出演団体リスト |
申込順 |
団 体 名 |
指揮者 |
1 |
マーキュリー・グリー・クラブ |
永井 宏 |
2 |
アルカディア・コール |
中俣 圭 |
3 |
男声合唱団白門グリークラブ |
森田 敏昭 |
4 |
東京電機大学グリークラブ |
諸井 昭二 |
5 |
グリー梨声(りせい) |
有賀 勝利 |
6 |
TOKYO BARBERS |
草井 章 |
7 |
男声合唱団ダンディーズ |
武藤 茂 |
8 |
アカペラ 60s |
宇野 義弘 |
9 |
Musica Nova Consort |
片野 秀俊 |
10 |
トンペイ・メモリアルズ |
須田 信男 |
11 |
男声合唱団エルデ |
倉岡 信 |
12 |
フライハイト |
藤田 照國 |
13 |
サン・メール・コア |
青木 洋也 |
14 |
東京楠声会合唱団 |
中江 宣 |
15 |
Gold bacher Manner chor |
金川 明裕 |
16 |
男声合唱団“漢(おとこ)”(仮称) |
宮田 亮 |
17 |
多摩男声合唱団 |
高木 秀雄 |
18 |
男声合唱団 お山の大将 |
松田 有子 |
19 |
男声合唱団「秀声会」 |
片野 秀俊 |
20 |
卓友会男声合唱団 |
窪田 卓 |
21 |
早大コールフリューゲル・シニアOB会 |
岡山 尚幹 |
22 |
男聲合唱團リーダーエーデルシュタイン |
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23 |
ALUMINUM(アルミナム) |
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24 |
大阪外語グリークラブ |
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25 |
男声合唱団ARCHER(アルシェ) |
吉村 信良 |
26 |
丸の内グリークラブ |
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27 |
アンサンブル・レオーネ |
唐沢 昌伸 |
28 |
合唱団お江戸コラリアーず |
山脇 卓也 |
29 |
男声合唱団ハートストリングス |
永谷 克貴 |
30 |
Flying Cowpars(フライング・カウパーズ) |
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31 |
フェニックスグリークラブ |
幸 俊孝 |
32 |
合唱集団AWD |
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33 |
上野男声合唱団 |
田尻 明規 |
34 |
リーダークランツ |
境 敬彦 |
35 |
富士山熱唱合唱団(大久保混声男声部) |
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36 |
男声合唱団アモルファス |
押元 努 |
37 |
ENSEMBLE PLEIADE |
松下 耕 |
38 |
メンネルコール広友会A |
松崎 隆行 |
39 |
メンネルコール広友会B |
村松 賢治 |
40 |
いらか会合唱団 |
清水 昭 |
41 |
清水建設男声合唱団 |
桑田 一徳 |
42 |
男声合唱団 鯰 |
岸 信介 |
7月
●今年のおめでた出演(2001年7月30日掲載)
今年の秋に団員の令息、令嬢がご結婚されるに伴い、お祝いの「おめでた演奏」が3件決定しています。以下の通りですが、「2001年度の活動計画」も更新してあります。
10月20日(土) 米澤博文さん令嬢ご結婚披露宴 目白・椿山荘
11月24日(土) 熊木宏儔さん令息ご結婚披露宴 町田・ホテル・ザ・エルシィ
11月25日(日) 塩田勝彦さん令息ご結婚披露宴 築地・割烹治作
演奏曲目はいずれも未定です。米澤さん、熊木さん、塩田さん、おめでとうございます!!
●フェニックスグリークラブ(専修大学グリークラブOB合唱団)を訪問(2001年7月29日掲載)
さる4月、当団の練習直前に訪問をしてくれたフェニックスグリークラブの中島浩介さんから「今度はフェニックスの練習を見に来ませんか」とのお誘い。代表幹事の宮本さんが7月28日(土)の午後、千代田区永田町の練習会場(麹町小学校・音楽室)を訪問しました。ここは今話題の小泉総理が総裁を務める自民党本部ビルのすぐ前にあります。4時に到着の予定が、大幅に遅れてしまい音楽室に入ったのは練習終了直前の4時38分。
ちょうどグリークラブアルバムを開いて多田武彦さんの「雨」の練習中でしたが、中島さんから団員に紹介された後、宮本さんも練習に加わりました。その前夜にNHKの「ラジオ深夜便」(23:20〜24:50)で多田さんの「日本語を美しく歌う」を聞いたばかり。団員の方々もこれを聞いた方が多いようで、フレージングを思い出しながらの練習は夏期練習の最後ということもあり、熱が入りました。
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(写真は麹町のPRONTOでの懇親会) |
専修大グリーは創立から約40年、岡本敏明先生門下(ということは章ちゃんとは兄弟弟子)の岡本仁さんが指導する現在35人が活躍中で、この日は現役学生である内山さん(経済学部3年生)もOB担当マネジャーとして加わっていました。中央大学グリーとは互いの演奏会での会場係などで深い関係にあり、交流もあるとのことです。
