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最近のできごと
上にあるほど新しい情報です

2000年9月分

藤澤賢二氏郷里と石井団長を語る 
(2000年9月28日掲載)
副指揮者・藤澤賢二氏
苦笑する石井秀之団長
愛知へ帰る、と速水君
 集部では「団員の話題が偏っている。もっと広く取材せよ」という匿名の要望に応えて、編集長が9月26日の練習後に「くまもとや」で当団副指揮者である藤澤賢二氏(トップテナー)に取材を申し込みました。記事のタイトルは「オレにも言わせろ!」ということで・・・。

 北海道北見市の出身の氏は9月29日に北見に赴き、当日は出身校である道立北見柏陽高校同窓会(北見市内ホテル)、翌30日にはやはり出身校の北見市立東小学校同期会(温根湯温泉泊。5年に1回の開催)に出席します。北海道にはしばしば帰る氏にとっても高校の同窓会は初めての経験だそうで、「友人や先輩たちと会える楽しみはもちろんだけど、アキアジ(鮭のこと)、タマネギや長芋など秋の北海道の味覚が待ち遠しいな」

 草深い辺境の地、北見から中大に入学してからの東京の生活で一番驚かされたことは何ですかと聞いたところ、居合わせた他の団員から「通りを熊が歩いていないことだろ」、「列車が電気で走ることじゃないのか」、「いや、歩行者が靴を履いていること」など無責任なヨタが飛び、北海道をこよなく愛する藤
澤氏をムッとさせましたが、2本目の冷酒をあおり飲みして曰く「石井さん(現団長。当時中大職員でグリー監督)が痩せていて、恐い顔をしていたことだったな。ようやく口をきけたのは4年生になってからだった」 確かに当時の石井さんは、痩せて強面のイメージがあったことは団員の共通した思いのようです。石井団長ご本人からすると「極めて不本意・・・」とのこと。「藤澤があんなこというけど、昭和36年にはじめて行った北海道演奏旅行の函館で出た鮭の切り身が薄くてさ、向こうが透けて見えたくらいだよ」と変な八つ当たり。

 このあたりから、居合わせた団員達のご先祖様の出身地と家紋に話題が移りました。「平家の落ち武者でしょう、あの辺りは?」と水を向けられた長野県佐久出身の依田安弘氏(セカンドテナー)、「いや、依田姓はね、中世まで遡ると清和源氏なんだよ」。一同、シラーッ。香川県に同じ名の市がある丸亀英雄君(ベース)は「皆さん想像の通り、俺の先祖は丸亀水軍。つまり瀬戸内の海賊だな。家紋はね、短い槍がデザインされている。これはね、敵と交戦しても狭い船中で振り回せるように柄を短くしてあるのよ」と蘊蓄を傾ける。石川県金沢市出身の辰巳則夫君(ベース)は城下町の町名や番地の振り方、自らの名の由来など一くさり。さらに山梨出身の清水軍治氏(バリトン)、茨城出身の岩井利彰氏(同)、愛知・三河が先祖の地である中嶋敦氏(トップテナー)らが入り乱れて話に参入、彼岸も過ぎたばかりの秋の夜は先祖ネタで賑わったのであります。

 一方、久しぶりに練習に参加した速水健一郎君(トップテナー)は年内には昨年就職したばかりの会社を辞め、郷里の愛知に帰り、ひとまず人材派遣の会社に入ってアパレルか食品関係の仕事をしたい、と団員の前で爆弾発言。「東京を離れるのは残念だし、毎週の練習には参加できません。でも合宿には出てきますし、演奏会にも参加しますぅ」とケナゲな心情を吐露。最近涙腺が緩くなりはじめた団員たちを感動させました。


中大グリー定期演奏会合同曲練習日程 (2000年9月28日掲載)
 団50周年記念の演奏会には20名余りの白門グリークラブ団員が賛助出演しますが、このほどその合同練習日程が明らかになり、書面で団員に配られました。以下に転載します。

月光とピエロ』合同練習のお知らせ
 拝啓初秋の候、OBの皆様にはいよいよご健勝のこととお喜ぴ申し上げます。
さて、この度は私ども現役の演奏会への多数の参加、ご協力、誠にありがとうございました。 50周年にふさわしい演奏会を開けることを現役一同、心より喜んでおります。
練習日程に一つ変更がありますのでここに記させていただきます。時間を割いていただいた方には大変申し訳ありませんが、ここに慎んでお詫ぴ申し上げますとともに、以下に変更点を記しておきましたのでご参照願えればと思います。
これからも現役一同、力を合わせて演奏会の成功に向けて頑張りたいと思いますので、何卒ご指導ご鞭燵のほどよろしくお願い致します。

