍ら、Chor '99に参加している。若い頃は石坂浩二を髣髴させる二枚目だった。東京都。
  宮本 康幸(団友)
Yasuyuki Miyamoto

ベース 
歌うことよりは、演奏会の司会を楽しみにする。自他共に認める目立ちたがり屋で、自称”白門のみのもんた”。17年間にパソコンを12台も買い換える程の入れ込みで、画像処理も巧み。その累積投資は高級国産車一台分にも相当。公式サイトの元管理人。2013年12月に退団。東京都。
小澤 達男
Tatsuo Ozawa
辰巳君の熱心な新団員勧誘の成果が上がり、2006年夏から活動に参加の若手団員。現役学生時代は学生指揮者を務めた実力者である。2007年4月の第15回演奏会が実は白門グリーの再デビュー舞台。練習に高級車で現れて先輩たちを驚かせている。谷村新司にそっくり。転勤で2009年に東京を離れ休団中。
松村 貴之
Takayuki Matsumura
現役学生時代に指揮者を経験。2002年卒後は新宿の大手不動産会社に入社、賃貸ビル運営業務に従事している最年少の団員。若手社員の常としてなかなか練習の時間が取れないが、職場の近かった管理人から時折り食事を奢られながら、はっぱを掛けられている。2005年5月に結婚、現在は2児の父親。休団中。東京都。
K尾 友美子
Yumiko Kuroo
過去に演奏会の度にお世話になる。箸が転んでも、と言うくらい笑い上戸。酒もかなり行ける。厳格なお父様の「どんなことがあっても22時まで」という帰宅門限が悩みの種。桐朋学園大ピアノ科卒。清水敬子、三浦浩、ビュイグ・ロジェ氏に師事。最近はアカペラの女声合唱団でソロも披露。神奈川県。  



 男ばかりの白門グリークラブでは珠玉のようなお嬢さん。


大庭 直子
Naoko Oba
1995年から定時練習練習、合宿、国内・海外演奏旅行には欠かさず参加、全団員が感謝する! まるで我らが一人娘のようである。 最近は団員の音程違いを見つけ、即座にやんわりと指摘するパートナー。武蔵野音楽大ピアノ科卒。同大助教授・竹内典子氏に師事。本職のピアノ演奏では師匠を驚かせる選曲をする。神奈川県

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