一方フェニックスは白門グリークラブ同様に男声合唱への思い止まぬOB達が4年ほど前に結成したばかりの若々しい団体です。この日は15名の方々が参加していましたが、月2回の練習には遠く北海道や西宮からも駆け付けるOBもあり、熱意は白門グリークラブ以上とお見受けしました。職業は食品会社、システム開発、マーケティング、証券、デジタル音響機器など、白門団員に比べると専門的職業にお就きの方が多いようです。
練習終了後は団員のお一人、桜井さんが経営されるお店で懇親会。冷たいビール、ジョッキ入りの水割りウィスキーやおつまみで会話が弾みました。OB全体で約400名ながら演奏や練習に参加できる団員が限られていること、白門同様高齢化が憂慮されること、章ちゃん(小山章三先生)や青木八郎先生の話題などが賑やかに語られました。10月の14日に開催される「第一回男声合唱フェスティバル」にも参加検討中で、そうなればその終了後の懇親会にも参加したいとの積極的なお話もいただきました。
女声合唱、特にママさんコーラスの元気さに比べるとお父さん達や男達が元気ない、という指摘はここでもあり、まずはフェニックスと白門で交流を始め「男声合唱フェスティバル」をきっかけに他団体にもネットワークを構築しようじゃないかとの提案があり、将来的にはジョイントコンサートの開催もしたい、となりました。とても元気で豪快かつ繊細なセンスの持ち主ばかりの団体です。皆さん、歓迎ありがとうございました。
6月
●第16回港区音楽連盟ジョイントコンサート出演(2001年6月25日掲載)
今年も6月24日(日)、恒例のジョイントコンサートに出演しました。理事である当団の丸亀英雄さんと宮本康幸さんの他に小川勝久さんも茅ヶ崎から舞台スタッフとして早々と集合。本番では白門グリークラブはじめ、23団体(オーケストラ1、ジャズビッグバンド2、ブラスアンサンブル1、マンドリンアンサンブル1、ギターアンサンブル1、男声合唱3、女声合唱9、混声合唱3、邦楽1)が10:00から16:30まで演奏を繰り広げました。演奏が終わった団員のうち一部がabcホールに近い清水軍治さんの自宅で早くも宴会を開始、理事の丸亀、宮本両氏が午後7時10分にスタッフ懇親会を終わって着いたときには、冷蔵庫はおろか床下に隠してあった(清水氏談)大吟醸今錦は跡形もなく消費済み。両人を悔しがらせたのであります。
ともかく清水建設男声合唱団など他の団体のメンバーも加わり、清水邸のダイニングと和室に約20名が集合。21:00まで音楽談義、旅行談義に花が咲いたのです。
●都民合唱コンクール成績(1961〜1994年)(2001年6月23日掲載)
過去に輝かしい成績を残した都民合唱コンクールの実績を表形式で掲載しました。ここをクリック。
●港区音楽連盟ジョイントコンサートの出演詳細(2001年6月13日掲載)
期 日 2001年6月24日(日)
集合時刻 午後12時30分 昼食は済ませてくること
集合場所 港区芝・abc会館 正面入り口
服 装 ユニフォーム上下、青紺のタイ、黒のバインダ
演奏曲目 箱根八里、からたちの花、平城山
出演予定時刻 午後1時51分
●城所英嘉さんが、岩井利彰さんを悼む文を寄稿(2001年6月10日掲載)
さる6月5日に他界した白門グリークラブ団員、岩井利彰さんと同期生であった城所英嘉さんが親友への追悼文を、思い出を交えて寄稿してくれました。
城所さんは「なにか岩井君から、皆にありがとう、と伝えてくれと頼まれているような気がしていました。今もあの叫び声が頭の中を駆け巡ります。皆さんに伝えることにより、私自身も解放されるような気がします。」と語ってくれました。
以下にご紹介いたします・
1. 主な経歴
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1997年5月18日、習志野文化ホールで歌う岩井さん(後列
中央)、その左が城所さん。 |
昭和19年2月22日生まれ。昭和37年中央大学杉並高校から中央大学へ。入学と同時にグリークラブへ入部。4年生の時に部長を務める。
昭和41年卒業。久保田建材(現・クボタ)に入社。営業畑一筋に活躍。
平成12年3月に営業部長の要職を辞し、早期退職。かねてからの夢であった菅平でのペンション経営の準備に着手したが、6月にガンの宣告を受け、1年間の懸命な治療の甲斐もなく13年6月5日未明ついに永眠す。享年57歳。
2. 故人の思い出
見るからに「山男」、がっちりとした体格。彼がこんなに早く逝ってしまうと誰が思っただろうか? 骨壷に収められる彼の姿を見届けた今でも、信じられない気持ちで一杯です。学生時代から山を愛しつづけ、第二の人生は奥さんと共に山小屋を経営したい、という夢を何度も聞かされてきました。まさに、実現寸前で病魔に冒された彼の無念さはいかばかりだろうか。是非、実現して欲しかった。是非、実現させてあげたかった。
入院中も多くの電動工具を購入し、ペンション建設に最後の最後まで夢を持ち続けていた彼の姿を思い出すと、胸が締め付けられます。ペンション建設予定地の菅平とすぐ近くの「無言館」に彼は特に「思い入れ」がありましたが、その「無言忌」にあたる6月5日を待っていたかのように、その日の未明に逝ってしまいました。「どうせ死ぬなら、6月5日がいいや!」と思ったのかもしれません。いかにも、彼らしい選択だったと思うしかありません
。
大学時代のグリークラブ同期生の間での存在感は大きく、いつもリーダーとして皆の信頼を集め、4年生ではグリークラブ部長を務め、責任感と統率力に満ちた活躍をしました。社会人になってからは、営業マンとして多忙な毎日を過ごすかたわら、学生時代からの登山、スキー、コーラスなどに加え、尺八、ゴルフ、旅行、水泳、ダンス、サーフィン、カラオケ、そば打ち、大工仕事など、その多くのスポーツと趣味には驚かされました。なんと言っても、わいわいと飲んでいる時が一番楽しそうでした。それでも、サーフィンや大工仕事では、度々大怪我をし、家族を随分心配させることもありました。