<日時と練習会場>
☆10月9日(祝)午後5時〜
 ※当初8日(日)の予定でしたが先生のご都合により急遽9日に変更となりました。
 中央大学理工学部校舎(地下鉄後楽園駅徒歩2分)6301教室
 (当目は現役学生が門のところに立っています)
☆11月5日(日)午後5時30分〜
 代々木八幡区民ホール(小田急線代々木八幡駅徒歩5分)
☆11月23目(祝)午後1時〜
 代々木八幡区民ホール
☆12月10日(日)午後1時〜※ゲネブロを行います
 代々木八幡区民ホール
楽譜につきましては当日受付にご用意してありますのでお持ちでない方はお声をおかけ下さい。
 
以上の担当者は、OB担当マネジャー 松村貴之君



学員会埼玉支部総会懇親会に出演 (2000年9月24日掲載)
 9月24日(日)午後3時から行われた中央大学学員会埼玉支部総会懇親会に出演しました。これは団員である志田さん(バリトン)が同支部会員であるためにお誘いがあったものです。会場の春日部・高砂殿には県下の会員約300名が集まり大盛況。石井団長はじめ団員30名がこれに参加し、ステージで校歌、応援歌に続き、ふるさと(磯部俶作曲)、いざ起て戦人、オーラ・リー(イギリス民謡)、サランヘ(韓国民謡)、帰ろかえろ(山田耕筰作曲)を演奏しました。

 懇親会では団員も招待され、萩原氏(バリトン)が埼玉の同窓生達と交換する様子があちこちで見られました。驚いたのは中央大学グリークラブ昭和44年卒の鈴木智氏(当団では塩田、中村氏らと同期)が団員のテーブルまで来られたことです。現役時代はトップテナーとして活躍し、今は埼玉県東松山市の幹部を務めています。また47年法学部卒の宮本氏(ベース)の同級生、吉田彰氏(埼玉県庁勤務)もテーブルに来てくれました。午後5時解散。藤澤氏(トップテナー)はじめ数名が春日部駅前で誘い合い、居残ったようです。



里見さん、岩井さんが久々に練習会場に (2000年9月20日掲載

退院した岩井さんと、久々の里見さん
島田君 河岸君 松村君 三宮君
 須賀に住む長老、里見圭介さん(セカンドテナー)と、入院生活を終え退院した岩井利彰さん(バリトン)が元気な姿を見せてくれたのは9月19日の練習日。この日は11月の演奏会で客演指揮をされる多田武彦先生との練習日でもありました。

 ようやく涼しい日が続くようになり、ひときわ大勢の団員と4人の現役学生たちが集まりました。もちろん練習曲は「藁科」。「はつ鮎」と「筍」の集中的な取り組みでした。繰り返し注意が多田先生から団員に飛びました。「そこは詩は無視して音を刻むんです!」、「ここはリズムを刻んで」、「最初の音はぽーんと出して後はたなびかせるように」、「声区の移動をやらないといけませんよ」、「唇は縦に開いて」などなど・・・。

 いつものことながら多田先生の練習は緊張の連続、終了後は「(さきごろ客演した)崇徳高校も通常練習では全くダメだった。それがゲネプロと本番では素晴らしい演奏をしてくれましたよ。白門もきっとそうでしょう」と慰められました。


 
さて、恒例「くまもとや」での懇親には里見さんと岩井さんが揃って参加。現役の島田龍之君(4年、セカンドテナー、東京)、河岸健介君(4年、同、学生指揮者、宮城)、松村貴之君(3年、ベース、群馬)、三宮大輔君(2年、セカンドテナー、大分)も若さに任せて大量に(?)飲み食いしてくれました。

 島田君は「多田作品は是非歌いたい、水のいのちも高校時代に混声でやっていたので大丈夫です」と第12回演奏会に正式参加を表明、実行委員長の高木さんから「演奏会負担金はなしでいいから、卒業後は白門に入ること」と条件が付けられました。指揮者の森田さんからも「島田君はT急行電鉄に就職内定しているし、首都圏以外の勤務はないだろうからきっと大丈夫!」とだめ押しが入りました。今年の演奏会も楽しみです


K尾さんのメル友公認第一号は章ちゃん (2000年9月18日掲載
 報(9月12日)の通り、ピアニストのK尾さんがメル友を募集中です。この記事を見て早速手を挙げたのが章ちゃんこと小山章三先生。HP管理者は白門の代表幹事1名(ただし管理人と同一人物)と審査委員会で協議したうえ、これを認めることとし、K尾さんと章ちゃんにその結果を通知しました。章ちゃんから最初のメールが届いたらしく、今日旅先の新潟県長岡市からHP管理人に喜びの連絡がありました。ただし彼女のマシンはPCでなくPDA(携帯端末機)なので写真は受信できません。「それでPCを持つ妹にバカにされたの・・・」というK尾さん、近々PCを購入する決心をしたとのことです。
 さて章ちゃんに続くのは誰でしょうか?