我々同期生が最も見習ったのは家族、特に奥さんを大切にすることでした。彼ほど、奥さんとの時間を大切にし、夫婦共通の趣味を楽しんでいるのは珍しいと思います。
ご夫婦のお互いの思いやり、愛情、そして岩井君の強靭な精神力が、この1年間に渡る闘病生活を支えてきたものと思います。この1月のご子息の結婚式に病院より式場に駆けつけたあの頃は、あと1ヶ月の命と病院より言われていたとの事。しかし、4ヶ月以上も頑張りました。が、ついに、"もう疲れた!"と逝ってしまいました。
最後に面会した5月30日には肺に水が溜まり、それを抜き出す治療中で、かなり苦しそうな状況でした。ほとんど話すこともできず、5,6分間奥様と話した後、"また来るよ"と別れ、病室を出ようとしたところ、背後から大きな声で"ありがとう!"と岩井君の声が聞こえたのです。今にして思えば、彼は死期の近いことを感じており、これが最後になると思い、苦しい中、全力を振り絞って叫んでくれたのだと思います。この"ありがとう!"は白門グリーのメンバーはもちろん、中大グリーOB,現役学生、定期演奏会に来てくれたファンの方々などすべての人々に向けて、岩井君が心から叫んだものと思います。
ここに改めて、岩井君の気持ちを皆様に伝えさせて頂き、ペンを置きます。
岩井君、本当に良く頑張った。お疲れ様。ゆっくり休んでください。
平成13年6月10日 城所英嘉
●中大グリークラブOB会総会・懇親会開催(2001年6月10日掲載)
2年ぶりのOB会総会・懇親会が母校理工学部校舎を会場として6月10日午後に開かれました。
6号館301教室で午後1時から始まった総会には約50名のOBが出席しました。会長の石井秀之さんの挨拶、6月5日に逝去した岩井利彰さん(白門グリークラブ団員、昭和41年卒・バリトン)の冥福を祈る黙祷が捧げられました。
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総会で挨拶する石井会長 |
総会に出席したOBたち |
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懇親会で挨拶の小川新会長 |
懇親会に出席したOBや学生達。 |
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懇親会終了後に遠来のOBや学生を達交えて記念撮影、再会を約しました。 |
野口範夫さん(昭和54年卒・トップテナー)を議長に選出、2年間の活動報告、会計報告が行われ執行部報告通り了承されました。これに続く役員人事ではOB会創立以来会長を務めた石井秀之さん(昭和28年卒・ベース)が勇退し、新会長には幹事長を務めていた小川勝久さん(昭和37年卒・ベース)が就任し、その他に新幹事長に坂田信一さん(昭和46年卒・ベース)、新・副幹事長に大貫
守さん(昭和52年卒・トップテナー)が選出され、会計幹事の大蔵
純さん(昭和47年卒・セカンドテナー)が再任されました。
その他、2年後の総会までに新たに名簿を整備するために連絡先が不明となっているOBの情報を会長、または幹事長に集約する努力をすること、新たに慶弔規定(告別式前に連絡のあったときは生花1基、事後に判明したときは香典を贈呈する)の制定、OB会の入会促進活動の強化、白門グリークラブホームページの企画「白門写真博物館」への資料提供依頼などが了承され、午後2時12分に終了しました。
その後、1号館の教職員食堂で家族、現役学生達を交えて懇親会・新入生歓迎会が開催されました。司会は幹事長に就任したばかりの坂田信一さんが務めました。
全員で校歌「草のみどり」と応援歌を合唱。石井名誉会長(前会長・白門グリークラブ相談役)の挨拶、小川新会長の抱負を交えた挨拶に続いて同会長の発声で乾杯し2時間に渡って賑やかに歓談が続きました。
懇親会途中では老若の指揮者が入れ替わり立ち替わり指揮に立ち、いざ起て戦人、柳河などを合唱し、OB会の結束を確認できました。
また昭和50年に卒業した辻 高史さん(セカンドテナー)が初めて参加し、若くしてくも膜下出血で暗転した人生のその後を取り上げた「面白きこともなき世を面白く」(ふこく出版刊、1800円)が紹介されました。
午後4時15分閉会。
●これがヤマボウシの花(2001年6月9日掲載)
上田グローリア合唱団の山岸明人さんから小山章三先生に写真が送られてきました。ヤマボウシの花です。山岸さんの奥様のご実家の庭咲いたものだそうです。山岸さんは美術大学出身の芸術家。さすがすぐれた構図と光の効果がヤマボウシを印象的なものにしました。
ヤマボウシの花は縄文時代のままの純白です・・・。季節は間もなく夏。
なお著作権者の山岸さんからは写真転載のご快諾をいただいています。
●岩井さんの逝去を定時練習で団員に報告(2001年6月5日掲載)
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左上:練習場のピアノに置かれた遺影
右上:黙祷を捧げる団員達
左下:岩井さんも毎週楽しんだ居酒屋「くまもとや」では、
遺影にお好きだった酒が供されました。 |
この日の早朝にもたらされた突然の訃報は岩井さんの同期生である城所英嘉さんから依田団長、代表幹事を通じて全団員に連絡されました。
ちょうどこの日は定時練習日。ピアノの上には岩井さんがお元気だった頃の遺影が置かれました。ミーティング時間には団員とピアニストの大庭さんなど全員で黙祷を捧げました。代表幹事の宮本さんから概要報告とお通夜、告別式の日時などの連絡があり、ついで岩井家とは親しい城所さんから最近までの病状や見舞いに伺ったときの様子が報告されました。
現役学生時代は4年生時に部長を務めた人柄、昨年3月まで務めた会社では優秀な管理職、それにも増して家族をいつも思いやる夫や父親としての姿を知る団員は一様に深い感慨を持って受け止めましたが、報告が進む度に感極まって落涙する団員も多く見られました。
練習後は21名の団員が地下の「くまもとや」で岩井さんの遺影を囲み、酒豪だった故人の徳を偲びながら杯を重ねました。
入院後の岩井さんは「必ず合唱活動に復帰する。菅平に念願のペンションも建てる。今年の秋は北京演奏旅行にも参加する」と言い続け、驚くべき気力とご家族の介護を受けて約10ヶ月に渡り病魔と闘いました。
最後に力尽き、ご家族を残して旅立たれましたが、今年の1月20日にはご次男の哲さんの結婚式も行い、病院から駆け付けて親族席で嬉しそうに若いご夫妻を見守っていたのが印象的でした。
岩井さん、お疲れさま。どうぞ安らかにお眠り下さい。
(写真提供:城所英嘉さん)
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●6月5日未明に岩井利彰さん(バリトン)が逝去(2001年6月5日掲載)
かねてより病気療養中の岩井利彰さん(昭和41年卒・バリトン)におかれては、本日未明(01:50)、東京都新宿区の東京医大付属病院にて逝去されましたので謹んでお知らせいたします。享年57歳でした。
今朝07:00に岩井さんの同期生である城所英嘉さんから編集者宛に連絡がありました。今年1月にご次男の結婚披露宴にて私達のお祝いの歌である「はるかな友に」を指揮されたのが、お元気な最後の姿でした。ご遺体は今朝ほど代々木のご自宅に戻られました。
岩井さんのご冥福を心からお祈りすると共に、ご遺族のご心中を察して余りあるものがあります。誠に残念でなりません。合掌。
なお通夜と告別式は以下のように執り行われます。
通 夜 6月8日(金) 18:00〜19:00
告別式 6月9日(土) 10:00〜11:00
いずれも代々幡斎場にて
( 渋谷区西原2-42-1 京王新線幡ヶ谷駅下車、徒歩8分)。
●6月3日、第4回無言忌と東信合唱祭に出演(2001年6月5日掲載)
▼丸亀夫妻からの寄稿:
6/2 朝6:30小平出発。途中2回SAで休憩し、9:30には上田東急イン着。上田の町をうろちょろし「エミール」なる骨董屋に冷やかしに入る。
冷やかしだといったにもかかわらず、お茶は出る、お漬物は出る、さらには芋の煮物まで出る始末。
ちょっと気に入った「役者絵(義経千本桜)三枚組」(明治時代の版画?)をつい買ってしまった。
時間も適当につぶれたのでお目当ての蕎麦屋、「刀屋」へ。
10:40頃刀屋前へ、11:00開店一番乗り。
モリの小(女房)、中(私)と燗酒2本、「鴨煮」、「天ちらし(天ぷら盛り合わせ)」を頼む。
11:30頃、いい気持ちになったところへ清水軍治夫妻が到着(11:00上田着)して、刀屋へ直行するも20分以上の待ち。
混んできたので店を出て、「池波正太郎
真田太平記記念館」へ。清水夫妻も後で来るとのこと。
記念館を出たところで清水夫妻とすれ違い、東急インで待ち合わせ。
清水夫妻は別所温泉「中松屋」に宿泊とのことなので送りがてら、我々も北向観音・安楽寺八角三重の塔・常楽寺を散策(清水夫妻共々 右写真)。
カメ夫妻は東急インへ戻り、ひとっ風呂。
17:30ころ依田夫妻到着。ホテルロビーで待ってると章ちゃん、辰巳くん、岡部夫妻と出会う。
岡部夫妻は、午後6時頃には閉店する「刀屋」へ急いで出かける。
章ちゃんが「いっしょに食事を」とのことで、依田夫妻・かめ夫妻・章ちゃんで食事。
辰巳クンは15:00ころ「刀屋」で普通盛りを食べたので、「まだ食欲なし」と部屋へ。
よく聞くと「大盛り」と言ったらしいが、店の人に止められたとか。普通盛でもきつかったようだ。店の人に「残さないでね」と言われたらしい。
章ちゃんはその後グローリアの練習に。かめ(私)以外は部屋へ。かめは辰巳を呼び出し「幸村(ゆきむら)」へ一杯やりに…。
(代表幹事 丸亀英雄記)
▼依田団長夫妻無言忌紀行
「あなたを知らない」を初めて無言館の丘の上で歌ってから早や三年、今年で4回目の無言忌。例年どおり塩田平は、なぜかドピーカン天気。直射日光を遮るものもなく、イヤ〜暑かった。
今年は初めて「惜別の歌」をわが森田音楽監督の指揮により演奏、小山章三先生の指揮により「あなたを知らない」、そしてご遺族の一人、日高稔典さんの短歌による新曲「みすずかる」が発表されました。今年は残念ながら白門からトップテナーの参加が少なかったけれど、地元上田グローリア(団長千野さん)、千葉のアンサンブル・レオーネ(団長山下さん)の参加で総勢50名のにわか大男声合唱団となり、結構大きな響きが塩田平の里に、山にこだましました。演奏後日高氏は大変感激しました、と喜んでいらっしゃいました。
にわか仕立ての編成にもかかわらず、それぞれの合唱団がよく練習をしてきたようで、うまくアンサンブルできたのではないかと思いますが、この辺は森田さんの感想を聞いてください。
毎回ボランティアで参加して頂いていることに対し、無言館館長の窪島誠一郎氏から「大変感謝しております」」という謝辞がありました。団員の皆さん本当にご苦労様でした。 (団長 依田安弘)
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6月3日は大変な暑さ。左から井上博之、依田団長夫人、西山和夫、柴田鉄義の各氏は汗を拭き吹き。ほとんど日陰はなし。 |