坂田さんが出向、「これからは練習にも出られるよ」 (2000年9月18日掲載

 手都市銀行に勤務している坂田信一さんがこの度、某不動産会社に出向することとなりました。昭和46年に入行以来、首都圏のいくつかの支店で活躍、1996年に本店に異動して以来、個人マーケット開拓の仕事に意欲的に打ち込んできました。こんどの会社の所在地は目黒区内。「渋谷は近いから、これからは練習にも出られるよ」と淡々と語っていました。

 人生の一区切りでしょうか、苦労を掛けている奥様と2人でかねてからの夢だった北海道を9月の25日からゆっくり旅することとなり、代表幹事の宮本さんの勤務先(旅行会社)に手配を依頼したところです。
 坂田さん、長い間ご苦労様(まだサラリーマン人生残ってますけどね)。久しぶりの練習参加を待っています。まだ11月の演奏会出演、間に合いますよ。


学員会杉並支部創立5周年行事に出演 (2000年9月17日掲載
 雨にたたられた3連休の最終日、9月17日に中央大学学員会杉並支部創立5周年記念「パネルディスカッションと音楽の集い」がセシオン杉並大ホールで開かれ、白門グリークラブが第3部のステージに出演しました。これは昨年9月26日の「章ちゃんと白門と皆様-小山章三男声合唱作品の午後-」にお出で頂いていた同支部幹事長の反後尭雄夫妻の発案によるものです。

 受付でいただいた当日のプログラムと練習していた演奏曲目や順序が異なることに気づき、大慌てでリハーサルをするという一幕がありましたが石井団長はじめ、団員27名が森田さんの指揮で校歌に続いてふるさと、最上川舟歌、オーラ・リー、大島節、サランヘ、斎太郎節を演奏しました。終了後は三階宴会場にて記念式典、記念パーティが開催され当団も招待されて乾杯の音頭に続いて応援歌を演奏しました。

 窓口役の伊東紘さん(バリトン)、お疲れ様でした。でも、曲目はきちんと打ち合わせしておきましょうね。それから、テナーソロの桜井くん、藤澤さん、高木さん、美声との評判でした。ただし桜井くん、最上川船歌の音程は正確に取りましょう。

定時練習にK尾友美子さん、10ヶ月ぶりに登場 (2000年9月12日掲載
依田さんのプレゼントに喜ぶ黒尾さん
 
 昨年の第3回現役学生ジョイントコンサ以来10ヶ月ぶりに、当団専属ピアニストのK尾友美子さんが練習に参加、「水のいのち」の伴奏をしてくれました。久々の参加とあっていつになく団員の集合が早いばかりでなく、椅子が足りなくなるのではと心配するほどの盛況。団員の期待に応えて変わらぬ巧みな演奏でもり立ててくれました。

 練習終了後は、彼女が伴奏者を務める混声合唱団「JAPAN CHORAL SOCIETY]演奏会のチケットがオークションにかけられ、あっというまに落札され彼女をいたく感激させました

 さらに当団専用ラウンジ「居酒屋くまもとや」にて、これまた久々に彼女を囲む懇親会を開催。「父が車で迎えに来るし、門限があるの」と困惑する彼女を肴に清談は夜の更けるまで続いたのであります。首尾よく彼女の隣の席を占めるのに成功した依田安弘さん(セカンドテナー)、せめてもの罪滅ぼしと言いながら、彼女に携帯電話のストラップをプレゼントし歓心を買う作戦実行。見え透いた魂胆に、武富士のティシュしかない同席の丸亀、宮本両氏を大いに悔しがらせました。

 
最近インターネットを始めた黒尾さん、「メル友ほしーい!」とのこと。彼女へメールをなさりたい団員はこのHPの管理者へメールをお送り下さい。内容、品性、普段の素行などを厳正に審査の上、彼女に転送の手配を致します


9月9-10日に秋の合宿を開催。秋期の催事の詳細も決定 (2000年9月10日掲載
 
今年4回目の合宿(秋期)が開催され、団員32名の他、OBの佐久間さん、松田さん、谷島さんも参加し2ヶ月後の定期演奏会に向け順調な仕上がり振りとなりました。入院中だった岩井利彰さんも外泊が許され、オリンピックセンターに泊まらなかったものの両日共に参加し久々に皆と練習を楽しんでくれました。「最近少しだけビールを飲んだけど、美味かったんだな、これが・・・」とのこと。今後もお大事に。

 同じ日にOB会会計幹事の大蔵さん(セカンドテナー)から昨年の第3回現役学生とのジョイントコンサートの写真が配布されました。大半の団員は「あ、まだもらってなかったんだ」と嬉しそう。随分時間が掛かりましたねえ。



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