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小山章三先生の指揮で歌う白門、上田グローリア、レオーネ |
惜別の歌を演奏する3団体。指揮は森田敏昭氏。 |
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無言忌を終わり、東信仰合唱祭前に昼食の団員と家族 |
同日午後に上田市内で行われた東信合唱祭に3団体で参加 |
5月
●過ぎたるは及ばざるがごとし(2001年5月26日掲載)
管理人こと私は、時折り某業界誌にコラムを書いております。原稿料が入ることも多少(実は非常に)嬉しいのですが、先日は身近な友人の息子が被害にあった「電話勧誘商法」、いわゆる悪徳商法に私の業界のさる会社が関わっていることを告発する内容の記事を書いたのであります。その記事を書くのにインターネットで被害者達が情報を交換する会議室や掲示板を検索して読んでいるうちに、すっかりはまりました。悪徳商法に、じゃなくて、「気をつけろ! 悪徳商法は魔手をあなたにこう伸ばす」というような警告を読むのに、です。見知らぬ異性から電話がかかってきても、個人情報は喋るな、指定されても出かけるな、安易に街中でアンケートに答えるな、無料で○○しますから、という奴を家に入れるな、などなど。
休みの今日も朝からそんな掲示板を見て「まったくとんでもねー連中がいるもんだ」と一人で憤慨していると、電話が・・・。
ん、誰だろ? 来たか、資格商法か。それともインチキリゾート会員権か? すでに心は警戒態勢の1。
「○○さんですか?」(そんなに若くない女性の声。私の姓を聞いた)
「そうです」(こいつ自分で名乗らないな、警戒態勢2にアップだ!)
「○○△△さんはそちらの方ですか?」(今度は私の姓名を聞いた。ん?ますますアヤシイ! 警戒態勢3に!)
「私ですが・・・」(なるべく無愛想に低い声で答える。しっぽを掴んでやろうと、メモを引き寄せる)
「○○さんのお名前が付いた自転車が私のいるマンションの駐輪場にここ数日置きっぱなしなんです。」
「はあ・・・」(警戒態勢2に急遽ダウン)
「私、ここの当番制の管理人なんです。○○さんという方は入居者にはいないのに変だなって思っていたんですが、お隣の方に
相談したら”盗難車かも知れないから警察に届けた方がいいわよ”と言われたんです。」
「はあはあ・・・」(いつのまにか警戒態勢全面解除)
「でもカギは掛かっているし、盗難車にしては変だなと思って、念のためにフレームに書いてある住所とお名前で電話番号を探
してお電話しました」
「も、申し訳ありません。じ、実は・・・」 どもりながら説明を(お詫び態勢4に急遽転換)。
カミサンが数日前、いつものように自転車で駅まで行ったものの、駐輪場が満車。そこで同じ職場の女性が駅近くのマンション
にいることを思い出し、一時的に駐輪したが、帰宅時に雨が降り自転車を使えないので傘をさして歩いて帰ってきたこと。その
後も雨の日が続いたので悪いとは思いつつもそのままにしていたこと、をひたすら低姿勢で説明しました。
「家内が今夜は帰宅時に必ず乗って帰りますので・・・」(頭を電話機にこすりつける)
「盗難車でないことがわかって安心しました。ではこれで・・・」
「大変ご迷惑とご心配をお掛けしまして、モーシワケアリマセン!!!」(身も心も平身低頭モード)
「悪徳商法」を警戒の余り、いつのまにか我が身を被害者に見立てていたようで。過ぎたるは及ばざるが如し、という格言を思
い出しました。
●OB会総会懇親会の会場が変更(2001年5月24日掲載)
中央大学グリークラブOB会小川幹事長によりますと、「すでにお知らせした総会懇親会の会場がある5号館は当日、学外の試験会場になっていることが判明した。そのためやむを得ず会場を変更する」こととなりました。(編集者宛5月23日付Eメール)
変更後の会場は以下の通りなのでご了承下さい。なお開催時刻に変更はなく、改めて書面で変更の通知は致しません。そのため当日は現役学生にお手伝い願って来場するOBの案内をして貰うこととなりました。現役諸君、お世話になります。
総会 6号館・301会議室(6301)
懇親会 1号館・食堂
(この下にある開催要領も直してあります。)
↓
●中央大学グリークラブOB会会員に総会・懇親会の通知を発送(2001年5月20日掲載)
「新世紀初の総会に多数の出席を求める」と小川幹事長。
「会費の納入もお忘れなく・・・」と大蔵会計幹事。
既報の通り、OB会総会は6月10日(日)に中央大学後楽園キャンパスにて開催されます。今回は役員改選も重要な議題として予定されていますので、全国のOBの方々の多数のご出席をお願いします。開催要領は次の通りです。
期 日 |
2001年6月10日(日) 12:30より受付 |
|
次 第 |
総会 13:00〜14:00
懇親会 14:00〜16:00 |
会 場 |
中央大学後楽園キャンパス
総会 6号館301会議室
懇親会 1号館食堂
右の地図参照(水道橋駅から10分、丸の内線・南北線
の後楽園駅から5分、三田線の春日駅から7分) |
会 費 |
8,000円(同伴者2,000円。12歳未満は無料) |
議 案 |
活動報告、会計報告、幹事選出 |
OB会費 |
年会費3000円未納入の方は大蔵幹事に「口座振替依
頼書」をご請求下さい。 送金する方は以下の口座に。 |
口 座 |
横浜銀行本店営業部 普通預金No.212843
中央大学グリークラブOB会会計幹事 大蔵純 |
出 欠 |
郵送した葉書にて早急に。 |
●第1回演奏会プログラムなど貴重な資料を発見(2001年5月20日掲載)
「秘匿する団員には強制捜査を実施する」と館長の話。家宅捜査も?
編集者は2ヶ月前から団員、特に古参団員に呼びかけて過去の演奏会や演奏旅行にまつわる写真、資料の提供をお願いしてきました。写真はすでに60枚近くが集まり、5月6日に「白門写真博物館」として部分公開(今日現在で30枚)しています。なお博物館側ではいまだに写真はじめ多くの資料が団員宅に秘匿されているとの内部告発を受けており、「任意提出が滞れば時期を見て強制捜査に着手したい」(同博物館館長)との考えを明らかにしました。
強制捜査を恐れた高木繁雄さん(昭和35年卒)、志田雄司さん(同36年卒)、小川勝久さん(同37年卒)からこのほど次の貴重な資料が寄せられました。ありがとうございました。
1. 第1回演奏会(1965年12月10日)のプログラム:曲目を「演奏会・演奏旅行の記録」に掲載済み
2. 第2回演奏会(1967年6月14日)のプログラム:同上
3. 第3回演奏会(1970年12月11日)のプログラム:同上
4. 第6回演奏会(1985年4月24日)のプログラムとチケット:同上
5. 同上演奏会で演奏された「四つの望郷歌」詞集
6. 1959(昭和34)年当時の中大グリー部員名簿:
12ページにもわたるガリ版刷り。155名の当時の団員名が記載されている。(下の写真参照)
7. テレビ出演の番組進行表:1961(昭和36)年11月15日、当時の日本教育テレビ(現テレビ朝日)
同年11月12日に開かれた「東京都合唱コンクール」で2位に入選。他の優秀団体と共に東京文化会館
小ホールにて収録したもの。
8. 1983年からの演奏会ステージや演奏旅行中の写真約60点
(2は志田雄司さん、8は小川勝久さん、その他は高木繁雄さんが提供してくれたものです)
提供された資料はまもなく画像としてこのページ内、または「演奏会・演奏旅行の記録」に公開する予定です。
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写真上:部員名簿裏表紙にはこのような連絡先が印刷されています(拡大)。
なんと現在の後楽園校舎(理工学部)敷地内にあった音楽研究会練習場の
連絡先が「相撲部呼び出し」となっています。相撲だけに呼び出しは付き物、
という訳です。今や「電話の呼び出し」という言葉も死語となりました。この頃
は東京の市内局番が2桁だったんですね。
(資料提供:高木繁雄さん)
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写真左:1959(昭和34)年当時の中大グリー部員名簿。今や死語となった感のある「ガリ版印刷」です。42年の歳月を
経て黄色く変色していました。B5サイズの大きさの名簿には150名余りの団員の氏名、学部、学籍番号、出身県、現
住所、帰省先、出身高校が10ページに渡って記載されています。部室で団員がカリカリと原紙を切ったのでしょう。
(資料提供:高木繁雄さん)
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●第1回男声合唱フェスティバルの参加登録を事務局に確認(2001年5月20日掲載)
「登録の受理は連絡があるべきではないか?」と代表幹事のぼやき
さる5月15日午後に代表幹事のMさんが朝日新聞社内にある東京都合唱連盟事務局に電話をしました。これに先立つ4月16日に申込金、楽譜費用計75,000円を送金、申込書にその送金コピーを添付し事務局に送付したもののその後何の連絡もなし。不審に思ったMさんが電話で確認したものです。応対に出た女性職員は「特段、受理したとの連絡は差し上げていない。現在定員600名には達していない」との返事でしたが、送金させながら申し込みに対して受理の返信もしない、というのはいかにも「参加させてやる」と言わんばかりの官僚的対応です。職員は申し込み団体のリストすら確認しようとはしませんでした。
なおもう一つの心配だった「曲目が他団体と重なってもよいのか」という質問には、「かまわない」との返事でした。
●5月13日に日曜練習を港区生涯学習センターで開催(2001年5月13日掲載)
日曜練習に先立ち、北京演奏旅行実行委員会(依田委員長、井上、丸亀、宮本各委員)が11:30にJR新橋駅に集合。「昼飯でも食べながらやりましょ」と歩き出したのはいいものの、盛り場にもかかわらず日曜の新橋は大半の飲食店がお休み。ようやく「鳥ぎん」を見つけ釜飯をオーダーできました。
練習は港区生涯学習センター(区立小学校跡)で午後1時から。6月3日に迫った第4回無言忌出演に向けて、「惜別の歌」、「あなたを知らない」、章ちゃんの新曲「みすずかる」を復習、新曲もほぼ完成の域に達したと森田指揮者もごきげんでした。ほかに6月24日(日)港区音楽連盟ジョイントコンサートの「箱根八里」、「からたちの花」、「平城山(ならやま)」などが歌われました。
また北京演奏旅行実行委員会の依田委員長から、
1. 旅行期間を2001年11月2日〜6日の5日間
2. 訪問都市は北京(2泊)と上海(2泊)
3. 北京でのみ演奏会を開催する
など実行委員会の提案が発表され団員の了承を得ました。なおまだ北京放送側が当方の演奏会開催要請を完全に把握していないようであるので、委員長から改めて念押しのレターを送ることが確認されました。
OB会の小川幹事長(白門グリークラブ・ベース)からは、6月10日のOB総会懇親会の再確認がありました。OBには大蔵幹事から書面で開催通知が近日中に発送されます。
●東信合唱祭に参加を決定(2001年5月13日掲載)
同日の練習中のミーティングで代表幹事から標記の件が説明されました。
1. 無言忌出演終了後、午後から開かれる「東信合唱祭」に参加しては、と上田グローリアから提案された
2. 開場は上田市文化会館、出演予定時刻は15:00
3. 曲目は「惜別の歌」、「あなたを知らない」、「みすずかる」の3曲
4. アンサンブル・レオーネと合同演奏
以上を説明し団員の意向を確認したところ、約20名が参加可能と判明。団の公式行事として東信合唱連盟の公式受け入れを待って参加表明をする事となりました。
4月
●OB総会・懇親会を6月10日に開催(OB会小川幹事長より連絡)(2001年4月28日掲載)
今年はOB総会の年です。例年は4月に開催しておりましたが、今年は6月10日(日)12:30pmより後楽園工学部校舎の食堂にて開催致します。(12:00pmより受付開始)総会に引き続き、13:30〜16:00に懇親会を現役と一緒に行います。会場の確保に手間取り、一般OBへの通知はこれからとなってしまいます。
これに先立ち、幹事会を5月12日(土)18:00より、渋谷宮益坂の三浦ピアノ3階301号室にて行います。議題は役員改選・今後の活動方針・懇親会の役割分担等について、と致します。本件は大蔵氏より幹事各位へ通知させて戴きます。
現役の参加は今年の新人10名を加え約30名程度の予定ですが、古橋先生からもっと新人を勧誘するようにとの檄(げき)が飛んでいるとのことで、現役諸君は勧誘活動を継続中とのことです。増員を期待しましょう。
(以上、小川勝久氏からのメールを転載)
●5月1日(火)の定時練習はお休みです(2001年4月25日)
毎年のことですが、GW最中の定時練習はお休みです。楽しい休日をお過ごし下さい。管理人は業界誌の原稿書きで前半を潰しそうです。
●港区音楽連盟ジョイントコンサートの曲目(2001年4月25日掲載)
4月24日の練習時に技術スタッフから発表されました。平城山(ならやま)は初めての取り組みです。
1.箱根八里 作詩:鳥居枕 作曲:滝廉太郎
2.からたちの花 作詩:北原白秋 作曲:山田耕筰
3.平城山 作詞:北見
志保子 作曲:平井
康三郎 編曲:三木 稔
●ライオンズクラブ国際協会大会に出演、巨大会場に驚きの声(2001年4月23日掲載)
4月22日(日)、季節はずれの寒さと強い北西風が関東地方を見舞う荒れ模様の天気。管理人は丸亀君と西国分寺から武蔵野線と京浜東北線を経由して集合場所の「さいたま新都心駅」へ。昨年開業したばかりの新駅ですが、駅前広場を被う筒状のドームはまるで実験風洞のようになっていて、この日はあたかも吹きさらし状態でした。
先に来ていた10名ほどの団員を「もう少し列車を待つので、先にどうぞ」と行かせて5分後に8名で追いかけましたが、さいたまスーパーアリーナは確かに見上げるばかりにデカイ。さしずめ豪州のエアーズロックといったところ。デカすぎてどこが入り口だか分からず地図を持ってウロウロ。丸亀君がInfomationで入り口を教えて貰い、ドームの外壁をぐるりと回り、ようやく控え室にたどり着きました。
今夜の出演団員は35名、それに指揮者の森田敏昭さんと鮮やかな赤いドレスのピアノ伴奏、大庭直子さんが加わりました。
茨城県から高山宏さん(セカンドテナー)、神奈川県平塚市から小松秀洋さん、同じく小川勝久さん(いずれもベース)など自宅から2時間以上もかけてやってきた団員もいて、大会場の出演を前にした団員は少々興奮状態です。
数名でちょっと抜けだしてステージ袖まで下見へ行ったのですが、このステージそのものがすさまじい大きさ。天井までの高さは30mはあるでしょうか。また奥行き50mはあると思われるステージは半分ほどのところをスクリーンで仕切り、さらに上手と下手も黒いスクリーンで中央寄りに狭めていますが、それでもまだ大きい! スタッフの背中から首を出して観客席を見ましたが、客席全体の1/3も見えない状態です。
16時25分から15分間の発声練習に続いて、全曲の通し練習。控え室にはピアノがないので、何となく間の抜けた印象の練習であります。早めに舞台袖に集合し、男女7人で出演している二期会メンバーの歌を聞いていましたが、彼らはPAを使っています。プロ歌手でさえ使っているのに、いくら40人近い合唱でもアマチュアの我々の声が客席の最後方まで届くんだろうか、と不安になりました。
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控え室で本番を待つ団員達 |
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ステージには超大型液晶ビジョンも |
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どすの効いた声で司会する山本浩二広島カープ監督そっくりのM氏の紹介で5時40分にステージに並びました。余りにステージが広くて中央位置が掴めなかったのは舞台準備のスタッフも同様だったらしく、指揮台もずれて置かれていて、あとから聞くとかなり下手側に寄って整列したようです。 ステージ上ではベースの私たちにはテナー系の音はまったく聞こえません。いつもはうるさいほどに聞こえる真後ろの小川さんの声も小さく聞こえるほどです。音楽ホールには必ずある背後の反響板がここにはないせいでしょう。
客席が遠いので、MCを担当した私から観客はもとよりその表情すら見えません。暗闇に向かってしゃべる、という趣でした。観衆は1500人以上はいた、とのことですが・・・。これといった失敗もなく予定時刻を2分超過して午後6時12分終演。ギャラは当初の約束を大きく上回る○○万円(会計の千葉さん談)で、出演のし甲斐がありました。北京演奏旅行の原資の一部になるでしょう。
控え室でお弁当を頂き、その場で解散。依田団長、石井相談役はじめ15人ほどは5階で開かれているレセプションに参加せよ、とのことで、どんな場所でも一発で方向を見定める特技を持つ丸亀君(集合時には道に迷いましたが)を先頭に巨大なステージを再び横切り、反対側の真っ暗な廊下をあちこちウロウロ・・・。今日これで2回目の迷子状態には、極大期に入っている太陽活動が丸亀君の脳内磁石に影響を及ぼしているせいではないか、との新説が団員からまことしやかに囁かれました。15分ほどしてようやく会場を探し当てた時はもうお開き近くでしたが、渡辺真一ガバナーや大会役員の小松豊吉浦和市議(1957年中大卒)にもお会いし、ビールで喉を潤した後に解散。19時10分。外はまだ強風が吹き荒れていました。
全国各地の第3セクターの赤字垂れ流し、事業不振や倒産が報道されていますが、ここも第3セクター(株式会社さいたまスーパーアリーナ)です。なにしろ箱ものといっても、並みのデカサではないだけに今後がちょっと気になります。
<この日の演奏曲>
VIVA!白門、箱根八里、からたちの花、アンヴィルコーラス
飛べ黄金の翼に乗って、ソーラン節、大島節、最上川舟歌
(アンコール)オーラ・リー、今日のひととき |
●無言忌、開催日が6月3日に変更(2001年4月14日掲載)
小山章三先生から4月13日に管理人宛次の電子メールが入りましたので、原文のまま転載します。
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初夏の感じの日々になりました。本日、無言館のお知らせがとどきました。内容は下記の通りです。
◆日時 2001年6月3日(日)午前十一時より
◆会場 「無言館」前庭
◆式次第
ごあいさつ 野見山暁治
上田市長
ご遺族代表
窪島誠一郎
合唱 (小山章三指揮)
上田グローリア合唱団
白門グリークラブ
我孫子アンサンブル・レオーネ
・あなたを知らない
・惜別の歌 ほか
◆懇親会 (12時半より)於・無言館隣接の小公園
以上の通りなのです。6月5日(火)と予定して下さったかたがたには申し訳ないのですが<無言館『記憶の会』代表 窪島誠一郎、顧問 野見山暁治>の名においての通知ですので。小生の考えでは<午前10時、無言館集合、約40分リハーサル>で、如何でしょうか?
(転載終わり)
(管理人から) 4月15日の日曜練習、17日の定時練習で団員の了承を取り付けたいと考えています
●4月15日は日曜練習ですよ(2001年4月10日掲載)
会場 代々木オリンピックセンター
時刻 午前9時30分より午後4時30分まで
●北京放送から演奏希望曲の連絡(2001年4月10日掲載)
北京放送の陳真さんから石井秀之さん(前団長、ベース)に手紙があり、当地での演奏会での曲目で現在人気のある2曲(当然、中国の曲)が寄せられました。なんとテープが同封してあるものの、楽譜はないということ。石井さんが団員に聴かせようと小型レコーダーを持って来たのですが、時間がなく指揮者の森田さんに預け、15日の日曜練習で改めて聴くこととしました。
どのような曲か、男声合唱への編曲以前にテープからの採譜が大変な作業になりそうです。誰がやるんでしょうかね?
●北京演奏旅行の出発日は11月2日に(2001年4月10日掲載)
演奏旅行委員会(依田安弘委員長)では、出発日を11月2日(金)、11月6日(火)を帰国日とする5日間としました。
●昭和40年卒の瀬川さん、練習場に(2001年4月10日掲載)
定時練習の4月10日に珍しいお客様。藤澤賢二さん(トップテナー)から紹介があったのは、1965(昭和40年)卒の瀬川さん(現役時代はトップテナー)。最近定年となり、藤澤さんに誘われ顔を見せたとのこと。東中野の社宅から、退職金で買った東大和市に引っ越したものの「前の家はどこへ行くにも便利だったな」と練習後のくまもとやで漏らしていました。
●ライオンズクラブ国際協会330-C地区年次大会出演詳細(2001年4月4日掲載)
集合など詳細は以下の通りです。なお書面は昨日担当窓口の志田さん(セカンドテナー)が配布し、来週も配布する予定です。
日 時 2001年4月22日(日) 午後4時00分
集合場所 JR京浜東北線「さいたま新都心駅」改札口前
新宿駅から:埼京線で赤羽まで13分、京浜東北線に乗り換えて12分
東京駅から:JR京浜東北線(快速)で39分
服 装 ユニフォーム上下、赤紺レジメンタルタイ、黒靴
演奏曲 VIVA!白門、箱根八里、からたちの花、アンヴィルコーラス、飛べ黄金の翼に乗って
ソーラン節、大島節、最上川舟歌、オーラ・リー、今日のひととき(アンコール用)
バインダー 黒(バインダーカバーもお忘れなく)
集合に遅れた時
さいたまスーパーアリーナは駅のすぐ前にあります。E-2入り口で「出演の白門グリークラブです」と言って名札を受け
取って、地下1階のレセプションルームB(控え室)にお出で下さい。
緊急連絡先 宮本康幸(携帯電話):090-8514-4045
▼当日の大会スケジュール(約3000名が出席予定)
10:00〜12:30 代議員総会
13:40〜16:20 大会式典
16:40〜18:10 アトラクション(当団など3団体が出演)
18:10〜19:10 大会レセプション
▼アトラクションに出演する団体
春日部中学校吹奏楽団、二期会会員歌手(8名ほど)、白門グリークラブ
▼演奏時間
午後5時40分から30分間を予定
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